零の集中
『ふん、何かと思って近寄ってみれば、貴様はあの時の童ではないか』
零が握っているピンク色の携帯電話から落武者の声が流れてくる。どうやら中沼奈美の残留思念と話しているところに『くかか』と笑いながら割って入ったようだ。零の経験上、割って入ってまで会話しようとするこの世ならざるものはそう多くない。
「やれやれ、あと少しで中沼奈美さんの残留思念から手口を聞き出せるところだったのに」
『くかか、それは残念だったな! ここに某が現れてしまったが最後。運の尽きよ!』
今の零では落武者を倒しきれない。それは自他共にわかっていることだ。しかし、今回の落武者も零と遊ぶ気満々のようだ。
これは三人にとって撤退せねばならない事態である。零の背中には冷たい汗が流れていた。
───何も考えなしであれば、だが。
「いいや! ここで現れたのはむしろ幸運だ!」
『何?』
「アリサ⭐︎チェンジ」
亜梨沙は事態が「狙った方向に進んでいる」と認識し変身した。すぐさま黄色のフルーレを老婆に向け「ミラクリウム・チャージ」を始める。
『何かと思えば、ただの見せかけか! 舐められたものよ!』
「それは、どうかな?」
魔法少女ミラクル⭐︎アリサの黄色い光が溢れ、それは流れ星のようになって零に命中する。
零の携帯が光だし、刀の姿へと変わる。
「いくよ、『黄零』!」
零の刀は月光の光を放ち優しく輝く。それは鷺森家の能力に限りなく近いものだった。
『ふん、以前よりは骨がありそうだな。しかし、某には叶わぬ!』
落武者はそう言いながら刀を振り下ろす。それに対して油断することなく対応した零は一度受け止め、流すように攻撃へと転じた。
落武者の刀を横に弾き、そのまま胴を狙って横薙ぐ。何とか躱そうと落武者は後退するが、間に合わず刃先がへその辺りを撫でるように切断した。圧倒的な切れ味に落武者も笑わずにいられなかった。
『くかか……くかかか! 貴様、見違えたぞ!』
「…………」
『遊ぶとはもう言わぬ。貴様の努力に応え、全力でお相手しよう』
落武者が再び刀を構える。斬られたところは修復などしていないが、何もダメージなど感じさせない。零は直観的に奈月が助けてくれた時と同様に凄まじい剣戟が繰り出されるのだと悟った。
『いざ、参る!』
落武者はすぐに零と拒否を詰め、右上からの袈裟斬りを放つ。それに対して零は反応するのではなく、落武者の動きから攻撃の型を予測し防御姿勢を取った。
刀が振り下ろされる。その斬撃は予想通りの線をなぞり零の刀に当たるが、その衝撃は強く手が痺れる勢いだった。
厄介なことにその攻撃は落武者に取って特別な一撃ではない。単なる初手の攻撃に過ぎず、すぐさま別の違う角度から刀を振るい零の命を狙ってくる。
刀の振り方は奈月と異なる。だが、奈月との特訓が少しだけ実を結んでおり、反射だけに頼らず予測に集中できているため攻撃をしっかり受け止めることが出来る。ただそれも時間は限られており、集中力はいつか切れるし攻撃を受け止められていても威力までは受け流しきれておらず衝撃は確実に零の力を削っていた。
「くっ!」
攻撃に対する予測だけ集中していればいいというわけではない。霊力を刀に込めて『黄零』の真価を発揮しなければ落武者とは渡り合えない。受け流すようタイミングを見計らい攻撃に転じた直後、鷺森露に植え付けられ、日々の鍛錬と経験で開花した霊力を刀にこめて月光の力を強める。この世ならざるものを『鎮める力』を持つ『黄零』の横薙ぎは見た目以上の威力を発揮し、攻撃を受け止めた落武者は威力を殺しきれずに一歩下がった。
『なに!?』
「いまだ! アリサさん!」
「スーパーミラクル⭐︎アリサマジック!!」
フルーレの剣先に集められた黄色の光が光線となって放たれる。その先には咲枝を牽制していた詩穂がいるが飛んで躱し、狙い通りに咲枝と命中した。
「わあああ!」
老婆の悲鳴が聞こえる。しかしそれは痛みに悶えるものではなく、眩し過ぎる光に驚いた声だった。ミラクル⭐︎アリサの魔法『奇跡』により、咲枝と落武者の繋がりは絶たれ、そして落武者と御神鏡は咲枝を置いてどこかへ転送された。
『き、貴様!? 一体何───』
声は最後まで届くことなく、この場から存在が消え去る。御神鏡を失った咲枝は周囲に落としてしまったのではないかと錯覚してその場をぐるぐるしている。
「アリサさん! 打ち合わせ通りに!」
「わかった!」
ミラクル⭐︎アリサはフルーレの剣先を零に向けて黄色の光弾を当てると、零も落武者を追ってここから姿を消した。すかさずミラクル⭐︎アリサと詩穂は咲枝を挟んで自首を勧告する。
「おばあさん。自ら罪を告白して、罰を受けませんか……?」
「嫌だ、嫌だ……。私はまだやりきっとらん。私の憎しみはまだ終わってない」
「いいえ、もう終わりです。これ以上、行方不明者を出させない」
優しく勧告するミラクル⭐︎アリサとは異なり、詩穂は厳しく言い切る。いかなる理由があっても、咲枝のしたことは許されない。詩穂はこのまま漆黒の帯で老婆を拘束することも考えていた。
「地嶋は女を平気で捨てるような会社よ。私はこれ以上、悲しむことがないように救ってるだけ。お前たちも使い捨てられてしまうぞ?」
老婆の言葉は根拠のない戯言だ。だがそれは一種の説得力を持っており、聞いていると何だかそれが正しいかのように思えてくる。
これが老婆……咲枝の能力だ。声という音に根拠のない説得力を乗せ、それが正しいこと、正義なのだと思わせる。実際、詩穂は薄い『漆黒』の膜で自分を守っているので何の効果も現れないが、音に対して警戒していなかったミラクル⭐︎アリサは老婆の思想・行動が間違っていなかったのではないかと思い始めていた。
「そう。これが貴女の能力なのね」
詩穂はそう冷静に呟いてから『漆黒』のオーラをミラクル⭐︎アリサに向けて放つ。そのオーラは亜梨沙の変身をも吹き飛ばしてしまったが、咲枝による能力の効果も吹き飛ばした。
「ちょっ! あぶなっ!」
自分の思考が危ういところに行っていたと自覚した亜梨沙はついそんな言葉を口にした。それに対して老婆は笑う。
「ふふ、そうか。見破られたか。黒いお嬢さん、だがそれでいいの?」
「何が?」
「孫から聞いている。可哀想に……地嶋によって家族をめちゃくちゃにされたんだろう?」
「何を……!?」
詩穂の警戒が解かれたわけではない。だが、老婆のことに動揺しているのもまた事実だ。亜梨沙は冷静にそれを見逃さずじっと詩穂を見た。
老婆は詩穂を憐れみながら話を進める。
「お前の父親は地嶋の社員だが、一方で娘であるお前とは暮らしてない。孫から聞いたのはその程度の話だが、地嶋のことだ予想はつく」
「予想?」
「お前も気付いているだろう? お前の父を家に帰さないのは地嶋の孫娘であると。孫娘の横恋慕がお前の家族をめちゃくちゃにしている。違うか?」
「それは……」
違うとは言えない。詩穂はこの世で誰よりも沙希のことを尊敬しているが、そんな沙希が透夜に対して昔から恋心を抱いており、今の立場を利用して離すまいとしていることを知っている。
詩織と顔を合わせることに対する透夜の怯えが一番の原因ではあるが、実際のところ沙希も原因の一つになっている。だからこそ沙希や奈月は詩穂に対して申し訳なさそうにするのだが、詩穂にとって老婆の言っていることが全てではない。
「貴女にとって、私が沙希さんの為に動いているのが理解できないでしょうね」
「わからんな。利用されていることに気付かないほど馬鹿だというわけでもないだろう?」
「確かに都合が良いかもしれないわね」
「うん」
「でも、地嶋家が父を拾ってくれたことで母と私は今日も生きながらえている。普通、高校生の時分で恋人を孕ませた男が、たった十五年で妻子を養えるだけの収入を得られるわけがないから。私達親子は地嶋家に感謝こそすれど、恨むことなど出来ないのよ」
「…………」
老婆は小さく溜め息を吐いて、近くの椅子に腰掛ける。どうやら日頃からその椅子を使っているようだった。
「私には理解できんな。だが、人の善意に対して素直に感謝できるのは大事なことだねえ」
老婆は天を仰ぐ。すっかり暗くなって冷え切った空気の中、星を見上げて老婆は語る。
「私も……彼のことを信じていたんだがね」
いつのまにか家の中へ腰掛けなどを取りに行って戻ってきた亜梨沙から羽織や膝掛けを受け取り「ありがとう」と優しい笑顔で言ってから、二人の少女に自分の過去を語り出した。