天女の微笑み
京都駅から乗り換えをした。零にとっては慣れない地での乗り換えとなるので、最早どこに向かっているのかすらよくわからず、ただ祖父母の後をついていくだけになっている。迷うことなく歩く祖母を零は改めてすごいと思った。
ところが、零にとって意外だったのは乗り換えて目的地へ近付くにつれて都会から離れていっているということだ。そして最終的に到着した駅には迎えが待っており、黒い普通車に乗せられて本家へと向かう。
運転手は壮年の男だったが、穏やかな声で霰に話しかけた。
「霰さん。ご無沙汰しております。お元気そうで何より」
「倉敷さんもお変わりないようで。今年も倉敷さんで安心しました」
「はっはっは。私もまだまだ若いのに負けてられません。そうそうこの座を譲るつもりはありませんよ」
倉敷という壮年の男は声が穏やかだが、性格はとても気さくで前向きだった。霰もいくらか声色が柔和であり、祖父も微笑を浮かべて二人の話を聞いていた。
話の内容は案外何でもないようなことで、一年振りに会うものだから共通の知り合いが病気になって入院しているだの、あの人が亡くなっただの、物価が上がって出費が大きくなっただの、近況について話しているくらいなものだ。その折々で昔話も出てくるものだから零にとってもなかなかに興味深い話が色々と出てきていた。
今回は新年の賀詞交換会に呼ばれているわけだが、ここ数年は一族の集まりが新年くらいになっているという。どうやら、それこそ霰がもっと若い頃は四半期ごとに集まりがあったらしい。この世ならざるものの勢いはここ近年で徐々に落ち込んでいるようで、霰よりもっと前の世代となると、今よりかなり多かったらしい。
「今や必要最低限とはいえ、死者を丁重に弔うことが普通になってますからな。非業の死を遂げてしまったり、ろくに弔われずにご遺体を処理されたりがかなり減りましたから。まあ、本当に良くなったものです」
倉敷が昔を思い出しながらそう言う。しかし、その話は前振りに過ぎない。本当の話題はその後に続いた。
「とはいえ、どうも本家は……特に楔様は霰さんのご自宅周辺が気になるようですね」
「…………」
霰に驚いたような様子はなかった。それは既に本家からも聞いていたことではあるからだ。ただ、その話題は今の零に聞かれて良いものなのかが少しばかり悩ましかった。叔母である雫が命を落とす原因となったこの世ならざるもの……はつの力は年々強大になってきている。鷺森家に訪れた際、本家親子はその存在を察知したようだ。
「久し振りに本家も少しピリピリしている様子……といっても、当主の梓様はあまり気になさっている様子はありませんがね」
「はぁ」
霰が小さく溜め息を吐いた。現当主の梓はともかく、楔は身の程を弁えなさ過ぎる。以前は本家の当主だったので気にしないでいたが、当主の座を梓に譲ったというのに、まるで自分を関白だと勘違いしているのではないかと思えるような身の振り方だ。霰にはどうもそれが気に入らなくて仕方ない。
「急に溜め息なんて吐いて、どうしたんです?」
「いや。楔のことを考えるとどうも頭が痛いんです。倉敷さん達は平気なんですか?」
楔は本家の前当主だとはいえ、霰や倉敷よりも歳が下だ。零の母である澪との方が近いくらいではある。そんな自分よりも歳下の女に上から目線で色々言われるのは耐え難いものがあるだろう。
しかし、その点において倉敷は寛容だった。
「楔様は昔からああいう感じですからな。とても心強い当主ではございました。私達にとっては、しおらしい楔様の方が違和感のあるというものです」
「ふっ、そうですか」
霰は妙に納得したように小さく笑って頷いた。そんな話が終わる頃には既に本家の敷地に入っており、鷺森家三人は倉敷に荷物運びを手伝ってもらいながら、本家へと入る。
地嶋家のように使用人が出迎えるということはない。その代わり、倉敷が運転手と案内役を兼ねているようだ。靴を玄関に収納させ、スリッパに履き替えさせて屋敷の中へ誘導していく。玄関こそは古い家のかなり広いバージョンといった趣ではあるが、倉敷に案内されて中へ入っていくと、なかなかどうして高級な旅館のようでもあった。
「こちらへ」
ある一室の扉を開けて祖父母を誘う。屋内の雰囲気から少し浮いている扉ではあるが、どうやら以前は襖だったのを変えたらしい。親戚内で盗難などがあるとは思えないが、ここ最近の時代に合わせて多少のセキリュティは更新されているようだ。
零は祖父母と一緒に入っていこうとしたが、倉敷に止められた。
「え?」
「零さんには別室が用意されています。思春期の男の子が祖父母と同じ部屋では可哀想だと、梓様が強く仰られましてね。ここよりは少し手狭となってしまいますが、隣に別室がありますのでそちらへ」
零も倉敷に案内されて一人部屋へと入る。そこは和の屋敷に反して少しばかり洋風であった。少なくとも部屋は畳ではなくカーペットであり、ベッドと机や椅子。洋服を掛けるスペースが少しあるくらいではあった。
零が荷物を置くと、すぐに霰が顔を出して零を呼ぶ。
「零、荷物を置いたらすぐに本家へ挨拶に行くのがマナーだ。倉敷さんが案内してくれるから行くぞ」
「ああ、うん」
零は倉敷に渡された鍵で自室の鍵を閉める。家の中に各部屋で鍵付きの扉があるというのは何とも不思議な感じではあるが、中の広さに驚くばかりでどうでもよくなっていた。
しばらく廊下を歩いて何回か曲がった先に座敷があった。そこは何処となく鷺森家の当主の部屋と似ている。倉敷は襖の前で座り、中が覗けない程度で開けて小さく告げる。
「当主様、鷺森家の皆様をお連れしました」
「どうぞ、お入りください」
返事はすぐに返ってきた。思っていたよりもずっと若く、上品な女性の声だった。いや、それは女性というよりも女子という方が近い。その声を聞いて急に零は緊張してしまった。
「失礼します」
霰が代表して言い、二人は霰に合わせて無言で頭を下げた。頭を上げてから室内へと進み、霰を先頭に後ろへ控える形で祖父と零の二人は立っていた。すぐさま倉敷が座布団を用意して三人の前に置くと、当主である梓は天女を思わせる美しさで三人に微笑み掛ける。
「どうぞ、お座りください」
「失礼します」
着席するや、霰はすぐに新年の挨拶を述べた。
「明けましておめでとうございます。去年は大変お世話になりました。本年も変わらぬご指導とご鞭撻のほどよろしくお願いいたします」
霰が頭を下げるので、祖父と零の二人も続いて頭を下げる。この辺の手順について何も打ち合わせはしていなかったので、とにかく零は祖父の動きに合わせて行動している。それ故に側から見れば、零の動きは少しばかり遅れていた。
気付いていても梓は何も言わずに、三人が頭を上げたのを見計らって挨拶を返した。
「明けましておめでとうございます。こちらこそ、本年も変わらぬご厚情を賜りますようお願いします」
梓もそう言って頭を下げる。お目付け役なのか、前当主である楔は梓の斜め後ろに控えており、祖父や零と同じように何も言わず頭を下げた。
「霰さん。今年も遠路はるばるお越しくださりありがとうございます。そして私の我儘を聞いてくださったことも重ねて御礼申し上げます」
梓がちらっと零を見る。梓の格好は振り袖というわけではないが、着物であることに間違いはない。むしろそれは本家当主の威厳を形にしたようなものであり、本家の家紋が入ったその着物は荘厳そのものであった。しかし不思議なことに、それを纏う梓は威圧的ではなく美しさを出している。気品のある絶対的な美しさを前に分家は平伏していると錯覚させられる程であった。
しかし、零は梓の姿を一度見たことがある。あれは亜梨沙と一緒に梨々香を救い出す時であり、あまり気にする余裕がなかったにしても、あの時より美しく着飾っている梓はまるで別人であった。
「夕食会まではまだ時間があります。準備が整い次第、倉敷を呼びに行かせますので、それまではお部屋でお休みください」
「ありがとうございます。承知いたしました」
本家当主からの指示を承り、霰が頭を下げる。またしてもそれに続いて祖父と零も頭を下げた。そして立ち上がり、そそくさとこの場を後にする。最後に零も出て行こうとした瞬間、梓の声が聞こえた。
「ときに零さん」
「は、はい?」
「後程、貴方のお話もぜひ聞かせてくださいね。私、それを楽しみにしておりますから」
「…………」
梓が向けた笑みは、本家の威厳による微笑みと異なっていた。年相応というか、梓本人が心から向けた笑みであり、何を返したらいいのかわからないほどに上がってしまった零はただ深くお辞儀をして部屋を後にした。
部屋の外で待っていた倉敷の案内で三人は再び、与えられた部屋に戻って待機した。
お世話になっております。夏風陽向です。
久しぶりに後書きを書かせていただきます。
先日、大阪へ行く前に京都へ寄っていきました。清水寺の辺りで食べ歩きをしようと、ね。
車で行ったのですが、これまたまあ大変。
自分を陽向デラックスデラックスデラックスだと暗示をかけ、車ごと一人の人間かのように真ん中を通っていくみたいな感じでした。
さて、現地は外国人が多かったわけですが、なかなか現地の訛りというものは聞けないものですね。
途中で寄った彦根のSAでは訛りを聞けたんですがね。残念ながら京都弁というのを少しも勉強できませんでした。
今後ともよろしくお願いします。