無自覚の嫉妬
零と詩穂は情報交換をした後、世間話のような他愛のない話をすることなくすぐに校舎の中へと戻っていった。
詩穂と誰かが一緒に歩いているのはとても珍しいことで視線が集まりやすい。詩穂と行動する以上、いつものことではあるのだが、零はこの注目に慣れずにいた。
とはいえ、こちらを見てくる他の生徒に対して文句も言えない。視線を気にしつつも、詩穂と別れるまでは我慢する。
「黒山さん。この視線、どうにかならないかな」
「慣れるしかないわ、こればかりは」
「黒山さんが誰かと一緒にいるのが珍しいからだよ?」
「そうかしら? それだけが理由だとは思えないけれど」
実のところ、詩穂の言うことも事実だった。校内の生徒……特に同じ一年生の間では零が「どちらと付き合っているのか」が噂されている。詩穂や亜梨沙と近しい人間であれば「どちらとも付き合っていない」という答えを知っているが、零のはっきりしない態度にイラついている生徒も少なくはない。
「僕が注目される理由なんてもうないと思うけど?」
かつては夏でもコートを羽織ってる頭のおかしい生徒として注目を受けていた。それに関しては零も自覚があったが、色恋沙汰で注目を受けていることについては自覚がない。
むしろ、その点は詩穂の方が敏感に察知していた。
「男女が一緒にいれば付き合っていると思う。ただそれだけのことよ」
「ああ、なるほど」
零は詩穂に指摘されて納得できた。何故ならそれは、亜梨沙と一緒にいる時でも起こっていたことだからだ。亜梨沙は全く気にしていなかったが、詩穂も同じように気にしていないようなので考えが至らなかった。
「あれ? そうなると僕は二股かけているように見えてるってこと?」
「そうね。そう思われたくないのなら、古戸さんとの付き合い方を考えることね」
「付き合い方?」
「あまり二人でいないようにするってこと。そうすれば、鷺森君がどちらを選んだか一目瞭然じゃない」
「それって、黒山さんが僕と付き合っていることになるけど?」
「勝手に思われる分にはどうでもいいわ。私達自身が関係性をはっきりさせておけばいいだけのこと。むしろ、変なちょっかいを受けることも無くなるでしょうし、都合がいい」
「うーん……」
零の中でその提案は正直「微妙」だった。零にとって詩穂との関係性とはとても曖昧なものだからだ。社会人的に言えば「ビジネスパートナー」のような存在であり、友人だというわけではない。今の零にはこの関係を言葉にできるだけの語彙力を持ち合わせていなかったが、そういった意味では亜梨沙の方が「友人」という関係ではっきりしている。
ただし、友達にしては距離が近過ぎる……というのは横に置いておいてだが。
「そういった噂の対策で亜梨沙さんと絶交はしたくないかな。そもそも僕と黒山さんがこうして行動を共にする方が期間限定的なものなんだし」
「あら? 私はまだ相棒関係を諦めてないのだけれど?」
「えぇ……?」
零はてっきり、詩穂が相棒関係になることを諦めているものだと思っていた。今のような時と場合によって協力し合う姿が適切だと考えているからだ。詩穂が諦めていないのだと知って、零は少しばかりショックだった。
そんな話をしているうちに分かれ道へ出た。零の教室と詩穂の教室では廊下と階段を中心に左右で別れている。
「それでは黒山君、また」
「ああ、うん」
詩穂は何食わぬ顔で教室へとスタスタ歩いて行ってしまった。零もそれを見送ることなく、教室に向かって歩き出そうとした。
しかし、その先に亜梨沙の姿を見つけたので動きが止まった。亜梨沙はじっと零の方を見ている。
どうやら亜梨沙は何か話をしたいようだ。しかし、なかなか話しかけてこないものだから、零の方から話しかけた。
「やあ、亜梨沙さん。どうしたの?」
「教室から二人の姿が見えたから」
「そうなんだ」
教室の窓から中庭の様子が見えるのは驚くべきことでもない。零としては、姿が見られたとしても会話の中身さえ聞かれていなければそれでいいのだ。もっとも、亜梨沙には聞かれても困らないが。
「最近、あんまり零君と話せていなかったし」
「……確かにそうだね」
零はそれを言われて、男女グループに混じって楽しそうに話をしている亜梨沙の姿が脳裏に浮かんだ。あの時に稽古の話をしようと思っていたのだが、それ以降も話すタイミングが訪れなくて話さないままだったのだ。
「帰りのホームルーム終わってすぐに帰っちゃうよね? 何かあるの?」
「うん。今、強くなるために稽古をつけてもらってるんだ。今まで教えてくれる人がいなかったから、とても勉強になっているよ」
「それ、話してくれたっけ?」
「ううん。稽古の初日に話していこうと思ったんだけど、亜梨沙さんは友達と楽しく話しているようだったから話せなくて」
「そんなの気にせず入ってきてくれれば良かったのに」
「それは無茶だよ。僕、ああいう集団みたいなのに慣れていないし」
会話に間が空く。亜梨沙が少し怒っているのを零は感じだが、肝心の怒っている理由がまったくわからなかった。
「稽古って、零君はそんなに強くなる必要があるの? 戦いなら私に任せてくれればいいし、神田川君もいるでしょ?」
「そうだね。でも、この世ならざるものと相対する時は僕じゃないと戦えないよ」
「それだって、私が魔法を使えば何とかなる。それだけの力が私にはある」
「確かにそうだけど、僕の責務は夜中が主だからね。そんな時間に家を出るわけにはいかないじゃないか」
「必要があれば出て行くよ」
「駄目だよ。それこそ、僕が亜梨沙さんのお母さんに怒られる」
零は今も亜梨沙の母と交わした約束を覚えているし守っている。いくら亜梨沙の意思だといえども、夜中に連れ出して戦わせるなど、それは「無理をさせない」という約束を違えることとなる。
「お母さんとの約束があるから、私を頼らないってこと?」
「そういうことが言いたいんじゃないよ。常識的に考えて、年頃の女の子を深夜に連れ出すなんて非行だ」
会話の終了を促すかのように予鈴が鳴る。午後の授業が始まるまであと5分だ。
「っと、亜梨沙さん。そろそろ授業だよ、教室に戻らなくちゃ」
「まだ話、終わってない」
「授業に遅れちゃうよ」
「このまま授業に出てもモヤモヤして集中できないから、ちゃんとスッキリさせたい」
「……僕には亜梨沙さんの怒っている理由がわからないよ」
授業には遅れたくないが、今の亜梨沙を放っておくこともできなかった。このままダラダラと問答を続けるだけでは時間の無駄なので、零は単刀直入に質問した。
「私が怒っているように見える?」
「見えるよ。そして僕は怒られる理由に心当たりがない」
亜梨沙は複雑そうな顔をした。亜梨沙も亜梨沙で自分が怒っているのを自覚していたが、その理由を正しく表現できる言葉が思い付かなかった。
「なんて言うのかな。頼られることもなく、何も言わずに稽古に行っちゃうことが寂しいというか」
「うん」
「零君が今抱えている事件を解決する為に頑張っているんだってのはわかってる。でも力が必要なら私を頼って欲しかった」
「亜梨沙さんは頼りになるよ。でも、今は僕自身も強くならなきゃいけないんだ」
「だから学校終わりに稽古へ行ってるんでしょ? でも私は放課後に零君と遊んだりしたい」
「僕と? 確かにクリスマスとか約束しているけど、亜梨沙さんには僕の他にも友達がいるじゃないか。僕に拘らなくたって、放課後を楽しく過ごせるじゃないか」
正直なところ、零は亜梨沙に対して友達以上の好意を抱いている。だがそれは、かつて受けた裏切りの影響で無意識に自覚しないよう遠ざけているので、亜梨沙が男女グループに混じって過ごす放課後を見て胸が痛んだのはわかるが、それが嫉妬なのだということはわかっていない。
無自覚の嫉妬に従い、零は「自分と過ごすよりも、クラスでの男女グループで過ごした方が余程有意義なのではないか」と思ったのだ。