そんな暇があるのなら
皆が膠着した中、真っ先に口を開いたのは意外にもこの中で唯一十代である詩穂だった。
「私は今日のことを鷺森君に話しておきます。長瀬さんと鷺森君の付き合いを考えれば、もしかすると既に話を聞いているかもしれませんが」
詩穂は沙希と奈月に向けてそう言った後、最後に父である透夜の方をジッと見た。父に対しての眼差しは「あんたはどうするの?」と今後の行動を問う意図があり、それを透夜は間違えることなく察知して答えた。
「俺は中沼さんをマークしよう。出勤時に痕跡を確認するのと退勤後の動向を調べようと思う」
「出社時はともかく、退勤後の動向って尾行でもするつもりかしら? そんな余裕があるの?」
そう突っ込みをいれたのは娘の詩穂だ。彼女は普段、無関心を貫いているものの何故か父親のこととなると突っ掛かる傾向がある。故に公正な見方を出来る沙希と奈月が詩穂を宥めることもあるのだが、今回は二人とも何も言わず、続く詩穂の言葉を待った。
「これも仕事なのだからやるしかないだろう」
「本当にその手しかないのであれば私は何も言わない。でも、中沼奈美さんの帰宅ルートさえわかっていれば、鷺森君が長谷川咲枝との接触があるか見ることができるわ。そっちの方が短時間かつ確実なはずよ」
透夜が持っている「見ただけで重度の中二病患者かわかる」という能力は、重度の中二病による能力が使われた痕跡を見ることもできる。見るだけでわかる分には中沼奈美の出勤時に「話しかけることなく一瞬で」わかることができるので大きな手間も掛からない。
しかし、退勤時の尾行は別だ。すぐに長谷川咲枝との接触をしてくれればいいが、根気強く待つ必要があるだろうし、仮に接触したとしても単純に「孫が祖母に会いに行っただけ」という結果に終わる可能性もある。
それを考えれば、確かに零の残留思念を見る能力の方がこの場は有効だ。たった一晩でその真相を探ることはできるし、何よりも中沼奈美が警察による任意での捜査協力をしている間、本人がいない状態でも探れるという点はかなり大きい。
詩穂の言葉に沙希が頷いた。
「今回は詩穂ちゃんの言う通りだと思うわ。透夜は中沼さんの出勤時を確認。奈月と一緒に警察の捜査に協力してあげて。警察の捜査次第では一気に解決となる可能性もあるから、状況に合わせて動けるよう心構えを」
沙希からの指示を受け、奈月と透夜の二人は頷いて了解の意を示した。それから沙希は少し柔らかい表情へ変えると、詩穂には優しくお願いをする。
「詩穂ちゃん。鷺森君と協力して引き続きお願いね」
「……はい」
詩穂は沙希にとても懐いている……というより、崇拝しているような節がある。その証拠に沙希への返事は少しばかり誇らしげに思っているような感情が窺えた。
「今日のところは解散にしましょう。お疲れ様」
沙希より解散宣言が出されてすぐに動いたのは透夜だった。ミーティングルームから出たところを詩穂は逃さず追いかける。廊下でその背中を確認し、詩穂は透夜を呼び止めた。
「ちょっと!」
「ん?」
娘が呼び止めているのだとすぐに悟った透夜はすぐに振り返ってまっすぐ詩穂を見た。しかし透夜の表情も相変わらず真顔であり、父の反応としてはとても褒められたものではない。
しかし、一方で詩穂もそんなことを気にするような人間ではなかった。彼女にとって、父へ伝えたいことはただ一つだからだ。
「そんな暇があるのかって言ったのは、別に仕事の効率について言ったわけではないのだけど」
「…………」
透夜は少し困った顔をした。娘が何を言いたいのか、それがわかるからだ。
そして詩穂にも父がわかっているということをわかっている。それでも敢えて口にした。
「そんな暇があるのなら、お母さんに会ってあげてって言いたかった。真悠さんがいる時はまともだけど、いない時はとても辛そう。それもこれもお父さんがちゃんとお母さんに会ってあげていれば……。だから、そんな暇があるのならお母さんに会ってあげて」
「ああ。わかっては、いる」
透夜の感情はとても複雑なものだ。詩穂の母である詩織に会ってあげたい気持ちはあるし、会いたいとも思っている。もしも叶うのであれば、今まで一緒にいられなかった分も抱き締めたいとさえ思う。
だが、彼には「今更どんな顔をして会えばいいのかわからない」という感情もあり、そして二人が会うことを認めない人は何人もいる。自分が生きていき、詩織と詩穂も経済的に守れるだけの力を与えてくれた地嶋家。高校在学中にも関わらず、詩織を孕ませたことに対して透夜を恨んでいる詩織の両親。そして詩織の幸せを誰よりも願っていた大親友の真悠だ。
とくに真悠は透夜を見つけ次第、能力を使って襲撃するだろう。かつてのように『漆黒』を持っている時であれば太刀打ちできただろうが、今の後遺症による能力しか持っていない状態であれば間違いなく負ける。
それが自分の罪に対する償いであるのであれば、それは甘んじて受けよう。しかし、透夜にはまだ詩穂を一人前に育て上げる義務が残っている。全てはその後にしなければならない。
「詩穂には本当に申し訳ないと思っている。だがまだ詩織と会うわけには……」
「私が生まれた時とは違って、お祖父ちゃん達に認められるだけの力を持っているでしょう? ならそれでちゃんと戦うべきよ」
「そうだな。お前の言う通りだ。だが、大人も結局は子どもと同じ人間だ。理屈では理解できても感情で理解できない。俺と詩織に関することでは特に色んな感情の糸が絡まっていて解くのが難しい。お前には本当に苦労をかけるが、まだ待って欲しい」
「そう。……話は以上よ」
詩穂は納得したのではない。失望したから話を切り上げたのだ。いや、失望したという表現も正しくはないのかもしれない。詩穂はとっくに黒山透夜という一人の父親に対して失望している。「改めて失望した」という表現の方がより近いだろう。
詩穂は透夜を追い越して会社を後にし、詩穂が見えなくなるまで透夜は動き出すことができなかった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
翌日、外は極寒だというのにも関わらず、学校の校門ではまたも詩穂が零を待っていた。零は思わず唖然としたが、やはり詩穂に話しかけた。
「おはよう、黒山さん。こんな寒い中で待たずとも、暖かい教室で待って電話してくれればいいのに」
「まだ暖房が効いていないのだから、中も外も変わらないでしょう」
「それでもこの冷たい風くらいは凌げると思うよ? まあ、それとして僕に何か用事があるんだよね? 僕も黒山さんに話しておきたいことがあるんだ」
「そう。それでは昼休みか放課後にした方がいいわね。空いているかしら?」
「うん、どちらも空いているよ。取り敢えず、中へ向かおう」
「ええ」
詩穂と零は昇降口に向かって歩き出した。とてもこの生徒が多いなかで本題について話すわけにはいかないが、零は当たり障りのない「紅ヶ原の怪談話」について沙菜から聞いた話と途中で見た心霊スポットに関する話をしつつ、頭の中では亜梨沙に協力を仰ぐため、どう仲直りしようか考えていた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
詩穂の中では、この日の放課後に中沼奈美の帰宅路に沿って残留思念を追いかけようと考えていた。
中沼奈美の帰宅路についてはすでに奈月から送られている。奈月は中沼奈美と仲が良いということもあり、一緒に帰ったり食事をすることもあったので大体の道を知っていたのだ。
放課後を調査に使いたいという理由で情報共有については昼休憩に行うこととなった。この寒空の下、誰も集まることはないだろう中庭を利用して、三人は集まっていた。
真っ先に詩穂が口を開く。
「……神田川君を呼んだ憶えはないのだけれど?」