高貴な老婆の昔話
先週はおやすみをありがとうございました。
家族の誰にも告げずに執筆し続けている負の部分が出てしまいました。
「さあ、どうぞ。こちらへ」
上品という言葉以外で形容し難い老婆が机を挟んで正面のソファに手を向けて二人に着席するよう促す。それに従ってソファへ着座する直前、詩穂と零は事前に打ち合わせてもいないのに声を重ねて「失礼します」と言ってから座った。
改めてじっと見てみると、その老婆が沙希の祖母であることに間違いない。少しばかり沙希と似た面影があると零は思った。
「鷺森君」
「あっはい」
考え事をしている最中で沙希の祖母に名を呼ばれた零はまたも驚いて変な反応をしてしまった。側から見れば緊張しているように見えるので、それが可笑しくて沙希の祖母は思わず笑ってしまった。
「ふふふ」
零は何だか照れ臭くなって右手で後頭部を掻いた。その姿を見て沙希の祖母は自身の反応が失礼に値したのだと自覚して頭を下げた。
「御不快だったかしら。ごめんなさいね」
「いえ」
零は謝罪を受け入れつつ、ふと目の前にいる人が沙希の祖母であることを改めて実感した。沙希よりも少し柔和な雰囲気であるが、話し方は沙希とほぼ一緒だった。
「詩穂ちゃんもまた一段と大人に……綺麗になったわね」
「ありがとうございます」
詩穂は沙希の祖母に対しても友好的なようだ。学校ではあまり見せない、比較的柔らかい笑顔を詩穂は沙希の祖母に向けていた。
「さて。地嶋グループに降りかかっている災いについては聞いています。そしてそれを解決する為に二人が協力してくれていることも」
「…………」
「その中で、鷺森君。貴方は霊感があり、私の亡き夫や伊塚君の聲を聞いたそうですね。沙希を通じ、黒山透夜君や齋藤からも話を聞いたわ」
「えっ、あっ、はい」
伊塚の話はともかく、地嶋グループ先代の聲を聞いたのはつい先程のことだ。ずっと近くにいたはずの齋藤から聞いたというのは情報が早すぎる。物理的に無理なはずだ。そこに動揺して零は驚きを隠さなかった。
しかし、地嶋家ではそれが当たり前のことなのか、沙希の祖母はそれを気にしない。そして隣に座っている詩穂も気にしている様子がなかった。
「まずは伊塚君の話を聞かせてくれるかしら」
「勿論、ですが……。僕自身、何をお話しすればいいのか」
「それもそうね。例えば、貴方が会った伊塚君がどんな姿をしていたのかとか、言っていたこととか」
「姿ですか? そうですね……」
零は出来るだけその時のことを思い出しつつ、言葉を選んで口にした。ただ思ったことを述べるだけでは伝わらないと思ったからだ。
「工場での仕事をしていたのでしょうか、作業着を着ていました。それからあまりご飯を食べてなかったのか、痩せていて……どちらかというとやつれた感じでした」
「そう……。それから?」
「少し言いにくいですけど、ずっと恨んでいるようでした。それと同時に河原で座って夕陽を眺めながら、思い出に浸っていたので、当時がとても幸せだったことを思い出していたようです」
「そうですか。鷺森君は、彼のことをどこまで知ってるの?」
「高校時代に貴女と付き合いされていた事と、それから死因。あとはあの河原がお二人にとって特別な場所だったということでしょうか」
「そこまでご存知だとは……。霊感ある方というのは、色々わかってしまうのね」
地嶋家の先代は鷺森家のことを知っていたようだが、どうやらその妻までは知らないらしい。とはいえ、地嶋家はビジネスで成功している家だとはいえ、鷺森家のように古からの名家だというわけではない。零の能力に対して分別がないのも無理はない。
だから零は首を横に振った。
「いいえ。どちらかというと、僕は残留思念を読み取る力に長けているだけです」
「ざんりゅうしねん……?」
「その場所に残った思い出のようなものです。その場所が変わらず残る限り、色んな人が関わる思い出を見ることができ、そして会話することが出来ます。伊塚さんともその能力を使って話しました」
「場所に残った思い出……」
「ええ。どちらかといえば、そこで黄昏る伊塚さんが強かったのですが、少しだけお二人の姿も見えました。詳しくは探れていませんが」
「そうなのね。あの場所は、私と伊塚君が最初に話をした場所なの」
沙希の祖母はどこか遠くを見るような眼差しで二人に思い出を語る。それに対して詩穂は意外そうな顔をしていた。
そう、意外。詩穂にとって……いや、沙希の祖母を知る人にとって彼女が思い出話をするなど意外そのものだ。特に昔の恋人、伊塚とのことならば尚更だ。
沙希の祖母自身、そう思われているということに自覚があった。だから詩穂に向かって少しばかり悪戯心のある笑みを向けた。
「誰にでも語るというわけではないわよ。ただ、伊塚君の残留思念と言葉を交わせる鷺森君であるなら、いずれ私と伊塚君の残留思念に遭遇することもあるかもしれない。それなら話しておくべきだと思ったの」
「すみません」
詩穂は意外そうな顔をしてしまったことが失礼だったのだと自覚して謝罪した。それに対し、沙希の祖母は首を横に振る。
「謝ることはないわ。私自身、話そうと思ったことに驚いているもの」
沙希の祖母は口を押さえて上品に笑う。そして話を続けた。
「鷺森君がご存知の通り、伊塚君は私の元恋人。今でも……いえ、今だからこそ伊塚君のことを思い出すわ。私は伊塚君のことが大好きだった」
「…………」
「しかし、私の両親は野心家だった。決して無能だというわけではないのだけれど、地嶋家のように成功するだけの特別は持っていなかった。事業に挑戦するも失敗してしまった。事業の立て直しをする為に地嶋家へ私を嫁がせることにしたの」
そこで少しだけ間が出来たので、零は気になったことを問い掛けた。
「伊塚さんは駆け落ちをする覚悟くらい出来たと言っていました。それを貴女に告げることも叶わず、二度と会えなかったと」
「伊塚君ならそうしたでしょうね。私も随分と悩んだわ。もしかしたら、その道を辿っていたかもしれない。しかし、それは両親を見捨てるということでもある。当時の私があったのは紛れもなく両親のお陰。私はそれが出来なかった」
「…………」
「以前、透夜君に助けてもらった時、私は伊塚君に罵倒されたわ。相談しなかった私は裏切り者だと。でも相談したらきっと私は伊塚君と生きる道を選んだわ。私の幸せと両親の生死を天秤に掛けた時、重かったのは両親の生死。だから私はこの道を選んだの。愛の無い結婚だったけれど、幸せなこともあったわ」
「…………」
「私の選択を正当化するつもりはないわ。両親の生は守れたけれど、結局のところ事業は地嶋グループに吸収されているのだもの。伊塚君を裏切り、死に追いやったのも私の選択の結果」
「それでも、死後の伊塚さんは納得しているようでした。いずれどの伊塚さんと遭遇しても、きっと納得してくれるはずです」
「そうかしら。……そうだといいわね」
「それにしても、結末はどうあれ伊塚さんはずっと一人を想い続けたのだからすごいと思います。彼の死に対して早まったと思う人もいるかもしれませんが……」
「そうね。私には批判する権利などないから何も言えないけれど。……二人とも、老人の思い出話に付き合ってくれてありがとう。お礼にと言っては何だけれど、何か聞きたいことがあるのでしょう?」
「はい。地嶋家先代の社長も、ご結婚なされる前に付き合っていた女性がいるのだと先代のお部屋で知りました。長谷川さんというらしいのですが」
零の問いに対し、沙希の祖母は真剣な顔で首を縦に振った。
「あの人にも恋仲がいたのはあの人自身から聞いたわ。齋藤から見せてもらった手紙の差出人には私も心当たりがある」
「では……!」
「でも残念だけれど、長谷川というのは旧姓よ。私達が結婚してしばらくしてから、彼女が別の人と結婚した話を聞いたわ。だけど、嫁ぎ先まではわからないの。齋藤に言って、警察には届けさせているけれど、下のお名前もわかっていることだし、旧姓が長谷川さんだというだけでも絞れるんじゃないかしら」
沙希の祖母は残った紅茶を飲み干し、ティーカップをそっと置く。
「貴方達はまだ16だというのに、こんなに重い事を背負わせてごめんなさいね。だけど、お茶菓子やお茶もまだあることだし、せっかくなら高校生らしい話を聞かせて欲しいわ」
きっとそれは、高校時代に結ばれたのに将来が約束されなかった二人への鎮魂歌となるかもしれない。少なくともそれは慰めとなる。沙希の祖母は伊塚勇の顔を思い浮かべながら、二人に話を振って今の高校生活に関する話を優しく微笑んで聞いた。
読んで下さりありがとうございます。夏風陽向です。
久々の後書き。近況報告というよりも、今回の話について書き残しておきたかったことがあります。
前作で描いた伊塚と津田の物語はあくまでも伊塚視点となっています。
津田の結婚理由については深堀してませんでしたので、今回は津田の身に何が起きたのかを書きました。
本当はここまで書くつもりはなかったのですが、筆が走ったというか、指が走ったというか。
地嶋家と津田家の関係については特に触れていませんが、そこはご想像にお任せします。