呆気ない閉幕
「僕は……僕は良くないって思います。被害者からすれば、トラウマになるような恐ろしい体験は忘れてしまったほうが、もしかしたら幸せなのかもしれません」
そこで言葉は止まらない。そこから接続詞が出てくる勢いだとわかっている透夜はそこで遮ることもせず、ただ黙って零の主張を聞いた。
「でも、全ての犯罪は全ての人へ啓発になるべきだと思います。犯人は当然のことながら反省すべきだし、その事件に関わっていない人達も同じことを起こしてはいけない、起こらないように注意すべきだって学ぶ必要があります」
それは零の偽らざる本音だった。自分が関わっていない事件の報道一つみても、人間は過去からの犯罪に対して他人事だとしか受け取っていない。だから似たような事件が起きて、罪人と被害者が増えていく。
だが、もしかしたから報道で聞いた内容を教訓として学んでいる人もいるかもしれない。そんな報道さえなくなってしまえば、犯罪がもっと増えるのかもしれない。
警察は優秀だし、技術の進歩で解決できない事件は確実に減っているはずだ。そんな中でも犯人が見つかっていない、見つからないような事件があるのであれば、それはそれで啓発すべきだと零は考えたのだ。
その考えを聞いて、透夜は否定することなくまずは頷いた。
「そうだな。確かにそうかもしれない。《クリフォト》の事件だって報道されたからこそ、重度の中二病という存在が世に発信され、悪用すれば罪になるのだということも認められた」
零は《クリフォト》の事件がある以前のことはあまり知らない世代だ。実際のところ、それ以前は重度の中二病という存在は世に秘匿されていた。今も全てが公開されているわけではないし、人々が恐怖による疑心暗鬼になっても困るので、そこまで強く認知させるわけにもいかない。少し難しい問題ではある。
透夜にとっては零の言わんとすることもよくわかる。だが、その意見はあまりにも「若過ぎて」いた。
「だが、そんな事件ですら面白おかしくする存在がいる。今回の件なんかは特にそうだ。マスコミは間違いなく事件が解決しきれていないことをネタにするだろう。犯人が判明していない、捕まっていないということは、いずれ同じ被害者が出る可能性があるということでもあるが、今回に限って言えばそれはない。だから『忘却』させた方がすべて丸く収まるんだ」
「…………」
零は透夜の「丸く収まる」という言い方が少し気になった。それではまるで、無理矢理に納得させようとしているような気がしてならないのだ。
しかし、それこそが透夜の狙いだった。
「そう、現に大人は出来るだけ穏便に済ませることを望むんだ。今回は『忘却』が適切だと判断した。だから君も今回の事件に直接関係することはいずれ思い出せなくなるだろう。しかし、重度の中二病患者と関わっていく以上はこういった『忘却』で片付けるケースもある。それを頭の片隅に置いておいて欲しい」
透夜はそう言い切ると、残った飯を黙々と食べ始めた。零もそれに倣って食事を再開させる。零には色々聞きたいことがあったものの『忘却』のことで頭がいっぱいになってしまい、それ以降は何も話せなかった。
ただ一つ、零の本音としては詩穂のことも聞いておきたかった。余計なお節介かもしれないが、近くにいれる状況にあるのに近くにいない状況は何とかすべきだと考えている。それについて、透夜自身はどう思っているのか聞きたいと思っていたのだ。
しかし、最早そんなことを聞ける空気ではない。『忘却』のことも頭に入れながら、空気をぶち壊して聞いてしまうかどうか悩む。
そうこうしているうちに食事を終え、結局は話すことも出来ずに零は帰宅したのだった。
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事件の終幕そのものはとても呆気ないものとなってしまった。
透夜が言っていた通り、零は事件について思い出せなくなっていた。より厳密に言えば、事件の概要だけを思い出せなくなっていたのだ。
友香に意見を求めたこと、透夜と伊塚勇の残留思念から話を聞いたこと、詩穂と地嶋家に訪れたこと、奈月のもとで剣術を学んだこと、沙菜と出会って一緒に落武者を封じ込めたこと、亜梨沙との仲違いと仲直り……それらのことはしっかりと憶えているのに「何故そうなったか」という根本的なことを思い出せない。
納得出来なければ思い出せるまで考えるかもしれないが、これについて透夜から予め聞いていた零は「これが言っていたことか」という解釈で深く考えるのをやめた。
それに零にはもっと気にすべきことがあった。事件が片付いてからまもなくクリスマスを迎えたからだ。それはつまり、亜梨沙との約束を果たすタイミングであり、そこに向けて悩みに悩み抜いてプレゼントを選んだ。
さて、そんな二人がどんなクリスマスを過ごしたのかは、二人のプライバシーを尊重して記さないでおこう。
ただ一つ、記しておけることがあるとすれば、亜梨沙にとっては「幸福」と感じるような日となり、零も抱えたトラウマを全て忘れ去ってしまうほどに楽しめたのだった。
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世間の人々が年の瀬に浮かれている頃、友香は気怠そうに取調室の椅子に腰掛けた。零相手にしか何も話さないと決めた彼女ではあるが、その場に座ることを拒めるわけではない。座って呼び出した刑事の顔を見て訝しげな顔をした。
「いつも通りと思いきや違うじゃねーかー」
「そう言うが、お前は元から捜査に協力的ではないと聞いている」
「ふん」
友香は鼻で笑った。それは皮肉を込めたものである。
黒山親子のような何かしら特別な能力を持っている場合を除き、普通は重度の中二病患者であっても他の重度の中二病患者を認識できることはない。
しかし、黒山親子の場合意外にも重度の中二病患者同士がお互いの能力に気付く場合がある。それは、同系統の能力を持っている場合だ。
例えば、かつて透夜は「色シリーズ」の能力を有していたため、他色の能力者に気付くことが出来たし(そもそも幼少期に同じ施設で育っているので既知であるが)かの有名な《クリフォト》においても、元々別々だった存在が一眼見ただけで「邪悪の木」に属する能力だとわかることが出来た。
そしてそれは、友香のような「愛シリーズ」でも同じことが言える。友香は『友愛』であり、そして目の前に座る刑事の持つ力が『割愛』だとすぐに気付いた。
「しかしなー、どういうことだー? あたし達は《クリフォト》みたいに結託しているわけじゃねーけどよー、警察側に能力者がいるってどういうことだー?」
彼の名は『割愛』の一ノ割。名前ではなく、苗字に含まれているパターンだ。一ノ割は友香の質問に対してうんざりしたような表情を浮かべながら答えた。
「俺の能力は話が早い。警察はお前の態度に痺れを切らした」
「ほーう? そりゃつまりー、あたしから話を聞くのを諦めたってわけかー?」
「そういうことだ、残念ながら」
一ノ割がここに来たのは、今ここで能力を使うからではない。彼は『忘却』と同様に広い範囲を対象に能力が発動する。
つまり間も無く、全ての話を聞き終える前に「友香の有罪」が決まるというわけである。聴取や捜査のような「大切な過程を省いて」結果だけが友香に突き付けられる。
「恋悟っていったっけなー。アイツが大して調べられずに判決が決まったのもお前の仕業ってわけかー」
「…………」
一ノ割は困り顔で頷く。一ノ割としては、やはりちゃんと捜査して確たる証拠を提示し、罪に問うべきと考えている。
しかし、一ノ割がどう思っていても組織の命令となれば従うしかない。今回も本心は嫌がりながら指示に従う形だ。
友香は深いため息を吐いて独り言を呟いた。
「じゃーなー、鷺森零。お前と話すのー、とても楽しかったー」
その呟きが本人に届くことも無ければ記録にも残らない。翌日、友香が関わる事件に関する調査などが全て『割愛』され、殺人教唆の罪で無期懲役がほぼ確定となった。