邪魔者扱い
零が気付いた時には沙希の祖母と話を始めてから1時間が経っていた。
あっという間に感じてしまうほどに話は盛り上がっていた。世代が違うというのに、どうも沙希の祖母は「聞き上手」過ぎる。詩穂や零が出した言葉の一つひとつを広い、そしてそれを深掘りしていく。
お茶を汲む以外、ずっと後ろに控えていた使用人が沙希の祖母へと寄って耳打ちをした。すると沙希の祖母は「あら、もうそんな時間?」と素直に驚いていた。
「ごめんなさいね、次の予定があるの」
「いえ。先代のお部屋に上がらせて頂いた上に、お茶やお菓子までご馳走になってしまって。こちらこそ何か申し訳ないです」
零が慌てたようにそう言うので、詩穂の祖母はまた口元を押さえて笑った。
「とても楽しい話が聞けたわ。またぜひ機会があったら聞かせてもらいたいけれど……。その時は詩穂ちゃんももっと聞かせてくれると嬉しいわ」
「……はい」
「なんだか本当に雰囲気が昔のお父さんにそっくりね。貴女、とても可愛いのだから、もっと今を楽しまなくては勿体無いわ」
「…………」
詩穂は黙ってお辞儀をした。無言の反応により、この意図せぬお茶会が本当にお開きとなる合図となった。
「齋藤。お二人をお送りして」
「はい」
部屋の外に待機していた齋藤が扉を開け、2人に退出を促す。それに従って2人は立ち上がって、改めて詩穂の祖母にお礼を言った。
「今日はありがとうございました」
「こちらこそ。事件のこと、よろしく頼むわね」
最早、最初のよそよそしさはない。零は微笑みを向けて別れを告げられるくらいに仲良くなったと思った。
齋藤の案内に従って退出し、廊下を歩いていった先に玄関が見えてきた。そこには靴が履きやすいように揃えられた2人の靴があった。
「齋藤さん、今日はありがとうございました」
詩穂が少し無愛想気味に御礼を言う。それに対して齋藤は笑いながら首を横に振った。
「いやいや、こちらこそ御足労ありがとうございました、だよ。詩穂ちゃんが元気な姿も見られたし、奥様もご満悦だったと思うよ。久々に楽しそうなお姿を見られることができた」
零と詩穂は靴を履いて齋藤に向き直す。沙希の祖母が楽しそうだったことが嬉しかったのか、齋藤の表情はニコニコしていた。
しかし、零はふと気になったことを口にする。
「ところで、手紙の件はどうなりました? 沙希さんのお祖母さんからは警察へ提出する許可を得られましたが」
「それならこっちで提出しておいたよ。ただ、地嶋家の使用人が犯人に繋がるかもしれない物を提出したところで信憑性が無いからね。申し訳ないけど、二人の名前を使わせてもらった」
「僕は構いませんが」
「私も構いません。提出していただいたということは、調査の結果が出てくるのも時間の問題でしょう」
詩穂の言葉に零と齋藤が頷く。そして詩穂は一度お辞儀してから踵を返し、扉を開けて出て行った。
「あっ、お邪魔しました」
「気を付けて帰ってね。ああ、そうだ。鷺森君」
「はい?」
「詩穂ちゃんのこと、よろしくね。あの子はとてもいい子なんだけど、ああいう性格だから……」
齋藤は心の底から詩穂を心配しているようだ。黒山詩穂という少女は、どうも本人の意思と裏腹に様々な大人から心配されている。
「よく言われます。黒山さんをよろしくって。でも黒山さんはあまり自分のことを僕に話してくれません」
「あの子は少し複雑な環境に身を置いているからね。自分勝手な大人達に振り回される可哀想な子だ。だからこそ、これも勝手かもしれないけど、皆あの子の幸せを願っている」
「黒山さんの幸せ……」
詩穂にとっての幸せとは何なのだろうか。人並みに恋愛をして彼氏がいれば幸せなのか? そんな姿はあまり想像できない。であるならば、何のいがみ合いやしがらみもなく、家族が一緒になって過ごせることが彼女にとっての幸せなのだろうか。
零には詩穂の幸せが何なのか、全く想像できなかった。
それを察した齋藤が笑いながら言う。
「ああ、いや。難しく考えなくていいんだ。詩穂ちゃんは孤立しやすい。私たち大人がいつも傍に居れればいいんだけど、そういうわけにもいかないでしょう? だから鷺森君が詩穂ちゃんの傍にいてくれれば安心だなって話さ」
「そうですか」
それも大人の勝手な押し付けだ。仮にも零が詩穂の近くにいようとしたところで彼女は拒むだろう。相棒となることを望む彼女だが、それは=親密な関係になろうということでもない。
だから零は善処はするけれども約束はできないという意味でそう答えたのだった。
「では僕もこれで失礼します。お邪魔しました」
「うん。気を付けて」
零も扉を開けて地嶋邸を後にした。詩穂を追いかけようと走り掛けたが、意外にも詩穂は待ってくれていた。
「てっきり、一人でスタスタ先に行っていると思ったよ」
「鷺森君だけでは迷うでしょう? 私だってそこまで冷酷ではないわ」
「それは失礼」
零が詩穂の横へ並ぶと詩穂も歩き出した。またひたすら無言で歩いて行くものだと思っていたが、すぐに詩穂が口を開いた。
「齋藤さんから変な話を聞いたりしてないでしょうね?」
「変な話?」
「わかっているでしょう? 私に関するくだらない話よ」
「いや、例によって黒山さんのことを頼まれただけだよ」
「例によって?」
詩穂が立ち止まる。そうして零に向ける目は訝しげなものだった。
「梨々香さんといい、奈月さんといい……皆さん揃って黒山さんのことを僕に頼んでるけど、知らなかった?」
「知らなかったわ。私がいないところでの話だもの」
止まっていた詩穂の足が再び歩き出す。どうやら少し呆れているようだ。
「皆さん、黒山さんのことを心配してるんだよ。僕にはその辺の事情がよくわからないけど、大人の身勝手さが黒山さんを不幸にしていると認識されているようだよ」
「……そう」
言葉こそ丁寧だが、ニュアンスとしては「あっそ」に近い。
それから会話は途切れ、無言で歩く。やがて見覚えのある重々しい扉を前にすると、自動で開いたので詩穂と零は門を潜る。そして門は再び閉まった。
特に振り返ることなく駅に向かって歩き出す。
詩穂は自分を取り巻く大人にうんざりしているのだろうか。その割には特に沙希に対して尊敬の眼差しを向けているように零は感じる。
「黒山さ……」
彼女がどう感じているのか気になる。だからそれを問おうとした瞬間、零の背中にゾクッと来る悪寒を感じた。
「何かしら、鷺森君?」
「……近い。この世ならざるものが近付いて来てる」
「え? あっ……」
詩穂も何かを感じたようだ。2人が向けた視線の先には老婆が一人、ゆっくりと近付いてくる。沙希の祖母とは違って腰が曲がっている。老婆のイメージそのものだった。
しかし、零には祖母ともう一つ、見えたものがあった。
「……侍?」
折れた矢がいくつも刺さったボロボロの甲冑を身に纏い、錆びてくすんだ刀を持って歩くその姿は「落武者」のようだった。
鷺森露から霊能力を植え付けられてから、様々なこの世ならざるものと戦ってきた零だが、落武者のようなそこまで昔の存在と遭遇するのは初めてだった。
「鷺森君、何か見えるかしら?」
「うん、落武者だ。少しヤバそうな感じだけど、黒山さんは?」
「私に見えるのは老婆だけよ。だけど、何だか重度の中二病患者である気がする」
「そっか……」
二人とも身構える。地嶋邸は住宅街から少し離れている。土地が広大であり、門から駅に向かって歩く途中には建物がない。あるのは道と地嶋家の土地だと示すための塀だけだ。
人通りもなく、辺りは薄暗い。敵襲があってもおかしくはないだろう。
「……邪魔者が」
老婆がそう呟く。ただし、詩穂と零の耳にははっきりと届いていない。それが余計に不気味さを演出していた。