竹刀の女剣士
はっと我に返った零はピンク色の携帯電話を取り出して通話を掛ける。
目の前にいる落武者は残留思念ではない。この世ならざるものとしてそこに存在していた。落武者に通話を拒否する権利はなく、有無を言わさず零と繋がった。
「……もしもし」
『貴様、何故邪魔をする?』
「邪魔……?」
『左様。某は、ここにいる老体の憎しみに共感してここにおる。貴様はこの老体と何の関係がある?』
「関係? 初対面なのに関係も何もないでしょう」
『ふむ、そうか?』
零は落武者に何を言われているのか理解できなかった。それは落武者の方にも伝わっているはずだが、どうあろうが関係ないと言わんばかりに、落武者は刀の剣先を零に向けた。
『警告だ。貴様が首を突っ込んでおる件について、手を引くと契れるのであれば見逃してやろう』
「関わっている件……。黒山さん!」
「ええ、恐らくは……鷺森君の予想と私の予想は一緒でしょうね」
零は落武者の発言から察しただけだったが、詩穂は今回の犯人が老婆であることを確信していた。何故なら、詩穂の目線の先……老婆が持つ大きな丸い鏡の中には行方不明になった二人の顔が写っていたからだ。
意識はある。二人は閉じ込められているのを自覚しているようで鏡の中から脱出しようと内側から鏡を叩く。
「へへへへ、無駄じゃ」
老婆のしゃがれた笑い声は呪術師を彷彿させるものだった。そしてそれは閉じ込められた二人を嘲笑っているようであり、詩穂に向けたものでもあった。
詩穂は既に構えている。
「鷺森君!」
「うん?」
「老婆の持つ鏡は絶対に直視しないで! 同じ目に遭うわよ!」
「鏡……!」
閉じ込められている人を見つけたところで零には何も出来ない。
だが、詩穂は違う。彼女が持つ『漆黒』の効果を持ってすれば、閉じ込める能力を『拒絶』し、解放することも可能かもしれない。
詩穂に託そうと思った瞬間、落武者にも動きがあった。刀の剣先が零から詩穂へと向けられている方向が変わっていた。
「何を……?」
『某は邪魔者を斬り捨てるまで。それは小娘相手でも変わらん』
落武者は能力発動前の詩穂に向かって刀を振り下ろす。「そうはさせまい」と零も携帯電話を刀へと姿を変えさせて刃を受け止めた。
『ほう、貴様も剣を握るか』
「僕は僕で、貴方を葬る!」
全身で落武者の斬撃を押し返す。落武者は高らかに笑った。
『くかかかか! どれ、少し遊んでやろう!』
落武者が軽やかに前進して右足を踏み込み、刀を振り下ろす。あまりに軽やかで滑らかだったので、威力自体は大したものでないと思い、零は受け止めた。
「ガキッと」鉄同士が激しくぶつかる音を聞いた。その直後、受け止めた零が少しよろけた。
「ぐっ、強っ!」
見た目のイメージとは異なり、踏み込んだ袈裟斬りの威力はかなり重かった。見た目よりずっと、右足を強く踏んでいたようだ。
『まだまだ! こんなものではないわ!』
落武者は勢い弱めることなく、様々な角度から剣を振る。それを零は何とか受け流して応戦した。
落武者の斬撃は重い。それは生前、本人が鍛錬を積んできたこともあるだろうが、ここまでこの世ならざるものとして存在し続け、力を蓄えてきたということもある。そういった意味では、詩穂の近くにいるはずである『はつ』と少し近い。
詩穂には落武者の姿が見えていない。しかし、零の刀に何かしらが激しく当たっているのはわかる。彼女からしたら、俗に言うポルターガイストのような状態だった。
見えない攻撃は脅威だ。だが、そこは零が何とかしてくれている。詩穂は詩穂で目の前にいる相手と相対しなくてはならない。
「貴女が、地嶋グループの先代社長に手紙を送った長谷川咲枝さんかしら?」
「ふふ」
老婆は詩穂の問いに対して口角を上げて答えた。
「懐かしい名前だわ。あの人にちゃんと届いてたのねぇ」
「では、地島グループで近頃起きている誘拐事件も貴女の仕業だと?」
「見えてるものが全てだろう?」
「……っ!」
鏡の中にいる2人は詩穂の存在に気付いて助けを求めている。声こそは聞こえないが、表情と口の動きは間違いなくそれだった。
「なんて酷いことを……!」
詩穂が鏡に向けて『漆黒』を放とうとする。しかし、おいそれと詩穂に能力を使わせる咲枝ではなかった。
「させんよ」
詩穂に向けられた鏡が光出す。街灯の光や月の明かりを反射するようなレベルではない。むしろ鏡自体が光っていた。
「くっ!」
詩穂は急遽『漆黒』を自身の身を守るために使った。光は『漆黒』の闇に飲まれて貫通することはなかった。
「ほう……! これは脅威だな」
なおも咲枝は詩穂に光を当て続ける。正直なところ、咲枝にとってこれは時間稼ぎでしかない。本当の狙いはもっと別にあった。
一方、零は落武者の攻撃を捌くのにやっとで反撃の一つも出来ていなかった。
『ふ、やるな』
「はっ! はっ! はっ!」
一回一回の防御に力を込めていく必要がある。乱雑な呼吸ではすぐに限界が来てしまう。零はテンポよく呼吸することで、慎重に力むタイミングを掴んでいた。
『やる……が、それはあくまで素人にしては、だがな!』
「なっ!?」
落武者による渾身の横薙ぎはこれまでにない威力を誇った。何とか受け流せたことにほっとする零だが、返す刃はすぐに零を襲った。
「あっ……ぶな!」
間一髪のところで少しばかり後ろに下がって斬撃を避ける。その直後、すぐに袈裟斬りが零を襲った。
「ぐあっ!」
ついに威力を殺し切ることができず、刀を手放してしまった。すぐに拾おうとするが、剣先を向けられて身動きが取れなくなってしまった。
『某の剣にここまでついてきたこと、敵ながら見事』
「ど、どうも」
『だが、お前の力は厄介だ。某の目的を達する上で障害となりえん。ここで始末させてもらう。言い残すことはあるか』
「くっ!」
刀を横に薙ぐ。それはまるで、その一撃で首を刎ねるかのようだ。
しかし、その寸前で刀と何かがぶつかり、横薙ぎは失敗に終わった。刀がギチギチを音を立ててぶつかっているのは竹刀だった。
「竹刀……?」
「お待たせ、零君!」
零の下から割って入るように竹刀を滑り込ませたのは奈月だった。嗅いだことのある柔軟剤の匂いと声で零は奈月の存在を察知した。
「奈月さん!」
「はい……よっ!」
奈月は落武者を弾き返してすぐに構え直す。心強い助っ人だが、零は一つ心配な事があった。
「奈月さん、奴が見えるんですか?」
「あ、やっぱり何かいる? ボクには何がいるのか見えないけど、斬撃だけ見えてる感じかな?」
「え……?」
実のところ、斬撃すら見えていない。落武者の刀が見えない以上、斬撃の軌跡など追えるわけがない。
しかし、奈月はこれまでの戦闘経験で培った感覚で斬撃を察知している。もっと言ってしまえば、刀が空を切る音が聞こえているから、それを視覚的に錯覚して感じとっているのだった。
「とはいえ、相手が見えないと攻撃できないよねぇ。詩穂ちゃん! 『黒』で鷺森君の力をボクにリンクさせて!」
「やってみます」
詩穂は『漆黒』のオーラで光をお仕返し、そして『漆黒』が咲枝を包み込んだ。
「ぐあっ、あっ!」
咲枝が怯んでいる。その隙に詩穂は零に駆け寄って、零の手を取った。
不可解な行動に零は目を丸くして驚いた。
「えっ?」
「大人しく集中しなさい。鷺森君の力を奈月さんに共有するわ。姉さん! 手伝って!」
詩穂のお願いを聞いた『はつ』はどこからともなく現れて、気怠そうに了承した。
『仕方ないなぁ。まあ、霊力だから仕方ないか』
はつが詩穂の中へ入り込んでいく。どうやら霊力のコントロールは担うようだ。詩穂は左手を奈月に向けて『黒』を放った。
全体化の効果。本来なら単体でしか効果を発揮できないものの範囲を広げていく。
「よーし、見えた! ってなんじゃありゃ!?」
流石の奈月でもその目で落武者を見たことはない。目の前にいきなり絵に描いたような落武者が現れれば驚くのも無理はない。
「まあ、いいや! 行くぞ!」
奈月は竹刀を構えながら落武者に向かって突進した。