崇拝と異端
部屋で待機を命じられたものの、室内はあまりにも退屈過ぎた。ビジネスホテルのようにテレビが設置されているわけではないし、本すらない。窓から見える中庭の景色だけが唯一の暇つぶしになる要素ではあるが、手入れが行き届いているということしかわかることもなく、冬である今は紅葉のような楽しめる要素がない。
結局、零はスマホで亜梨沙にメッセージを送るだけしか出来なかった。動画を観ようにも通信量を食ってしまうのは避けたいし、ゲームの類はまったくやらない。
亜梨沙にメッセージを送るものの、彼女も暇ではない。残念ながらすぐに既読はつかないので、ベッドへ横になって目を瞑る。テレビなどの娯楽は全く無いが、空調だけは最新とまでは言わずとも最近のエアコンが設置されている。零が来るよりも前に電源を入れてくれていたようで、室内では温かく過ごすことができた。
「…………」
目を瞑った時、真っ先に出てきたのは本家当主の梓だ。梓の微笑みは魔力でも込められているのか、なかなか頭から離れない。現役高校生である零にとって、梓の魅力は毒とでも言えるかのように刺激的過ぎたのである。
ただ、この衝撃はある意味で初めてではない。以前も車の窓越しではあるが、目が合ったこともある。そのことは祖父母にも話したので、おおよそそれが梓であることは予想していたが、まさか本当だったとはという驚きが零の本音だ。
目が合ったのは間違いなく偶然ではない。自分が梓に対して何か特別なものを感じたように、梓も自分に対して何か感じたはずだ。でなければ、先刻のようなことは言わないだろう。
そんなことを考えているうちに、零は少しずつ緊張が解れていって眠気を感じる。そしてまた、本人が自覚することなく眠りに落ちてしまうのだが、今度ばかりは雫が現れることもなく途切れてしまい、零が次に目を開けて意識が戻った時には、激しいノックの音が聞こえていた。
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鷺守家の賀詞交換会は、昔に比べて時代とともに簡略化してきている。かつては各分家当主は紋付きの正装を着るうえに、同伴してくる伴侶についても着物を着てくるのが通例だった。
現在はといえば、各分家当主の正装は変わらないが、伴侶についてはいくらか服装が自由になっている。もっとも、時代は変われどTPO(時・場所・場合)に合った服装をするというのは気持ちの面で変わることがなく、いつもは爺さん感がある祖父の格好もこの時ばかりは礼服であった。
一方、次期当主である子供らは学校の制服を着ることになっている。それこそ昔は子供らでさえも和装をするだけの財力が各家にはあったが、今となっては悪霊退散を生業にしても大した稼ぎは得られない。身体が大きくなっていく子供達にいずれ着られなくなる高価な服を用意しても仕方ないので、学生の正装である学校の制服が着られているのだ。
とはいえ、昨今の学校制服は多様化している。零も制服であるブレザーとスラックスで賀詞交換会の会場に入ったが、同じような学生もブレザーやセーラー服と様々であった。
ところで、零は祖父母と一緒に倉敷の案内で会場へやってきたわけだが、入った途端に異様な視線を感じた。それもそのはずで、各分家は当主と伴侶、そして次期当主を連れてくる。その次期当主は必ずしも女であることは各家共通の掟となっているので、この会場に「男子学生が入るということは絶対にあり得ない。」
つまるところ、鷺森零という存在は全くもって異端なのだ。変な注目が集まってしまうのも無理はない。
他の分家はそれなりに普段から繋がりがあるのか、あちらこちらではヒソヒソ話をしている。それがまた零の方をチラチラと見るので、零にとってはとても居にくい空気感ではあったが、祖父母を見ると二人は全く動じていなかった。
二人はあくまでも本家当主による要望を叶えただけのこと。そこに動揺する要素は全く無いのだ。
席順を指定されたわけではないが、霰は迷うことなく席に座った。座席の配置は長テーブルを縦4列に並べ、向かい合うように椅子が設置されている形だ。どうやら分家のどこかと向かい合う形となるようだが、霰が迷うことなく席に座ったのは「どの家がどの席に座るのか」が毎年変わらないからである。
他の分家はまだ席に座ることなく立って話していたが、霰の姿を見つけたある分家が鷺森家の正面に座り、40代くらいの女性が笑顔で霰に話しかけた。
「明けましておめでとうございます! 霰さん!」
「ああ、明けましておめでとう」
霰もまた笑顔で挨拶を返す。その雰囲気はまるで仲の良い先輩と後輩であった。その40代くらいの女性も旦那と中学生の娘を連れていた。必然的に娘は零の前に座ったが、彼女もまた母に倣って零に挨拶をした。
「明けましておめでとうございます」
「あっ、明けましておめでとうございます」
少しばかり吊り目で性格がキツそうな雰囲気のある女子中学生であったが、挨拶の動作や声色は落ち着きのある淑女たる振る舞いであった。年上にも関わらず、動揺してしまった自分が恥ずかしいと零はその時思った。
しかし、注目されるは当主同士の会話であった。世間話はそこそこ、やはり零という異質な存在が気になるらしい。
「ところで霰さん。そちらの男の子は……澪ちゃんの?」
「ああ。名前を零という」
紹介を受け、祖母からの合図があったので零は立ち上がって一礼をする。相手の当主は苦笑いで座ったまま会釈をしたと思うと、すぐに霰へ向き直った。
「霰さん。澪ちゃんのことは残念でしたが……まさか、男の子を次期当主に据えるつもりでは?」
「それはない。流石に掟を破ろうとは思わんよ。そもそも、何も継承できない男の子に掟を破ってまで当主を継がせたとて、何のメリットがある?」
「いえまあ、そういうつもりでないのなら良いのです。しかし、次期当主というわけでもないのに連れてくるとは……何かあるんですか?」
「本家からの指示だ。正直、私にも意図がわからんよ」
「えっ!? 本家が?」
流石にこれは驚きだったらしい。聞き耳立てて話を聞いていた他の分家も、本家からの指示だと聞いて驚いた顔をしていた。本家の指示であるならば、霰が零を連れてきた理由に納得ができる。しかしそれは同時に本家の意図がわからないという新たな疑問が生まれる瞬間でもあった。
「私にも意図はわからん」
霰は繰り返しこう答えることで、本当に何も知らないのだということをアピールした。向かい合っている分家の当主も霰にわからないのであればわかるわけがないので、すっかり言葉を失ってしまった。
だが、零の存在が異端である一方、鷺森霰という人間は本家・分家を問わずとても尊敬されている人間だ。梓の母である楔も今では立場を弁えない気の強い女ではあるが、その昔は霰を崇拝している一人だった。それほどまでに霰という人物は偉大ではあるのだが、娘である澪を失って以来、次期当主を伴うことが出来ずにここへ来る姿を誰もが傷ましく思っていた。確かに零は異端だが、それでも孫を連れてきている姿が見られたこと自体は、表に出ていないだけで周りは喜んでいた。零に大して周りが露骨に反応しないのはそういった背景がある。
各分家の入場を終え、予定の時刻が迫ると各々自分の席に座った。そして本家が最後に入場し、上座となる場所に分けて設置された席へ梓が座った。
梓もまた、次期当主達から憧れを持たれている。若き女性の美しさを余すことなく出している一方で、本家当主としての出立ちは若さを感じさせない堂々としたものであり、かといって威圧的でもなく包み込むような器の大きさを感じさせるからだ。
美しさに感嘆する分家達はあったが、梓が口を開くと同時に静まり返り、本家当主の言葉に耳を傾けた。