沙菜の暫定処置
この世ならざるものが集まる気配はする。だが、今の時間が昼時なのでその姿を現すことはない。きっと夜に来ていたら除霊祭りとなっていたところだろう。
しかし、殆どの建物は管理されることもなく放置されており、倒壊している建物も少なくない。そこから覗いて見える雰囲気は昼時であっても「建物内ならこの世ならざるものが出てくる」ような不気味さだった。
実際に零は上月家の地下でそれを体験している。元々霊的な要素が詰め込まれた地下と今回の建物ではその濃度が異なるだろうが、油断はできない。
「御神鏡ってどこにあるの?」
警戒しつつ歩きながら、零は沙菜にそれを質問した。
「今はまだここを納めていた武将と家系が近い人達が住んでいた辺りだ。ここを更に歩いていくと門があって、そこに御神鏡は封じられてる」
「門に?」
「そう。この地域を襲った悪霊達はこの土地から出てきたものではなく、城跡から出てきている存在なんだ。ただまあ、城跡と言っても少し大きいだけの古い家なんだけど」
「その家から出てきたってイメージなんだね。門を潜って出てくるから、門に御神鏡を祀ったと」
「そういうこと」
少しずつ御神鏡にまつわる話が見えてきたところだが、その場所に近付いていくにつれて、零は今まで感じたことのない感覚に襲われていた。
何かが頭の中に入ってくるような感覚。それは徐々に「忘れている何かを思い出しそうな感覚」となっていき、そして最終的にそれは「経験したことを思い出したような感覚」へと変わっていった。
その違和感が最上に達した時、ついに零の意識は強制的に残留思念へと向けられた。
「あっ……」
零が立ち止まる。目の前には逃げ惑う人々。零達が向かっている先とは反対方向……つまり、出口の方向へと全力で走っていた。皆、和装であり髪型も今では見られない当時の髪型。民俗学に全く詳しくない零はそれがいつの時代なのかわからなかった。
握っていたピンク色の携帯電話を開き、こちらに向かってくる男へと通話を掛かる。すると、男はすぐ通話に応じた。
『何やってる、早く逃げろ!』
「逃げるって何からですか?」
『ご先祖様の怒りからだ! 怒りに触っちまったもんが気狂いとなって皆を襲っとる』
「ご先祖様の怒り……キチガイ……?」
『俺はもう行く! お前もさっさと逃げろ!』
男は一方的に通話を切り、そのまま走り去ってしまった。大抵の残留思念は通話した時点で「自分がこの後どうなるか」を悟っているものだが、先程の男はそれに当てはまらなかった。
強制的な残留思念といい、非定常のことが起こりすぎている。零は民衆が恐れている「何か」に向かって早歩きをした。
「あっ、おい!」
沙菜が異変に気付き、零に声を掛ける。しかし零の耳にはそれが届かず、沙菜の存在をすっかり忘れて歩き続けた。
「鷺森! 一体どうしたんだ!?」
沙菜も零の後を追う。彼女も彼女で零の意識が強制的に残留思念へ向いたのと同時に不可解な霊力を感じていた。
だからこそ、何か嫌な予感がした。沙菜からすれば暴走を始めている零に「何か取り憑いたような」気がして、少し焦りを感じている。
逃げ惑う人達とすれ違いながら、零は奥へ奥へと進んでいく。やがて刀や鎌を持って住民を襲う住民の姿が見えた。襲う住民も襲われる住民、どちらも男女関係なかった。しかし、襲われて横たわる住民の中には子供も混ざっていた。
刀を持った男が半狂乱になりながら子供を襲おうとする。怖さのあまり泣いていることも気にすることなく、その刃を振り下ろそうとした。
「やめろ!」
零がピンク色の携帯を刀の姿に変えて、応戦しようとする。しかし、受けたはずの刃は零の刀をすり抜け、子供を切りつけた。
その瞬間、零は自分が見ている光景が残留思念によるものだと思い出した。人々が惨殺される姿を見て平然とはいられない。だが、全ての元凶たる屋敷の門へと目を向けた。門は開き、強風に扉が煽られている。
門の方へと歩みを進めようと一歩を踏み出した直後、肩に手を置かれて止められ、ようやく意識が現代へと戻った。
「おい!」
「はっ……沙菜さん……? あれ、僕?」
「どうしたんだよ? 急に早歩きで進んでったと思ったら刀を取り出して受けるような姿勢を取って」
「ああ、そうか。僕は残留思念を見ていたから……」
零が門の方へと目を向ける。するとその門は残留思念で見た姿と全く同じであり。
───門は、開いていた。
「マジか……」
流石に沙菜も動揺を隠せなかった。御神鏡によって封じ込められていたはずの扉が開いているのだ。沙菜にとって、この場所にとって、その状況は非常に良くない。
奥に見える屋敷は不思議なことに周辺の廃屋と比べてまだ崩れていない。壁はやや剥がれかけているが、周辺の廃屋とは異なって頑丈な作りとなっていた。
門から屋内を覗き込もうとするが、入り口に戸があるようだ。しかし、沙菜はそれ以上この建物に近付こうとしなかった。
「沙菜さん?」
「鷺森、ここはやばいな。悪霊の気配が半端ない」
「え、気配?」
零は沙菜の言葉を逃すことなく聞き取ったので疑問に思った。沙菜には霊感があるという可能性が示唆されたからだ。
「悪霊の気配。他の人にこんなこと言っても信じないし馬鹿にされるけど、鷺森ならわかるでしょ?」
「……うん」
零には鷺森露によって植え付けられた僅かな霊感しかないが、そんな程度でも感じることはできる。しかし、沙菜に言われるまでは気付かなかったが。
「沙菜さんにも、見えるってことだよね?」
「うん。あたしは霊感を持ってる。ここにいる悪霊達を滅することも出来るだろうけど、ちょっと恐いな」
「だけど、ここを放っておいたら昔のように……」
零の懸念は沙菜にもわかる。御神鏡がなく、その封印が解かれているということは封印する前に起こったこと……悪霊がこの地に広まる可能性があるということだ。そうすれば付近に住まう人々は危険に晒されてしまう。
「こりゃ他人事じゃなくなったな。どうにかして、その老婆? から鏡を取り返さないといけない。不本意だけど、あんたには協力してもらわなきゃいけないね」
「だけど行く先までは……。それに今の僕では、元凶である落武者とはまともに戦えないし」
「あたしがいるから大丈夫。取り敢えずは、悪霊共が外へ出ないよう一時的に閉じ込める」
そう言うと、沙菜は肩にかけていた鞄から一枚の札を出した。零には聞き取れない言葉で何かを呟くと、そのお札は「あたかも風に飛ばされた」かのように舞い上がり、流されて扉へと張り付いた。
零には札の効果がどれだけのものなのかを知らないが、今は沙菜を信じることにした。
「これでよし。それじゃ、老婆の情報が入ったら必ず教えて」
「えっ、でもこれで防げるならそれでいいんじゃ……」
「そんなわけないでしょ。さっきも言ったけど、これは一時的な処置。確かに効果時間が切れる前にお札を更新していけば、ほぼ永久的に封じさせれるだろうね。でもそんな頻繁にあたしはここへは来れない」
「そうだよね、ごめん」
沙菜は呆れたように言うが、別に怒っているわけではない。そのまま沙苗は踵を返した。
「もしもお札の効果切れが先だったらまたここに来ないといけないから。平日だから夜中とかになるけど、そん時はよろしく。……出来れば避けたいけどね」
沙菜は零の回答を待たず歩き出す。そして来た道を戻り、「今日見たことは他言無用だ」ということを沙菜が零に釘を刺したところで、二人は駅前に到着し、特に喫茶店とかに入ることもなくその場で解散した。