紅ヶ原の道場
先週、通常通りと言いましたが、いつもより1日早くやってましたね……。
疲れてるのかな?
地嶋家に行った日から3日程経過した時、奈月から零のスマホに連絡が入った。すぐにでも訓練を始める旨が書かれており、そこには訓練する場所の位置情報も添付されていた。
自分の席でそれを見ているものだから、すぐ正面に立っていた潤がそのメッセージをチラリとだけ見て、零に問う。
「女子からの連絡か? 最近のお前、なんかモテるようだな」
「確かに女性ではあるけど、そういうのじゃないよ」
「歳上か。別にお前が誰を好きになろうが、俺は応援する。だが、不純なことは良くないぞ」
「そういうものでもないよ。この人は天利奈月さんといって、地嶋グループの社員の方。とても剣術に長けているんだ」
零から女性の名前を聞いた潤は目を見開いた。奈月は零が想像している以上に有名人だった。
「天利奈月といったら、紅ヶ原の戦乙女じゃないか」
「紅ヶ原の戦乙女?」
「ああ。もう20年くらいは紅ヶ原の女子校周辺を守っている人だ。普通は中学生くらいになってようやく重度の中二病と戦えるものだが、天利奈月は小学生の時から戦っていると聞く。それこそ、現役を退いたのもごく最近のことだぞ」
「へぇ、奈月さんってそんなに有名な人だったんだね」
「英雄に続き戦乙女までとは。お前、あの世代に愛されているのか?」
「たまたまだよ。まあ、その戦乙女に剣術を習うことになったんだ。このままじゃなかなか強くなれないからね」
零の中では覚悟が決まっている事柄ではあるのだが、潤は納得がいっていないようで首を傾げた。
「そこまでしてお前が強くなる必要、あるのか? わざわざ重度の中二病患者と戦う必要はないだろうし、実家の案件だって本来ならお前には関係ないはずだろう?」
「まあ、そうだけど……。こういう能力を持ってしまっている以上、せめてこの世ならざる存在を滅するのが僕の使命だと思うし」
「うーん……」
潤にも零の言いたいことはわかるつもりだ。しかし、つい少し前まで、そんな使命を持つこともなく普通の男子高校生を謳歌できるはずだった。潤としては零がそうなってくれるのを願っていたので、今の状況は正直なところ困る。
「また、黒山に乗せられているというわけじゃないよな?」
「確かに奈月さんを紹介してくれたのは黒山さんだけど。遅かれ早かれ、強かなるための手法を見つけないといけないって思っていたし」
「お前な……」
潤は呆れたように溜息を吐いてから、口うるさくいつもの言葉を言う。
「お前がやっているのはあくまで捜査協力だろう? 戦う方は俺や黒山がいるから問題ないはずだ」
「重度の中二病患者相手ならそうかもしれない。でも、この世ならざるもの……一般的に言う悪霊の類は潤や黒山さんでは手に負えないから僕がやらなくちゃならない」
「…………」
以前、零達と『友愛』の友香を捕縛した際、潤も何となくだがその気配を感じていた。友香が持っていた刃物は禍々しさを纏ってその刃渡りを非科学的に伸ばしていた。
それを目の当たりにしてしまった以上、零の言葉には説得力がある。潤は冷静にそう判断して首を縦に振った。
「わかった。確かにお前の言う通りだな」
「僕だって本音を言えば関わりたくないけど、仕方ない。本来なら女にしか継承されないはずの力を偽物だけど再現してみせてる。きっと、それには何か理由があるんだと僕は考えている」
「それが必要になる場面がいずれ出てくると?」
「うん。起こるかわからない可能性の話でしかないけど」
あくまでも可能性の話。そんな事態が起こるかもしれないし、起こらないかもしれない。少しばかり現実味のない話ではあったが、潤も「ここ最近の異変」を考えてみれば強ち間違いでもないかもしれないと思った。
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零は放課後になってすぐに指定の場所へと向かおうとした。しかし、詩穂はこの件について知っているが亜梨沙は知らない。何も知らせないまま練習に取り組むのは後から亜梨沙に責められるのではないかと、零は考えた。
そこで昇降口に向かおうとした足を止めて身を翻し、亜梨沙のいる教室へと向かった。もしかしたら友達と話しているかもしれないが、少し覗けば亜梨沙はやってきてくれるだろう。
零はそう信じて亜梨沙がいる教室を覗き込む。すると、想定通りに亜梨沙は教室内にいたが、零にとっては少し想定外の状態となっていた。
亜梨沙といつもの仲良い女子が一緒にいるところまでは想定内だ。そこに男子3人組もいるのが想定外だった。
とはいえ、よく考えてみれば別に不思議なことなど何もない。亜梨沙は『魔法少女の娣子』というサブカル的な部分を持ち合わせているが、基本的は為人は可愛らしくどちらかといえば「陽キャ」というやつだ。
特別楽しそうってわけではないが、普通に楽しそうではあるので、そのまま待っても邪魔になるかもしれないし、気付いてもらえないかもしれない。
少しばかりモヤっとした気持ちを抱いてしまったが、零はそのまま亜梨沙に話しかけることなく昇降口へと向かった。
心なしか歩くスピードがいつもより早くなる。
「どうか気付くことなくそのままいかせてほしい」と零は思いながら歩いた。
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奈月が指定した場所は藍ヶ崎から少し遠い場所で、紅ヶ原の女子校から近い場所だ。そういえば、中学時代のクラスメイトには女子校に進学した子もいたなと、零は思い出した。
紅ヶ原に近付けば近付くほど、男子高校生の姿を見なくなる。基本的に紅ヶ原の女子校に近付く男子はいない。
というのも、学校のスタンスとして関係者以外の男性が近付くことを禁じている。文化祭の時は唯一それが可能となるが、それも生徒から「招待状」を受け取ることが出来た者のみだ。他校の生徒がフラッと文化祭へ遊びに行くことはできない。
そんな女子校に近付いているものだから、すれ違う女子高生からの視線を浴びることになる。とてもじゃなく彼女らの視線がどういうものなのかを見ることなど出来やしないが、居心地悪いということだけは確かだ。
人とぶつからないよう、時たま前を向くだけで殆どはわざとらしくマップアプリを見て歩くだけだった。やがてようやく目的地へ辿り着くと、圧倒的な声と踏み込む音が聞こえてきて零は目を丸くした。
目的地は道場だった。迫力のある声と踏み込む音、そして竹刀同士がぶつかり合う音など、数々の音が響いていた。
しかし、零にとって不思議に思う点があるとすれば、聞こえてくる声が女性のものだけだということだ。
取り敢えず、零は玄関で靴を脱いで下駄箱に収納し、靴下のままで道場へと踏み入る。その直後、零にとって想定外のことが起きた。
練習に勤しんでいたはずの剣士達が一斉に動きを止め、零に注目したのだ。
「練習やめー! 気を付け、礼!」
「「「こんにちは!」」」
「えっ、あっ、こんにちは……」
あまりに急で慣れないことだったので驚いてしまい、返事が情けないものとなってしまった。
「…………?」
一瞬だけ、剣士達の視線を不快に感じた。礼儀として挨拶したが、彼女達は零という男の異質な存在を歓迎していなかった。
「あっ、零くーん!」
挨拶で零の存在に気付いた奈月は、驚きのあまり立ち尽くす零の元へ竹刀を抱えたまま歩み寄った。
「よく来たね、迷わなかった?」
「それは大丈夫ですが……。ここは?」
「ボクが師範としてコーチしてる道場だよ。昔は正しい型を覚える余裕がなかったんだけど、次第にその余裕が出来てきて、今やコーチだよ!」
「すごいですね……。それで、僕はここで?」
「うん、そうだよ。基本的には女の子にしか教えていないんだけど、今回は特別ね」
「すみません、ありがとうござきま───」
零が奈月に例を述べようとした瞬間、女剣士の一人が話に割って入ってきた。零は驚いて何も言い返せていない。
「師範代、お待ちください!」
「なにー?」
「私は男子高校生の入門など認められません!」
零の目の前に現れた女剣士は胴着や防具の黒色と対照的で、肌が真っ白だった。髪型こそは手拭いで全く見えないが、目がぱっちりとしており、伝う汗は何か芸術性さえ感じられた。