年始の予定
「いや、流石に僕は使えないよ」
零は笑ってそう答える。祖父母は残念がることもなく納得したが、祖父母の反応はそっちのけで、零はふとあることを思い出した。
「そういえば、沙菜さん……今回の件で協力してくれた人。紅ヶ丘女子高の北見さんっていうんだけど、知ってる?」
「ぶほぉっ!」
零がその話を出した瞬間、祖父が咽せた。年齢も年齢なので霰は笑いながら「おいおい、大丈夫か」と言った。祖父は手を挙げて「大丈夫だ」とジェスチャーで伝えた。
しばらくまともに話せそうにないと思った霰は、驚いて祖父を心配する零に説明をした。
「零。北見家はな、この人の生家なんだ」
「えっ!」
零は大声で驚いた。すぐさま祖父を見るが、祖父は少しずつ息を整えながらコクリコクリと頷く。
やがて息が整った祖父は生家の話をした。
「北見は俺の生まれた家だ。俺には兄さんがいて、北見は兄さんが継ぎ、俺は鷺森家に婿入りしたってわけだな」
「祖父さん、昔はすごい呪符使いだったんだぞ」
霰は愉快そうに夫の昔を語る。脳裏には若かりし頃の夫が思い浮かんでいるが、それが零に伝わることはない。祖父も祖父で兄と切磋琢磨した日のことを少しばかり思い出していた。
だが、零の記憶では祖父が何度か呪符を書いて使用しているところを見たことがある。その効果は沙菜ほど派手なものではなく、御守り程度のものではあったが。
「ということは、爺ちゃんも呪符から剣を出したり、炎を出したりしたってこと?」
「炎は使った、基本の術だからな。でも剣は滅法苦手でな」
祖父は笑いながら昔を思い出して語る。
「その点、兄さんは呪符武術が得意でな。俺は属性呪符の方が得意だったから。……とはいえ、あまり詳しいことは話せんな。家出る時の約束だから」
「約束?」
零は首を傾げる。昔話をすることの何がいけないのかわからなかったからだ。しかし、夫の言葉足らずを知っている霰は言葉を足した。
「昔から鷺森家は女が家督を継ぐという話は知ってるな? 近隣住民からは信頼を得ても同業者からは疎まれていた。男尊女卑が当たり前の世の中だったからな、表立っては普通に接してくれたが、裏ではまあ色々言われるくらいだった。そんな中だからな、北見家から爺さんをもらう時に北見家の秘術については明かさない約束をしたんだ」
「あー、なるほど」
「まあ、出ていく先がどこであろうと同業者に術を悟られるわけにはいかんから、そうそう術は使えん。鷺森家は余計にってところだな」
とはいえ、同じように呪符を使う家ならともかく鷺森家はそれに当てはまらない。杞憂だといえば杞憂だが、それはもっと昔。術比べで力を誇示していた時代の名残であった。
話がひと段落したところで、祖父は霰に目配せをする。それは「そろそろ本題に入ったらどうだ」ということを伝える意図があり、霰はそれを正しく受け取った。
霰は咳払いをしてから話の本題に入る。
「零。年始……といえば、何があるかわかってるな?」
「ああ、うん。本家の集まりがあるんでしよ? 行ってらっしゃい」
毎年この時期にこの話はしている。それはその期間になると老夫婦揃って家を空けるので、家事全般を零に任せることとなっているからだ。小さい頃はそうもいかなかったので、遠い親戚やら友人やらに預けていたが、小学校高学年にもなればその必要もなくなったのでそれ以降はこの話をした後に家を任せている。
零はいつものそれだと思っていつも通りの反応をしただけだが、霰は首を横に振った。
「今回はお前も一緒に、だ。本家の現当主・梓殿からお前も連れてくるよう言われている」
「え、僕も? だけど……」
「わかっている。お前が力を使わなければ良いだけの話だ。他の分家も揃っているなかだ、何かあってもお前の力が必要になることはないと思うしな」
「ああ、うん、そうだね」
零が気乗りしていないのは目に見えてわかる。だがこれも鷺森家のためだ。致し方がない。
「お前はこの先、伴侶と共に本家へ行くこともあるだろう。今のうちに慣れておくといい」
「…………」
零と霰は今まで「この先」について話したことがなかった。零も高校生なので何となく鷺森家の将来を考えたことはあったが、普通に好きな人と結婚できるものだと考えている。
当然、霰も零がそう考えているだろうことは何となく察している。だが、零の母である澪の自由恋愛による結婚を許しておいて、孫のそれは許さないという自分勝手さを孫に押しつけるのは何となくみっともないことだと感じてしまっているが故にそこまで深い話が出来ないでいたのだ。
「とにかく、元日は本家で過ごす。そのためのチケットは送られているからな。準備をするんだぞ」
「うん」
落ち込んでいるというわけではないが、今の零には先程までの浮かれた雰囲気はなくなっていた。孫が可愛いあまりに何か声をかけてあげたいと思っていたが、祖父母共にまともな言葉が思い浮かばなかった。
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クリスマスが終われば冬休みまではもう数日しかない。潤、詩穂、亜梨沙には年初の予定を話しつつ、零は他愛もない日々を過ごし、落武者の件が片付いた後も道場に通って稽古を続けていた。
道場は1月6日から稽古を再開するようであった。そこまで本家に滞在するとは聞いていないが、奈月と沙菜には同じように年初の予定を話した。
話をした中で一番食いついたのは沙菜だった。
「へえ、鷺森の家は本家ってのがあるんだ?」
「うん。北見家はないの?」
「北見は東西南北で監視と対処を命じられている家だから、そういうのはない。鷺森家の本家ってどこにあんの?」
「京都って聞いてる。本家は森が守るって字で少し違うんだけどね」
「ふーん? お土産、ちゃんと買ってきてよ?」
「え?」
本家へ行くという話をした時、潤と詩穂はともかく亜梨沙でさえ「気をつけてね」というくらいであったのに、一番付き合いが浅いはずの沙菜は図々しくもそんな要求をした。
そして零の反応に沙菜は深い溜息を吐いた。
「当たり前でしょ? 鷺森あんた、誰が剣術を教えてやってると思ってんの?」
「それは、沙菜さん……です」
「でしょ? わかってんなら、お世話になってる人に土産の一つや二つあってもいいんじゃないの? 二つもいらないけど」
沙菜は得意そうにそう語る。他の女剣士達も稽古に戻ろうとするので、沙菜も立ち上がった。それに続いて零も立ち上がって稽古を再開した。
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さて、零は年始を本家で過ごすことになったわけだが、クリスマスを一緒に過ごした亜梨沙と初詣に行けなかったのかと問われればそうでもない。
鷺森家の出発は早朝。賀詞交換会は夜からなので、零と亜梨沙は年を跨ぐ瞬間こそ一緒にいることが出来た。
それを亜梨沙は少し申し訳なさそうに零を見る。
「零君、朝早いんでしょ? 並ぶことで遅くなることはわかってるのに、私と初詣に来て良かったの?」
「大丈夫だよ。どうしても眠かったら新幹線の中で寝られるわけだし。亜梨沙さんの方こそ、年越しとはいえ夜遅くに外出て大丈夫?」
「お母さんには零君と一緒だって言ってあるから。零君、絶大の信頼を置かれているねー!」
亜梨沙が肘で零の横腹を優しく突く。少し照れくさい零は右手で後頭部を掻いた。
実際、零と出会う前の亜梨沙は自分一人で重度の中二病患者と戦っていたので負担が大きかったが、今は零と協力してやるので負担が少ない。帰る時間も割と健全なので約束を守っている零に対する信頼は厚かった。
年を越した直後だというのに、二人が向かった寺には沢山の人が並んでいた。石段は急な作りとなっており、若者でも走って登っていくのはかなり辛いほどだが、こうして石段に人が並んでいると登っていくのも少しずつなので、時間が掛かる代わりに負担は少ない。
初詣となると振袖を期待してしまうが、流石に亜梨沙は振袖姿でない。白いコートを来て、その中から見える黒いニットが良い意味で年齢に不相応の大人っぽさを出している。
零は不満どころか、大人っぽさを出している亜梨沙にドキドキしているというのが本音だった。