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思念と漆黒の組み合わせ  作者: 夏風陽向
二人の英雄
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代弁者・沙菜

 奈月は左手で後頭部を軽く掻きながら困った顔をして言い返した。



「入門って言っても、一時的なものだよ? それに正直なところ彼は皆より弱い」


「…………」



 零としては地味に傷付く言葉だった。「そんなことはない」と言い返せれば良かったかもしれないが、剣術を純粋に研鑽してきた彼女達と同等以上に戦えるなど、零のこれまでの人生を振り返ってみればあり得ないことだ。


 そんな零よりも余程、奈月に抗議している女子の方が怒り狂っていた。



「弱ければ別に大丈夫だというわけではありません! 同性だけが集まっているから成り立っているものもあるんです!」


「えー、なに? 着替えとか? でもここは昔、男女共に剣道をやってた場所なんだから、男子専用の更衣室くらいあるでしょ」


「着替えだけの問題ではありません! そもそも剣術を学びたいのであれば、他を当たればいいでしょう! 何故、わざわざ女子しかいない道場に来るんです!?」


「そりゃぁ、ボクが呼んだからさ! ボクが鍛えると言った以上、ここしかないもん」


「…………」



 奈月に抗議している女子はどうやら代弁者のようだ。再び稽古に励んでいる他の女剣士達は何も気にすることなく稽古をしていた。


 少しばかり無言が続き、奈月と女子が目を合わせて離さない。どちらかが先に視線を逸らしたのであれば、折れたように思われるからだ。


 そして奈月はニヤッと笑って、手を叩いた。



「いいこと思い付いた! 沙菜(さな)、零君のコーチを君に任せよう!」


「……え?」



 沙菜と呼ばれた女子は突拍子もないことを言われて軽く放心状態になった。すぐさま首を左右に振って抗議する。



「何故、私になるんです!? 私は入門を認められないって話をしていたはずですが!」


「うん。入門するかどうかはとりあえず置いておいて、沙菜とバディになって稽古をする。あまりにもついていけないようだったら、ボクも零君に教えるのを諦める。それでいいでしょ?」


「…………」



 沙菜は考えた。


 このままでは奈月の考えが変わることはない。抗議したところで聞き入れてくれるような気配もない。

 であるならば、奈月から提案された通りに彼をコーチする。ただし、いつも通りの稽古をするだけで全く未経験の彼はバテて使い物にならないだろう。

 彼の無能さを奈月に見せつけることができれば入門を諦めてくれるだろう。実質、提案を受けるだけでいいのだ。



「いいでしょう。彼がへっぽこだったら、ちゃんと約束を守ってくださいよ?」


「勿論!」



 奈月は満面の笑みを浮かべた。


 沙菜にとって奈月は尊敬すべき師範だ。いつも突拍子もないことを言い出すが、普段のことだったら笑って許せる。

 しかし、今回ばかりは許せない。「そうやって笑ってるのも今のうち」だと沙菜は心の中で言った。



「そういうわけだから、さっさと始めるよ。……っていうか、道着は持ってるの? 体操服とかは?」


「あっ……えっと」



 零もまさか道場に呼ばれると思っていなかったので、運動できる格好の準備がなかった。


 零がチラリと奈月の方を見ると、奈月は何か思い出したかのような顔をして、自身の荷物から道着を取り出した。



「零君、これを使って!」



 奈月から渡されたので受け取る。誰かのお古かと思いきや新品だった。



「これは?」


「沙希ちゃんからのプレゼントだよ。期待されてるねー」



 実のところ、奈月はコーチの件を沙希に報告していた。地嶋グループを取り巻く事件の解決に修練が必要だと知った沙希は今回の報酬という意味を込めて、前払いとして道着を用意したのだ。


 詩穂と零への依頼は会社として決めた依頼ではない。あくまでも沙希が個人的にしているものだ。故に会社の経費を使うわけにはいかなかった。



「ありがとうございます」


「へえ、大して実力もないのにスポンサーが付いてるんだ? まあ、いいけど」



 沙菜が呆れたような感情を込めて嫌味っぽく言う。向いた顎の方向には男子の更衣室があり、零はそこへ早足で向かってすぐに着替えた。


 女子達は白い剣道着で稽古に臨んでいるが、零だけは紺色の剣道着だった。わざわざ違いを出した理由はわからないが、そんなことを気にしても仕方がない。



「へえ、剣道着はちゃんと着れるんだ?」


「まあ、これくらいなら」


「ふーん? で、剣道は初めてなんだっけ?」


「うん」


「じゃあ、基礎からだ」



 沙菜はまず竹刀を握る以前のことから教えた。まずは稽古に臨む上で必要不可欠の礼儀作法。それからすり足などの基本的な動き方……と、沙菜が昔教わったことを一つひとつ思い出しながら伝授した。



「まあ、こんなもんでしょ。それじゃ竹刀を握って」


「あ、でも僕は竹刀を持ってないよ?」


「……やる気ないの?」


「そういうわけじゃないよ」


「少し劣化してて使いにくいかもだけど、道場のを借りてやるしかない。すぐに取ってきて」



 どうやら備品庫にあるらしい。沙菜が指差した先へ向かうと扉が閉まっており、スライドさせて開けようとするがかなり重かった。


 とはいえ開けられないというほどではない。一生懸命開けて適当な竹刀を見繕うとした。



「…………!」



 その瞬間、突然残留思念が見えた。彼女達の知らない昔の門下生達。男女問わずここへ備品を取りに来る門下生達の目は輝いていた。


 最後に入ってきた門下生が残った竹刀の中から柄が独特な模様で黒ずんだ竹刀を取り出した。その門下生は女子だったが、不思議と強そうな雰囲気を静かで繊細に漂わせていた。



「おっと」



 零はすぐに残留思念から意識を剥がした。沙菜が待っている。残留思念を見ている場合ではない。適当な竹刀を見繕わなければだが、たまたま独特な模様で柄が黒ずんでいる竹刀を見つけたので取り出し、沙菜の元へと戻った。



「遅い! それに何でまたそんな汚れた竹刀を……」


「なんとなく?」


「まあ、いいけど。それじゃあ、構えて」



 零が竹刀を構える。沙菜から見て、零の構え方は素人そのものだ。ただ、剣道をやっていく上では修正が必要だが、不思議と体重の掛け方は悪くないように感じた。



「うーん、なんか惜しいかな」



 沙菜は零に近付き、構え方を教える。竹刀の握り方から間違っているので零の手に触れて握り方を矯正する。



「左手でしっかり握って、右手は軽く握る。実際に振る時にも必要な感覚だから忘れないで」



 先程までしっかり稽古をしていた沙菜は汗をかいていたはずだ。しかし、不思議といい匂いがしてくるので零はその匂いに集中力を掻き乱された。


 女子がすぐ隣で手に触れて教えてくれる。しっかり真面目にやらなくてはならないのに、零の鼓動は速くなっていた。



「まあ、これでいいかな」



 ようやく沙菜が離れる。ドキドキは治らないが、なんとか少しずつ集中力を取り戻すことが出来た。



「ちょっと、真面目にやってる? 私だってすぐに稽古へ戻りたいんだから、あんまりあんたに構ってられないんだけど」


「や、やってるよ!」


「ふーん? それじゃ、振ってみよう」



 まずはお手本として沙菜が振る。鋭く空を切る音が聞こえて、零は素直に「すごい」と思った。



「足を出しながら面を打つんだけど、まずは手の使い方ね」



 沙菜の指示に従って零も竹刀を振る。振り方そのものが全くの素人であり、しかも零は能力を使ってきたことによる癖があって、それを矯正するのに苦戦した。



「ちょっと! また癖が出てる! 何度言えばわかるの!?」



 沙菜はどんどん苛立ってきていた。しかし、零にはそんな沙菜の感情が起伏していることなど大して気にならなかった。そんなことを気にしている余裕がないほどに一生懸命、癖を矯正していた。


 零がひたすら素振りを出来るようになる頃には、殆ど稽古時間が終了に近付いていた。

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