女剣士の剣技
奈月という強敵を前にした落武者だが、彼は奈月の能力を正しく評価しなかった。
決して舐めているというわけではない。ただ、相手が竹刀で対抗してきている上に女性なのだから、むしろ自分が舐められているような気がして面白くなかった。
『ええい、女が! でしゃばるな!』
「すごい、声まで聞こえる! ……って言いたいところだけど、女だからって言い方はボク嫌いかな!」
奈月から仕掛けた。光り輝く竹刀が縦に振られたので、落武者も応戦して防御する。しかし、その威力はここにいる誰もが想像していたよりも遥かに高かった。
激しい衝撃音が鳴って響く。落武者は少しでも力を抜けば斬撃を喰らってしまうくらいに押されていた。
『ぐおっ!? なんだ、これは!?』
「まだまだ、序の口だよ!」
奈月はすぐに次の攻撃へと移る。奈月の中でのタイムリミットは老婆が体制を立て直すまでの間。それまでの間に落武者を仕留める自身が奈月にはあった。
「はぁっ!」
落武者も死してなお、その剣は劣らない。しかし、奈月の猛攻は落武者が経験してきた中で最も強く激しい。防御で手一杯となり反撃が出来ない。
奈月からの攻撃を防御し、反撃の隙を窺うがすぐに次の斬撃が奈月から放たれる。縦横無尽の斬撃は予測出来ずにその場で判断して対応するしかなかった。
奈月の斬撃は、零や詩穂には殆ど見えないほどに素早い。二人はもちろんのこと、まさか現代において自分を凌駕する剣士が現れると思っていなかった落武者は激しく動揺した。
『ば、馬鹿な、某が……!』
「何時代の侍かは知らないけど、2人の為だからね、すぐにあの世へ送り返してあげる!」
元より、奈月の能力と本人の技量が高い。それに加えて、はつのコントロールで零の霊力を乗せた攻撃となっているので、落武者の刀にもついに限界がやってきた。ひび割れて砕けるのではなく、奈月の見事な一太刀で切り落とされてしまった。
『おのれぇ、おのれぇ!』
「勝負あり、だね」
武器を失い、丸腰きなった落武者へ一太刀浴びせる。しかし、落武者は後方へ跳び、間一髪で避けた。
「あれ?」
『ぐっ!』
落武者が悔しそうな顔で奈月を睨む。目線は殆ど見えないはずなのに、何故か敵意剥き出しで並んでいることだけは雰囲気で伝わった。
『なんたる恥、なんたる屈辱! 某が女相手に敗北を喫するなど!』
「恥ずかしがることはないよ。ボクに敗れた剣士は数えきれないほどいる」
『生意気な女め、覚えておるがいい! ええい、咲枝! 逃げるぞ』
落武者は老婆の中に入っていく。そして彼女に乗り移ると、年不相応な俊敏さで逃げられた。
奈月は追うことなく、背負っている竹刀袋に愛刀を納めた。張り詰めた緊張の糸は弛み「ふぅ」と一息吐いた。
「……まあ、逃げられちゃったけど、追いかけた先に待ち構えられていたら厄介だから、ボク達もここから離れよう」
奈月がある一点を指差す。そこには奈月が送迎でよく使う社用車があった。詩穂と零は奈月の指示に黙って従い、後ろに乗り込む。すぐさまその場を後にした。
車が発進してすぐ、声を発したのは詩穂だった。
「奈月さん、助けて下さりありがとうございました。でもどうして……?」
「いやぁ、本当は行きと帰りで両方ともボクが2人を送っていく予定だったけど、仕事都合でダメになったじゃない? そしたら沙希ちゃんが『せめて帰りは』って言うから急いで来たんだよ。それにしても、間に合って良かったぁ」
奈月の様子はいつもと変わらない。先程まであれだけ高次元な戦闘を行なっていたとは思えないほどに息も上がっていない。
今度は零が口を開いた。
「あれが、奈月さんの能力なんですか? 竹刀で戦うことに特化してるような……」
「うーん」
零の疑問に対して、奈月は答えにくそうだった。大抵の人間なら気にしない程の考える時間だったが、零は薄々「無神経な質問をした」と感じた。
───奈月の回答を聞くまでは。
「厳密に言うと少し違うかな? ボクの能力はあくまでも竹刀で何でも切れるようになるというだけで、ボクの身体能力を上げられるような能力じゃないんだ」
「それはつまり、竹刀だけに能力が発動するものであって、動きや力は全て奈月さん自身の技術だということですか?」
「技術って言われると大層に聞こえるけど……まあ、そういうことかな。慣れだよ、慣れ!」
奈月は何でもないようにコロっとそんなことを言ってしまう。だが、零からすれば、今の自分に最も足りていないところがまさにそこだ。歴代の鷺森家当主は専用の修練場所があったようだが、当主となり得ない零には歴代のような修練が積めない。
技術を教えてくれる人がいないから、独学で覚えていくしかない。しかし、それにはあまりに時間が足りないし、零自身、自らにそこまでの才能はないと思っている。
「…………」
対・落武者でも奈月の助けがなければ間違いなく負けていただろう。となれば、今回の案件では足手纏いになりかねない。
ここで手を引くのもありだろう。犯人は特定した。あとは詩穂と警察の仕事だと、潤も言うはずだ。
「……鷺森君」
「ん? 何?」
思い悩んでいるうちに自分の世界へ入ってしまっていたようだ。詩穂がすこしばかり困ったような顔をして話しかけてくるので驚いてしまった。
「鷺森君はこれからどうするのかしら?」
「どうするって……?」
「犯人はもう特定できたもの。私には落武者のことがどうなのかはわからないけれど、さっき襲ってきた老婆……旧姓・長谷川咲枝を捕まえればこの件は終わる。もう無理に付き合ってもらう必要はないから」
「ああ、そう、だね」
確かに地嶋家の案件だけを指して言うのであれば、零の役割はここまでだろう。
しかし、咲枝が逮捕されたところで、落武者はこの世ならざるものとして残り続ける。鷺森家の責務を考えたら戦い続けるしか選択肢はない……が、だからといって落武者を相手に勝てる自信もない。
「うん、僕としては落武者が放っておけない。でもこの有様じゃ……」
「何か不足が?」
「奈月さんが来てくれなきゃ僕達は負けていたよ。それは黒山さんだってわかるでしょ? 今の僕では落武者に勝てない」
「戦う力が欲しいということかしら?」
「…………」
零は黙って頷いた。詩穂自身、老婆からの攻撃を止めているだけで零と落武者を比べた時にどれだけ差があるのかはわからないが、彼が抱える無力感は共感出来た。
誰かのために何かするのは苦手だ。だけど今、隣で無力感に打ちひしがれる戦友の為に出来ることが一つある。
「奈月さん」
「ん、どうしたの、詩穂ちゃん?」
「鷺森君に剣術を教えてあげてくれませんか?」
「んー?」
奈月は特に驚いたような様子は見せなかった。話の流れから何となくそうなるだろうと察していたからだ。
そして断る理由も特段ない。
「いいよ? だけど、それが落武者を倒すためなのだとしたら、付け焼き刃にしかならないよ?」
「今回に限った話ではありません。鷺森君にも自分の能力を活かせるだけの技術を教えてくれる師匠が必要です」
「確かにそうかもしれないね。鷺森君はどう? ……やる?」
やる気を問う奈月からは普段の姿とは比べものにならないくらいの殺気が出ている。
断る理由はないが、やる気のない人間に教える気もない。詩穂のお願いだから叶えてあげたい気持ちはあるが、結局のところ大事なのは零自身の気持ちだ。零には上達しない理由に他者の意思を使って欲しくない。
奈月がルームミラー越しで零の姿を見ると、零は奈月に向かって深く頭を下げていた。
「僕はもっと強くならなければなりません。だから奈月さん、お願いします」
「うん、わかった!」
奈月は快く了承した。しかし、ただ了承しただけではない。
「ちゃんと教える……けど、零君が上達するまで待たないよ? 犯人の顔はわかったことだし、ボクはボクであのお婆さんを捕まえるつもり」
零の上達を待つことで新しい被害者が出るかもしれない。そうならないよう、この案件も早期解決が望まれている。故に奈月の言っていることは脅しなんかでない。
「はい」
それは零にもわかっていることだ。厳しい指導に耐える覚悟をしつつ、返事した。
ただこの時、三人の考えが纏まったところを見て『はつ』は心底呆れていた。