祖母の苦悩
新章です。今回もよろしくお願いいたします。
「うーむ……」
霰は自室の座布団に座り考え事をしていた。
いや、考え事というよりそれは悩み事だった。その原因となっているのが、古びても丈夫である黒い木製の机に置かれた一枚の書状である。
これは本家の鷺守家から送られてきたものだ。書体こそは筆で書いたような字ではあるが、流石の歴史長い鷺守家とはいえ、昨今の書状は全てパソコンで入力されたものとなっている。かつては、字のうまさによって読める読めないがあり、何となくで察することが要されていたが、今やそれもないので各分家にとってはとてもありがたかった。
無論、手書きでないことに不満を覚える者もいるが、それはごく少数なので相手にしていない。
しかし、今回の書状においてはとても嬉しくないものだった。そこには各家に送られているであろうテンプレートの文章と、当主である梓がわざわざ手書きで書き足した文章があったのだ。
『此度はぜひ、お孫さんもいらしてください』
そもそもだが、この書状は毎年の新年に本家で賀詞交換会が行われるので出席をお願いしてきているものだ。お願いと言っても、その実態はほぼ命令。各家はこれに対して拒否権を有していなかった。
霰にとってここでの困り事は、書状の他に新幹線のチケットが三枚入っているということだ。大体は当主と伴侶。そして次期当主となる子を連れてくるのが恒例となっているが、鷺森家には時期当主がいない。本家や他の分家も含め、後継者は必ず女性だと決まっているので零はそれに当てはまらない。
本来では呼ばれることが絶対にないはずであり、本家は零の母である澪が既に他界していることは知っている。書面でもある通り、次期当主とはなり得ない零の出席が求められていた。
ところで、霰が悩んでいる理由は二つある。一つは零の能力だ。遥か昔はどうだったのか知らないが、少なくともここ数十年は鷺森家に男子が誕生しても霊的な能力は少しも持っていなかった。
しかし零は両親を失って以来、残留思念との親和性に目覚め、そして最近ではこの世ならざるものとなった鷺森露から霊力を植え付けられている。そしてこの世ならざるものを葬るその力は鷺森家のそれではなく模造だ。
これが知れたら本家も放っておかないだろう。生と死、今と過去の均衡を保つために零の力は必要不可欠ではあるが、鷺森家は異端。零は異端児として親戚からの目線は辛いものとなるだろう。
つまり、零の力が本家にバレてしまうこと。鷺森家が異端に見られてしまうこと。この二つが懸念だったのだ。
霰としても零が鷺森家の当主になることはないと確信している。鷺森家の地下には代々が使用してきた修行場があり、次期当主はそこに眠る先祖達に認められなくてはならない。男である零が門前払いとなることは火を見るより明らかだからだ。
最悪、チケット一枚を無駄にして伴侶だけ連れていくという手もなくはない。本家から……特に梓の母である楔からは嫌味を言われるだろうが。
そうこう悩んでいるうちに電話が掛かってきた。家の固定電話が鳴っており、たまたま近くにいた夫が取ったようだが、着信の相手は霰に用があるのですぐに呼ばれてしまった。
霰は夫の声を聞き、立ち上がって部屋を後にする。廊下へ出て受話器を取る前に小声で確認をした。
「どこから?」
「本家」
夫も険しい顔をしている。賀詞交換会の案内が来ており、そこに零も呼ばれていることを知ってるからだ。
霰は観念したような顔で受話器を取った。
「お電話替わりました、霰です」
『あら、霰さん。私です、梓です。ご無沙汰しております』
「こちらこそ」
霰にとって梓は孫のような存在だ。かつてはとても可愛がったものではあるが、16歳にして梓は能力が高く当主となっており、すっかり立場が変わってしまったので接し方も変わる。
夏にここへ来た時もそうだったが、梓は少し不服そうであった。
『嫌ですわ、霰さん。そんなに余所余所しくされては悲しいです』
「───わかった。だが梓殿、私に何用かな?」
『そうでした! 賀詞交換会の御案内は届きましたか?』
「ああ、届いたよ。チケットが三枚だったのは気になるが」
『ええ。以前お邪魔した際にはお目にかからなかったんですもの。貴重な同い年ですし、零さんにもぜひ来ていただきたいと思いまして』
「しかし、当主の伴侶でなければ次期当主でもない。異例の召集だろう」
『仰る通り。母にも同じことを言われて反対されましたわ。それでも、ですの』
「…………」
霰にはいよいよ梓の考えていることがわからなくなった。言葉通り受け止めれば、伝統を残しつつ部分的に壊していく梓の思い付きにしか思えない。
「何だ、うちの零と仲良くなりたいという話か?」
『その認識で間違いはございません。それに零さんは澪さんの御子息。どのような方か気になるのも無理はないと思いませんか?』
「ふむ」
霰の懸念事項はある意味、零が全く力を使うことなく隠せれば何の問題もない。零は当主にはなり得ないが、伴侶として本家に行くことは必ずある。ここで本家に慣れていくのも先々のために良いのではないかと思えてきた。
「わかった、零を連れて行こう」
『わぁ、やった! 心待ちにしております。それでは失礼いたします』
梓は霰の反応を待つことなく電話を切った。零には少し申し訳ないことをしたと思ったが、澪がこの世を去ってしまった代わりに零は次期当主に嫁いでもらう男となってもらわなけばならない。
先程まで怪訝そうな顔をしていた夫も微笑んでいる。どのような選択になろうとも異議申し立てをしないという意思表示でもある。
霰はいよいよ、零に賀詞交換会について話さなければならなくなった。
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零が学校を終えて帰る頃にはもう夕飯時だ。いつも通り夕食を食べてから改めて賀詞交換会の話をするつもりではあるが、食卓につく零の雰囲気はどこか浮かれていた。
「零」
「ん、何? 婆ちゃん?」
「ご機嫌だな、何かいいことがあったか?」
「そう? だとしたら、うーん……クリスマスに出掛けたのがとても楽しかったというのと冬休みが近いからかな?」
「ああ、クリスマスか。仲良い女の子と過ごしたんだったな」
「ま、まあね」
零にとって亜梨沙と過ごしたクリスマスは楽しいを通り越して夢心地であった。まだ現実に戻りきっていない雰囲気が霰は少し気になった。
亜梨沙と零の関係がどこまで発展しているかは知らない。だが、本家から期待されている零の役割は鷺森家の次期当主を娶った後に更にその後を育て上げること。亜梨沙が何かしら霊的な能力に長けた人、或いは家系であればその恋愛は成就するだろう。しかし、そうでないのであれば、高校生の間はともかくとして卒業後は諦めてお見合い結婚をしてもらうことになる。
正直これは霰の中でジレンマだった。鷺森の人間として次期当主を用意する使命があるものの、一方で祖母としては零の自由恋愛を邪魔したくない。家の都合を一方的に押し付けるなど、祖母としてはやはり心が痛い。
「零、青春を謳歌するのは素晴らしいことだが、使命は果たせているか? こう言うのは心苦しいが、少しばかり弛んで見えるぞ」
「やってるよ。クリスマス前だって、紅ヶ原の方でこの世ならざるもの達を御神鏡で封印したしさ」
「ほう?」
霰にとって、これは興味深い話だった。鷺森家は御神鏡を使う風習のない家系なので、その使い方はほとんど未知だ。もしも零が鏡を使って封じたのであれば、それは新しい才能の発見となる。
「零は御神鏡が使えるのか?」
祖母が零に問う。気付けば祖父もかなり関心があるようで二人して零に寄っていた。