青零
零が持つ携帯電話には斬った相手の能力を保存しておく能力がある。大抵の能力は使い切りのものであるが、今回呼び出した能力はその限りでない。
『救ってやれ、あの憐れな男を』
背後からそんな声が聞こえたような気がした。それは愛した女との未来を歩むことが叶わずこの世を去った男の声。その男から託された能力が、零に新しい力を授けた。
「止めよう『青零』」
零がそう呟いた瞬間、ピンク色の携帯電話は姿を変えた。《妖刀・現》ではなく『黒零』の漆黒刀や『黄零』の月光刀でもない。それは氷の軍刀だった。
今までよりもやや威力が劣りそうなその見た目に落武者は笑った。
『くかか! そのような貧相な得物で何かできる!?』
落武者が零に向かって刀を振り下ろす。しかし『青零』は片手で握った軍刀をそっと前に出し、落武者の一太刀を受け止める。
直後、刃を伝って落武者の刀が凍りつき始めた。それは腕をも凍りつかせ、それに気付いた落武者は一度後退した。
『な、なんだこれは!?』
「貴様の怒りは理解出来る。だからこそ、封じ込めるのだ」
『青零』は『黒零』と同様に性格も変容させた。『黒零』のそれは零の秘めている怒りや凶暴性が前面に出るが『青零』は頑固さや芯の強さが性格として出ている。
その変わりように落武者は唖然とするが、すぐにそれどころではないことを思い出し腕を振る。
『ええい! ええい!』
腕を振っているうちに氷は砕けていく。そして砕けきってないうちに落武者は再度『青零』に攻撃を仕掛けた。
もうそこに手加減はない。落武者は余裕を失い、怒りのまま刀を振るう。
だが一方で『青零』は焦りを見せない。それどころか冷静に冷ややかな顔で落武者の攻撃を片手の軍刀で受け流し続けた。
落武者は全力を出しているが、なかなかに『青零』を追い詰めることが出来ない。使う能力や雰囲気が変わったとはいえ、ここまで「強くなる」ことは解せない。
『何故だ! 何故、某は貴様を倒しきれん!?』
「わからないのか?」
『何……!?』
落武者は怒りで余裕を失っており気付けていないが、側から見れば落武者の動きは「あからさまに遅くなって」いる。速度を失えば衝撃も失われる。だから『青零』は落武者の攻撃を簡単に受け流していたのだ。
「今度はこちらから行くぞ」
『青零』は自分の周囲に氷の刃を発現させた。それは刃と形容するには少しばかり足りない。それはまるで、腕がなく氷の刀を浮かせている阿修羅のようであった。『青零』が落武者に向かって刀を振るうと、それに追従して氷の刀達も落武者を斬ろうと動く。
『ぐぬっ!?』
落武者はまず『青零』の攻撃を受け流した。直後、氷の刀が次々と襲ってくるが、それもなんとか刀で斬り落とす。しかし、動きが遅くなっている落武者には対処できる限度というものがあり、霊力を帯びた氷の刀は落武者に対して確実にダメージを与えた。
『なんということだ……しかし!』
落武者は再びニヤッと笑った。何故なら御神鏡から解放されて時間が経過しており、ここに封じられていた他の怨念達が奥の扉から出てきたからだ。
『この世に未練残せしは某のみにあらず。この場を守れなかった者達、そしてこの場に住んでいた者達も全て生者である貴様らを羨むだろう』
「……貴様は、貴様もこの世に未練があるのか?」
『当然だ。某もまた、好いておった女を守ることができなかった』
それは落武者の後悔だ。彼は役割上、ここに滞在することは許されておらず、普段はここより少しばかり離れた城で仕えていた。
それもこの地を守るためであり、もっと言えば守りたいと思った女性を守るためでもあった。
しかし、落武者が仕えていた城を狙っていた敵軍により、領地であるこの地も戦の場となる。それを悟った落武者はすぐにこの地へ赴き応戦するも多勢に無勢で全滅に追いやられてしまった。
それだけなら、もしかしたらこうして恨みを持ち現世に留まることはなかったかもしれない。愛した女を目の前で嬲られたことこそ、落武者の怨念が生まれ強まった原因である。
『生者であるが故に人は醜い感情を、言動を有する。某と同じ死者となれば劣悪な世なぞ消え去る。貴様のような若造に某の言うことなぞわからんだろうがな』
「……醜い感情を持つ人間にうんざりする気持ちはわかる。だが、それでも僕は貴様らを止めなくてはならない」
『くかか! 貴様にもわかるだろう、この地に溢れる怨念の数々! 既に手遅れよ!』
「いや、そうは思わんな」
『青零』は軍刀を持って舞い始める。軍刀が描く軌跡からは凍てつく霊気が放たれ、人の形をした怨念達にそれが当たると片っ端から凍り付き動きを止めた。
『………』
氷の舞はあまりにも美しく、男が舞っているとわかっていてもつい見惚れてしまう。落武者が我に返った時には既に殆どの怨念達が凍り付いて動きを止めていた。
『はっ!? 貴様、いますぐその舞を止めろ!』
落武者が『青零』に斬りかかる。しかし、氷の刀たちに遮られ、斬り落としていくものの斬った先から落武者も凍りついていく。
『くっ!』
「…………」
『青零』は勢いを落とすことなく、そのまま落武者を軍刀で切りつけた。霊力が通った氷の軍刀は落武者を葬るのではなく、凍り付かせて完全に動きを停止させた。『青零』の力は敵を倒すものではなく、氷に閉じ込めて時間を止めるもの。幸せな瞬間を永遠に閉じ込めようとした男が残した一つの救いだった。
直後、必要なものを揃えて沙菜が戻ってきた。目の前の状態に驚きつつも警戒し、唯一凍らずに残っていた『青零』と目が合った。
「……鷺森?」
沙菜から見て、そこにいたのは雰囲気から柔らかい鷺森零ではなかった。姿こそは零なのだが、雰囲気がどうも他人のように思えてならない。
「僕は僕だ、沙菜さん。それよりも封印を」
「あ、うん。わかってる」
沙菜は右手に錫杖を持って鳴らしながら奥の扉に近付き、いくつか呪符を貼った。そして本来御神鏡が設置されていた場所に鏡をはめ込んで離れると、左手に別の呪符を持って錫杖を鳴らしながら何かブツブツと呪文を言う。
すると、御神鏡は光出して『青零』が凍らせた怨念達を吸い込み始めた。大きな風が発生し、沙菜も足元がふらつくが錫杖で何とか踏ん張り、落武者を含めた全ての怨念が吸い込まれると、急激に辺りが静まりかえった。
「……はあ。なんとか封印出来た」
「うん」
『青零』は能力を解除し、氷の軍刀はもとのピンク色の携帯電話に姿を戻した。すっと雰囲気がいつもの零に戻るので沙菜の頭は少し混乱した。
「えっと、鷺森。そのよくわからないやつは何?」
「よくわからないやつ?」
「なんかこう、雰囲気変わるやつ。それに刀だと思ってたのがガラケーに姿を変えたり、非科学的すぎるだろ!」
「それを言えば、沙菜さんのお札だってそうじゃない? 火が出たり刀が出てきたり……似たようなものでしょ」
「全然違うし。まあ、いいけど。それよりあんな氷の彫像にする能力あるなら、この封印に拘らなくてもいいんじゃない?」
「いや、そうでもないよ。あの力は本当に一時的なものに過ぎないから、いずれは氷が溶けて大変なことになっていた。ちゃんと封印ができたようで良かったよ、ありがとう沙菜さん」
「別に、私は自分の役割を全うしただけだから。むしろ封印に至るまでお膳立てしてくれたあんたには感謝しないとね。ありがと」
「ど、どういたしまして」
沙菜はどこか恥ずかしそうにお礼を言うものだから、零は彼女の知らない一面を見た気がして驚きを隠せなかった。
「……何?」
「ナンデモナイヨ」
ともあれ、こちら側は無事に解決である。すぐにでも詩穂や亜梨沙と合流したいところではあるが、少しばかり時間が掛かる。
沙菜と別れてあちら側は行こうかと思った矢先に零のスマホが鳴った。画面を確認すると、電話を掛けてきた相手は長瀬だった。