様子がおかしい残留思念
零が鞄を取りに行った後、二人で校門の方へ向かうと、この寒空の下で白い息を吐きながら詩穂が待っていた。とても儚げに佇む彼女は、二人の存在に気付いて小さく頷く。
「どうやら首尾よくやったようね」
「なんだか言い方が少し無機質な気がするけど……。見ての通り、亜梨沙さんと仲直りできたよ」
「……ともあれ、これで決着をつけられるのでしょう?」
「うん」
零は力強く頷いた。亜梨沙の協力は長谷川咲枝・落武者のコンビを倒すために不可欠な要素ではあるが、実のところ「行方不明者を御神鏡に閉じ込める手口」についてはまだ確認していない。決着をつけてしまいたい気持ちは山々なのだが、まずはそこの確認をする必要がある。
「黒山さん。まずは中沼さんの帰り道を見に行こう。以前見た中沼さんの残留思念には悪意がなかったけど、今はどうなのかわからないからね」
「ええ。行きましょう」
三人は頷いて歩き出した。
ちなみにだが、今この場所に潤はいない。彼は零と亜梨沙の仲直りを確信していたが、仮に仲違いで終わってしまったとしても決着に向けた作戦が成り立たず諦めざるを得ないと展開を読んでいた。
零の健やかな心身が害される可能性を感じるのであれば口を出すが、そうでないのであれば関わらない。彼には彼で今回の件とは別に対応しなくてはならない案件が沢山あるのだから、今回の件に首を突っ込む余裕がなかった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
冬だということもあって日が短い。三人が中沼奈美の帰り道を辿る頃には殆ど暗くなっていた。地嶋グループの支社ビルを通り過ぎ、少し歩いたところで詩穂が立ち止まった。
「この辺よ」
「わかった」
普段、零は「場所に限定した残留思念」というものを視ているが「地続きになっている残留思念」は危険が潜んでいるから視ないようにしている。
例えば、建物の中のように障害物の位置が殆ど固定されているような場合であれば問題はないが、道路は人の往来がリアルタイムであれば車の移動もあるので「歩きながら残留思念を視る」というのはかなり危険が伴うということである。
しかし、今回においては地続きになっている残留思念を追う必要がある。そこに伴うリスクは予め話しておかなければならない。
「これから残留思念を追うけど、二人にお願いがある」
「…………」
「僕はこの場所に残って地続きになっている、中沼さんに関わる記憶を視ながら道を歩く。それはつまり、今現在ここを歩く人達や車が見えなくなるってことでもある。だから二人には、僕が危険に突っ込む瞬間、しっかり止めて欲しい」
「うん、わかった!」
零のお願いに対して強く頷いたのは亜梨沙だった。正直なところ、零と視覚共有をしたことがあるというわけではないので、零が危惧していることの具体的なイメージはあまり出来なかった。
だが「リアルタイムの人や車が見えなくなる」ことだけわかっていれば対処が出来る。
「……行くよ」
二人が頷く。そして零は意識を残留思念へと集中し、ここを往来した数え切れない人々を眺めては目を離しつつ、中沼奈美を探した。
そして彼女は簡単に見つかる。むしろ難しいのはここから先だ。この案件に中沼奈美が関わっていたとしても退勤している度に関わっているというわけではない。取り敢えずは中沼奈美を追って分岐を見ていくしかないように思えるが、零にはちょっとした考えがあった。
ピンク色の携帯電話を胸ポケットから取り出し、視えている中沼奈美へと着信を掛けた。
『……はい?』
「中沼さん、今日はお祖母さんに会うご予定がありますか?」
『ない』
「わかりました」
そして通話を終了させる。祖母の元へと向かう中沼奈美と遭遇するまで、ひたすらこのやり取りを繰り返した。その中で零は中沼奈美の受け答えにバラツキがあることを気付いたが、今はそこを気にしている場合ではないと考え、繰り返した。
そうしていくうちにようやく探し求めていた残留思念を見つけた。祖母へ会いに行く時の中沼は受け答えが弾んでいたが、一旦は通話を切って追うことにした。
一度は携帯電話を介して会話するものの、過去を改変する力はないので残留思念は何事も無かったかのようにその過去を辿る。そんな彼女を追って歩き出すが、歩行者用信号機のズレによる赤信号やリアルタイムで往来する人達に突っ込んで行きそうになったりと零が最初に言った通りの危うい動きをしてしまうが、その度に詩穂と亜梨沙で止めたり押したり引いたりで何とか危険を回避した。
途中、電車に乗って移動する場面もあったが幸いなことにダイヤグラムで管理されている電車にはズレがなかった。人身事故などによる遅れが発生しなかったことは特に幸いだった。
改札機でも人とぶつかりそうになるが、そこも二人がカバー。側から見れば、零は「高校生にもなって前方の注意ができない人」に見られてしまうが、残留思念を追っている零はリアルタイムでの他者からの視線など全く感じなかった。
やがてとある民家の前でピタリと止まった。その家はまともにリフォームをしていないような歴史を感じさせる外観の家だったが、零にとっては広さの違いだけで鷺森家と大して変わらないように感じていた。
一度、残留思念から意識を離す。
「っと、ここは……」
改めて辺りを見回してみると、例の城跡からかなり近い場所まで来ていた。暗くなっても周囲の民家は明かりを灯していないので、おそらくは空き家が殆どなのだろう。
亜梨沙が首を傾げる。
「零君の能力を疑っているわけではないけど、本当にここなの? 確かにこの家は周りと家と違って人が住んでいる感じがするけど、むしろ周りから気配がしなくて少し怖い」
亜梨沙の疑問はもっともなもので、零は頷いた。
「うん。恐怖心を煽りたいわけじゃないんだけど、この地域はこの先にある城跡を中心に人が住まないようになってる。これはこの辺で有名な怪談話と関係があって、城跡から逃げるように民家が離れているのが特徴的なんだ」
「か、怪談話……?」
「ああ……」
零は今回の案件と作戦を亜梨沙に話したが、怪談話の詳細まで話していなかった。話すべきなのだろうが、亜梨沙の雰囲気から察するに、今は怖い話に対する耐性が無さそうだった。
「怪談話については全て終わってからにしようか。それより、中沼さんと長谷川咲枝の接点があることはわかったけど、中に入ってみないと具体的に何をされているかがわからないな……」
「探りたい気持ちはあるけれど、流石にそれは不法侵入になって私達が犯罪者となってしまうから却下ね」
冷静に詩穂が突っ込みを入れて無茶を排除する。そして右手の人差し指を天に向けて、ある提案をした。
「取り敢えず、この場から離れる中沼奈美を視てみたらどうかしら。何かわかるかもしれないし」
「ああ、そうか。そうだね」
零は頷いて再び残留思念へと意識を向ける。面白いくらいにこの場所はあまり往来がなく、せいぜい公共道路の管理を目的とした調査員や電柱を管理する電力会社の作業員くらいのものだ。それとは別に長谷川咲枝が出入りする姿も見えるが、出ていく中沼奈美を見つけたので、再びピンク色の携帯電話で通話を掛ける。
『……はい』
「中沼さん、聞きたいことがあるんですけど」
『誰?』
「僕は鷺森零。貴女の祖母である咲枝さんとどんなお話をしたのか教えて欲しくて」
『え? お祖母ちゃんの話?』
中沼奈美の残留思念は要領を得ていないようなとぼけた顔をしているが、零は残留思念との親和性を強く持っている特性がある。零を前にして残留思念は隠し事など出来ない。
『お祖母ちゃん、復讐がしたいんだって』
「復讐? それは地嶋グループに対して」
『うん。お祖母ちゃんは昔、地嶋会長と付き合っていたことがあったらしくて。すごく好きだったのに、相手の都合で捨てられたんだって』
「…………」
『お祖母ちゃんの若い頃は結婚しないっていう選択肢が無かったから、最終的にお祖父ちゃんと結婚したんだけど、お祖父ちゃんは暴力を振るう自分勝手な人だったらしくて。早死しちゃって会ったことがないから、私はわからないけど』
「だからって、同僚に被害を受けさせるのが中沼さんのやりたいことなんですか?」
『被害? お祖母ちゃんは同じように捨てられないよう、守っているだけだよ』
「守っている? 閉じ込めることが?」
『そう、私の大事な仲間を守ってくれる。それが地嶋会長への復讐になるんだって、言っていた』
「中沼さん、それはおかしいって思わないんですか?」
『思わない。だって、私もそれが最善だって思うから。私はただ、仲間をお祖母ちゃんに会わせるだけ。あとは大丈夫だって』
「…………」
零は直感的に洗脳に近い何かを中沼奈美の残留思念から感じた。これ以上、長谷川咲枝の異常性を説いたところで、彼女は何も理解しないだろう。大抵の残留思念は自身の行動によって生まれた結果を知ると何かしら反応を見せてくれるが、中沼奈美の残留思念は冷静に結果を受け止められるような精神状態ではない。零にとって初めて遭遇するパターンの残留思念だった。
「っ! 鷺森君!」
より考えを深めていこうとした直後、何者かに名前を呼ばれたかと思うと激しく身体を動かされ、残留思念から意識を無理矢理剥がされた。
「……ん?」
意識が現代へ戻る。気付けば腕を詩穂に掴まれており、詩穂と亜梨沙の二人の様子を見ると、城跡へ向かう方向を見て警戒していた。
視線の先を追う。そこには御神鏡を三人に向ける老婆の姿と既に抜刀している落武者の姿があった。