最恐からの指摘
地嶋家からの距離を考えると、零より詩穂の方が近い。よって、詩穂の家へ向かっているのだが、車内では会話がまったくなかった。あの奈月でさえ、何かを考えているのか口を開かない。
このまま詩穂を降ろして帰っていくのだと思われたが、後部座席に座る零と詩穂の間にちょこんと、はつが現れた。
「………!」
いきなりで驚いた零は危うく声を出しそうになったが、奈月の存在を思い出してなんとか堪えることが出来た。
『賢明な判断だね。天利奈月は私の存在を認知できないからさ。まあ、色々と言いたいことがあるのはわかるけど、鷺森零も詩穂と一緒に降りてくれ』
「…………?」
声も出さなければ、はつの方を見て疑問を顔で伝えることもできない。無視することもできるが、ここは大人しく従った方が良さそうだ。
そう判断せざるを得ないほど、零よりはつの方が遥かに強い。はつが手加減をしたとしても、今の零では及ばないだろう。
『理由は……そうさね、今後の打ち合わせくらいでいいでしょう。強ち間違いでもないし』
はつが言いたいことは今回の事件について何か言いたいことがあるということだ。一方的に情報を与えるのであれば今の状態でも不便はない。しかし、二人からも何かを聞き出したいからこそ、零に降りることを提案したのだ。
はつが何の話をしたいのか。それを考えているうちに、詩穂の家付近に到着した。詩穂の母である詩織が窓を偶然見たとしても奈月と車の存在を悟られない位置に止めた。
「じゃあ、詩穂ちゃんはここで。今日はありがとね」
「こちらこそありがとうございました」
詩穂が降りようとドアを開けたので、零も動き出す。
「僕もここで。黒山さんと今後について具体的な話をしておきたいので」
「うーん、でも今日はもう帰った方がいいんじゃない?」
「いえ、今日じゃないと駄目なんです。1日先延ばしにした結果、また被害者が出てしまうかもしれないと考えたら……」
「なるほど」
確かに零の言うことも一理ある。幸いにも、外は暗くなりかけているが、あくまでも日が沈んでいるだけでまだ遅い時間ではない。
「じゃあ、零君。ボクと連絡先を交換してくれるかな? 出来るだけ早いうちに練習を始めよ?」
「わかりました、よろしくお願いします」
零もスマートフォンを取り出して奈月と連絡先を交換した。……といっても、電話番号を交換したというわけではなく、あくまでもSNS上でともだちになった程度だ。
「うん。それじゃあ、二人ともお疲れ様でした! 零君……くれぐれも気を付けて」
「……? はい」
奈月の心配は普通に帰る上での身を案じているような気配ではない。もっと重大な何かに警戒しているようだった。
そのまま奈月はこの場を後にする。零と奈月の二人は奈月を見送った後、しれっと隣に立っているはつの方を見た。
『こんなところで話すのもなんだから、もう少し家に近付こうか』
「わかったわ。……しかし、姉さん。鷺森君も交えて話をしたいことって何かしら?」
歩きながら今回の趣旨を問う。すると、はつはゆっくりと話をしながら、やがて「いい感じ」の距離まで来ると止まった。
『落武者と老婆の倒し方について話をしたかったんだよ。どうやら二人とも、根本的な勘違いをしているようだから』
「勘違い?」
はつの言い方に零は疑問を抱く。見たまま、あるがままを受け止めて、零と詩穂は相手を正しく認識していたつもりだったからだ。
はつは溜息を吐く。
『鷺森零、君は本当に霊能力を持っているのか? 老婆の鏡を見て、何も感じなかったのか?』
「鏡……?」
あの鏡は二人の被害者を閉じ込めている老婆の能力だ。それは詩穂も感じているので、零は自分達の認識を疑問に思うことなくそう結論づけていた。
『あの鏡は神鏡だよ。落武者が老婆と行動しているのは、神境と落武者に深い関係があるからだ』
珍しく饒舌なはつを見て、詩穂は少し目を丸くした。ここまでベラベラと話をするのは、かつて能力の使い方を教えてくれた時以来だ。
『詩穂、私は真面目に話をしているんだけど……』
「ごめんなさい。これだけ色々と話をする姉さん、すごく久しぶりなものだから」
『……そうかもしれないね。今回ばかりは、誤解したままだと詩穂の身に危険が及ぶと思ったからなんだ』
詩穂の身を案じてということは本当のことだ。残留思念を視る能力がある零も、邪魔をしない限り、はつにとっては大切な存在だ。
しかし、零には疑問が浮かんだ。
「では、咲枝さんの能力は何なのでしょうか。鏡だって現に二人の女性を閉じ込めている」
『老婆の能力については知らん。私は重度の中二病に関する知識はないからね。ただ、神鏡については心当たりがある。恐らくあれは元々、落武者を封じ込めていたものだと思う』
「落武者を封じ込めていた……」
馬鹿馬鹿しいように思えるが、二人の女性が鏡の中に閉じ込められていることを考えればありえなくもない。しかし、それならば現在の鏡は神境としての役割から外れている。差し詰め魔鏡といったところだろう。
『より正確に言えば、あの神鏡に期待されたいる本来の役割は死者への弔いだよ。まあ、実態は封印だけど』
はつは少し呆れたようにそう言い放った。神鏡を「あるべき場所に」設置した者は、おそらく死者の魂が神境の中に封じ込められるとわかって設置したのだろう。
『そういうわけで、滅することができればそれに越したことはないけど、今回の勝利条件は神鏡を元あった場所に戻すことだね。そうすれば落武者も再び封じ込められてこの世に現れることはない』
「その時、中に閉じ込められている二人はどうなるんですか?」
零は純粋に鏡の中にいる人はどうなるか気になった。落武者と一緒に封じ込められるのだとしたら、余りにも不憫すぎる。
『基本的には神鏡が本来の力を取り戻し、生ある者は解放されると思う……けど、どうなるかはわからん。生者を神鏡に閉じ込めるなんて聞いたことないからね』
現実的だという意味で正しい勝利条件を教えたはつだが、ここにきて少し嫌になってきていた。
かつて鷺森雫と戦ったことについて零に話す気はない。だが、彼女と比べて零はあまりにも無知で無力過ぎる。鷺森家の末裔とは思えない弱さにうんざりしていたのだった。
『話は終わりだよ。助言もあげたつもりだし、あとは大丈夫だよね?』
「はい……」
はつの問いは零に向けられたものだ。正直なところ、神鏡の正しい設置場所がわからなければ、ヒントを得たところで勝負にならないだろう。だが不思議と、ここまでの質問をしたところではつが答えてくれないような気がしたので返事をした。
零の返事を聞いて、はつはすっと姿を消した。零は詩穂の方を見る。
「奈月さんとの練習もしながらだけど、落武者を封じる場所も探さないとだね」
『そうね。取り敢えずは長瀬さんからの連絡を待ちましょう。咲枝さんの状態からして、咲枝の住所からそんなに遠くないはずだと思う」
「わかった。……それじゃあ、僕も帰るよ」
零が駅に向かって歩き出そうとした直後、一人の若い女性が零をじっと見ていることに気が付いた。女性は詩穂の方も見ながら歩いてくる。
「黒山さん」
「何かしら?」
「……あの女性は知り合い?」
「え?」
零の見る先を目で追っていくと詩穂も女性の存在に気が付いた。すぐに「ああ」と思いついたように言ってから答える。
「あの方が栗川真悠さん。母の大親友よ」
「へえ……」
帰ろうと思ったが、真悠に挨拶しないのも非常識だと考えた零は残った。そして詩穂が一歩前に出て手を振る。
そんな詩穂の姿を見て、零は素直に驚いた。
「真悠さん、こんばんは」
声のトーンも少し高い。どうやら沙希と同等かそれ以上に真悠を慕っているようだ。
詩穂に手を振ってもらった真悠の表情はパァッと明るくなり、満面の笑みで手を振り返した。
「詩穂ちゃん、こんばんは! 遊びにきたよー!」
思った以上に明るい真悠の姿を見て、圧倒された零だった。