隠れた相談所
零は帰宅してからずっと考え事をしていた。
零がこの世ならざる者を倒す為に使う《妖刀・現》。これは本来持っている残留思念と心を通わせる力と、フィーチャーフォンを通じて会話できる能力を複合した武器である。
しかし祖母の話では、鷺森家の先祖もこの世ならざる者と戦ってきた歴史があるという。当然、この家を継いできた祖母にもその力が備わっていてもおかしくないというのに、零は祖母のそんな姿を見たことがない。
では一体、先祖はどういう方法で戦ってきたというのか。残留思念と心を通わせられることから先祖が何かしら特別な力を持っていたことは納得できるが、やはりだからといってこの世ならざる者と戦った歴史を信じることは出来ない。
この家に何かしら残留思念があったのであれば、まだヒントがあったかもしれない。だが、この世ならざる者と相対してきた歴史があるだけあって、喜怒哀楽のどれもが残留思念として存在していない。結局のところ、鷺森家の歴史は信じるだけで成り立たせるしかないのだ。
考え事をしている雰囲気が出てしまっていたのか、夕飯を食べている最中だというのに険しい表情をしていた零を見て、祖母が声を掛けた。
「零、そんな暗い顔してどうしたんだい?」
「ん? ああ、強大な敵を前にした時、御先祖様ならどう戦っていたのか気になって」
「…………」
祖母はキョトンとした顔をした。一方で、夕食の時くらいでしか顔を合わせられない祖父はテレビに夢中で零の話を聞いていない。
「零。強大な敵といっても、その形は固有じゃない。様々な強大さがある。零は一体、何を強大って言ってるんだ?」
「うーん、例えば……初見の相手で自分の戦法が通用しない相手、かな。鷺森家が特別な力を有しているように、他にも特別な力を有した人がいるだろうし」
まさか祖母に重度の中二病患者の話をする訳にもいかず、それを自身達と同じ境遇の人を出すことによって相手の姿を濁した。
だが、祖母は何かを悟ったかのように微笑を浮かべて答えた。
「確かに鷺森家はこの世ならざる者と相対した時には絶大な力を誇る。だけどな、人には得手不得手があるように、力にも効果を発揮できる相手と出来ない相手がある。そういった意味では、我が家の力は生きている普通の人には効果が殆ど無い。相手が生きている人間で鍛えてきた相手だというのであれば、人として備わっている本来の力で戦うか、強い人に任せるしかないだろう」
「それはつまり、適材適所ってこと?」
「そういうことさね。自分が不得手としている相手に無理して戦うことは避けるべきなのさ」
「うーん、やっぱりそうなっちゃうかー……」
「どんな相手にも優位に立てる力などありはしない。じゃんけんと一緒なのさ。そんなありもしない理想を追い求めるより、可能性のある現実を研鑽した方が、為になる」
(……やはり、僕にできることは重度の中二病を切るくらいか)
零は祖母の話を聞いて、恋悟と対等に渡り合う方法を考えるのをやめた。険しい表情が緩和して、祖母も微笑を浮かべた。
「それでも、零は代々の鷺森家を考えれば1つ上に立っていると思ってる。今でこそ、この世ならざる者の認知度は減ってしまったが、それでも役割が無くなるわけではない。鷺森家としての使命を果たすんだ」
「うん、わかったよ」
零は頷きつつ食事のペースを早め、来るべき日曜の夕方に備えることにした。
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詩穂は高台へと登り、煌めく街を眺めていた。夕飯時であるこの時間は、街が一番活気付いている時間だ。人と触れ合うことをあまり好まない詩穂だが、こうして眺めていることだけは好きだった。
横から女性の声が聞こえる。
『詩穂、帰らないの?』
姿は何処にもない。姿を出したところで詩穂以外には見えないのだから、別に問題はないというのに。
「ちょっとお母さんと顔を合わせづらくて」
『…………? 喧嘩したというわけでもないのに?』
「お母さん、精神的に余裕が無さそうだし」
詩穂の母、詩織は周りの母親に比べてかなり若い。30代で母親をやっているわけなのだから、親としての責務に追われる日々に鬱憤のようなものが溜まっている。詩穂の前ではそれを出さないようにしているが、それでも娘である詩穂にはわかってしまっていた。
詩穂が街を歩く人々と建物の光を眺めていると、ようやく隣で声を発していた女性が姿を現した。
詩穂より少し年上に見える女性なのだが、少しばかり雰囲気が今風ではない。彼女はもうこの世に存在していないが、悪霊として詩穂に取り憑いていたわけでもなかった。
『大丈夫よ、詩穂。私がいつでもついているから』
「ありがとう、姉さん」
姉さん……とは呼んでいるものの、本当に姉妹だというわけではない。詩穂が物心ついたときには既に一緒にいて、そして能力の使い方を詩穂に教えたのもこの女性だった。
『……明後日はようやく恋悟に辿り着く』
「ええ。これでまた、目標に近付けるわ」
打倒・恋悟は詩穂だけの目標ではない。隣で詩穂の頭を撫でるこの女性にとっても目標である。その表情は恐ろしいくらいに歓喜で満ち溢れていた。
『大丈夫。私が教えた通りに戦えば、必ず勝てる』
「ええ。必ず勝つ……!」
詩穂は勝利することを改めて誓い、重い足で自宅へと向かった。
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土曜日は2人とも大人しく休み、日曜日の夕方を迎えた。
集合場所はお互いがわかる公園。まだ日が沈んでいない夏の夕方には人々が発する喧騒とは別にヒグラシの鳴き声が聞こえる。
「こんにちは、黒山さん」
先に来ていた零がやってくる詩穂を見つけて声を掛けた。詩穂は小さく頷いて同じように挨拶を返した。
「それでは、行きましょう」
「うん」
2人並んで歩き出す。一応、この日に限って言えば2人は恋人の設定だが、特にそれを意識することもなく並んで歩いていた。お互いにそんなことに気付く様子もない。
「ところで、僕達は何処へ向かっているんだい?」
「個人経営の喫茶店。恋悟に恋愛相談をする時は、大体そこだという決まりみたいなのがあるらしいわ」
「へぇ……。でも、そういうことが決まっているなら、潤達なら知ってそうな気がするけど」
「ええ、私もそこが疑問だったわ。ただまあ、一度彼と接点を持った人からの紹介でないと辿り着けない仕組みのようだわ」
「成程。潤達のように恋愛をしている時間がない人達じゃ気付かないわけだ」
実際、潤のような重度の中二病患者と戦う者達はあまり遊んでいる時間がない。彼らの全貌をしっているわけではない零はその実態を知らないが、少なくとも潤の様子を見ている限りはその暇が無さそうだ。
だから彼らがなかなか恋悟に辿り着けない理由に納得出来たのだ。
街中の路地裏。目立たない隅にその喫茶店はあった。扉を開けたときに聞こえる音は少しばかり風情がある。
「あ……」
短く声を上げたのは零だ。その喫茶店にも残留思念が見える。様々な人がこの店に訪れ、コーヒーとケーキを味わう。そしてその中には、あの青年がいた。
恋悟に恋愛相談をしている。その様子は不思議と何処か楽しげである。
「鷺森君?」
「えっ、ああ、ごめん」
零は意識を現実に向け、詩穂と一緒に店内へ入っていく。そこには青年の後輩と恋悟がいた。
「2人とも、こんにちは。彼が御目当ての人ね。私はこれで失礼するけど、大丈夫?」
「ええ、ありがとうございます」
女性は残っていた飲み物を飲み干し、この場を後にする。そして店内は店のマスター。詩穂と零。そして恋悟の4人となった。
恋悟の姿を見て零は心底驚いた。残留思念で見た姿はもっと怪しげだったが、今は普通の人と何も変わらない姿をしている。むしろ、清潔感のある好青年とさえ思えてくる。
「僕は恋悟。どこで僕のことを知ったのかはわかりませんが、精一杯相談に乗らせていただきますね。ところでお2人とも、座ったらどうですかね?」
どう反応したらいいのかわからない零は詩穂の出方を伺った。そして詩穂は首を横に振り、真っ直ぐ恋悟の目を見て言い放つ。
「その必要はないわ、『恋愛』を司る者・恋悟。私は貴方を倒しに来たのだから」
「───!」
恋悟は素直に驚愕の表情を浮かべた。まさか、ここで戦いを挑まれるとは思わなかったからだ。
「驚きましたね。まさか、恋愛相談ではなくて無力化に来られるとはね。ですが、ここは僕にとってお気に入りの店。……ですからね、場所を変えましょうね」
「そうやって逃げるつもりでしょう?」
「疑い深いですね。でも安心して欲しいですね。そんなつもりはこれっぽっちも無いですからね」
恋悟は右手の人差し指と親指を合わせて隙間を作った。そのには隙間と言えるほどの隙間もない。つまり、彼の言うことが本当なのであれば、詩穂達を前にして「逃げる程の脅威ではない」と言っているようなものだ。
恋悟は残った飲み物を飲み干し、会計を済ませてから扉を開けた。そして2人に対し、外へ出るように促した。
読んでくださりありがとうございます。夏風陽向です。
尊敬するラノベ作家が後書きで「世の中が悪い方向に進んでいっている気がする」と仰っていましたが、私も常日頃から感じていることです。
むしろ、明るい未来が見えないと言う意味ではある意味で暗黒期のようなものなのかもしれません。
ぼんやりとした不安ばかりあります。何だかとても辛い世の中ですね。
それじゃあ、また次回。来週もよろしくお願いします。