先代の予感
開いた扉の先は少しだけカビ臭かった。しかし、その臭いでさえこの部屋の味となっており、部屋の印象を一言で表すのであれば「アンティーク」だ。
ちょうど午後2時になったところで室内の振り子時計が音を鳴らした。鷺森家にも振り子時計はあるが、地嶋家のものほど大きくない。むしろここにある「大きなのっぽの古時計」が珍しいまである。
「先代の社長はアンティークな家具を集めるのが趣味だったんですか?」
零の率直な質問に対し、齋藤は顎に手を当てながら唸り、迷った末に答えた。
「こういうタイプの家具が好きだと言うのは確かにそうだと思う。ただ、先代様の場合はその家具に愛着があると言った方が正しいかもしれないね」
「成る程」
「例えばあの時計だって、まさに愛着さ。聞いた話だとあの時計は先代様が生まれた記念として買ったものだと聞く。先代様はあの時計や生まれた時からある家具をベースにアンティーク調を愛用していたようだね」
齋藤は先代の部屋に入っても恐れている様子はない。幽霊という存在に懐疑的なのだろうが、部屋そのものは少しばかり雰囲気が暗い。もっとも、零の隣にいる詩穂も全く恐れていないようだか。
「どうかしら、鷺森君」
「齋藤さんが言っていた幽霊というのは見えないみたいだけど……」
「何もないと?」
「うーん……」
何もないただの部屋というわけでもない。零はなんとなくそんな気がした。
「少し、残留思念を視てみようと思う」
「わかったわ」
零は部屋の中央で目を凝らす。すると、1人の老人が大きな古い時計に触って何かをしているのが見えた。
零は服のポケットからピンクのガラケーを取り出して、老人との通話を試みた。
『ん? お前は?』
「僕の名前は鷺森零といいます」
『鷺森……? 除霊師のか?』
「鷺森家をご存知なのですか?」
『懐かしい名だ。かつて雫さんには地嶋家も世話になったものだが、若くしてこの世を去ったと聞いたのだが……』
「その後は鷺森露の娘、霰が後継となりました」
『そうか……。それで、その鷺森が私に何かようか?』
「ここ最近、地嶋グループの女性社員が行方不明になる事件が起こってます。その主犯格が貴方の元恋人なのではないかと疑っているんです」
『なんだと……!』
先代の反応は元恋人が疑われていることに対して怒ったものではない。むしろ、予見していたことがついに起こってしまったかのような驚きを示したものだった。
「心当たりが?」
『…………』
先代は時計への細工を止めて零を見る。やがて観念したかのように項垂れながら、机の引き出しを開けて折り畳まれた紙を取り出した。
『5年程前になる。随分と懐かしい名前の人間から手紙が届いていた。そこには私への恨み言が書かれておった』
「元恋人の、ですか?」
『そうだ。私ら夫婦は互いに親が決めた結婚に従った身であり、本当に好いておった相手が別におる。私もずっとあいつのことが忘れられず、気付けば死の間際になってしまった』
「その人の名前を伺っても?」
『この手紙から読み取るがいい。……しかし、君がここにいるということは時計の音を聞いたのか?』
「時計の音……?」
『ああ。報復を予感した私は、私の死後でも何者かが気付けるように時計は仕掛けをした。掃除の時間に訪れた者へメッセージを残したのだ』
「ああ、そういうことでしたか」
本当に霊感がある者であれば、幽霊の言葉を聞くことが出来る。それは耳から脳へと入っていくというより、脳へ直接入っていく。しかし、耳を通じて聞き取っているように錯覚する不思議な感覚だと、零は祖母に聞いたことがあった。
だが、この屋敷における聴覚的なものは時計に仕掛けられたというものらしい。視覚的に先代を認識したのは多少なりとも霊感がある人間だったからだろう。
「時計の音……だとは気が付かなかったようです。貴方の姿を見たという人が数人いるという話も聞きましたが」
その話を聞いた先代は少しばかり残念そうな顔をした。
『そうか。ともすれば、死後の私は気付いてもらおうと、ついには化けて出るようになったのだろうな』
狙い通りには伝わらなかった。しかし、こうして零がそれに気付いてくれた。それはつまり、目的を達することが出来たという意味でもある。先代は顔を上げて微笑んだ。
『私はもう、死んだ身なのだろう?』
「はい」
『ならばもし、あいつに会うことがあれば……いや、君の言う事件を止めた時、あいつには片時も忘れたことがない程に好いていたと伝えてくれるか?』
「わかりました」
零が先代の願いを聞き入れ頷くと、その直後に意識は現代へと戻っていた。零の意思で残留思念との接触を断つのが基本だが、これ以上に伝えることがなければ残留思念の方から断つこともある。
ピンク色の携帯を耳から離すと、詩穂が顔を覗き込んできた。
「どうだった?」
「うわっ、あ、うん」
零が後退りする。詩穂の行動が予想外だったからだ。
「取り敢えず、幽霊の声については時計の仕掛けだということがわかった。それと───」
零は机の方へ歩いていき、先代が開けた引き出しを同じように開けた。そこには折り畳まれた手紙と古い一枚の写真が出てきた。その写真に映った若い女性は姿勢良く座り、こちらを見て微笑んでいる。
「この手紙を書いた人が恐らく主犯だと思う」
手紙を開いて中を見ると、ボールペンで達筆に書かれている。所々が原型わからず読めないが、差出人に長谷川咲枝と書かれていた。
「長谷川……咲枝……」
詩穂と齋藤もその手紙を覗き見る。詩穂は差出人の名前を押さえてもっともな意見を述べた。
「名前さえわかれば、長瀬さんが探してくれるでしょう」
「そうだね。先代の残留思念はこれに恨み言が書かれていると言っていた。これを書いた人が犯人で間違いないだろう」
詩穂は手紙を零から受け取り、齋藤に訊ねる。
「齋藤さん。この手紙を預かってもいいでしょうか。警察に渡して捜査に役立てたいので」
しかし、齋藤は首を横に張った。
「いいよって言いたいところだけど、まずは奥様に確認を取らないとだね。許可が降り次第、警察には届けておくから、これは預からせてもらうよ」
齋藤が半ば強引に手紙を受け取る。そしてそれを見ながら首を傾げた。
「しかし、先代様が亡くなられた際に遺品整理をしたと思ったんだが」
「遺品整理? それは誰がしたんですか?」
「奥様と数人の使用人だ。誰もこれを見つけられなかったとは考えにくい」
謎は深まる一方だが、一方で詩穂は何も気にしていない。少しばかり困惑する齋藤に対して冷静に自分の意見を述べる。
「沙希さんのお祖母さんに聞けばいいだけのことでしょう。鷺森君、他には何か手掛かりはないのかしら?」
「残念ながら他には得られなかった。先代の結婚はどちらも未練があるものだったってことは教えてもらえたけど」
「そう。なら長居はせず帰りましょう」
「うん」
詩穂と零が齋藤の方を向くと、齋藤は「まあまあ」と言いながら笑った。
「お茶を飲んでいくといい。奥様が話したいことがあるって言ってたからね。案内するよ」
齋藤が先に先代の部屋から出て、それに続いて二人も部屋を出る。そして齋藤はしっかり部屋の戸を閉めると、二人を応接間へと案内した。
応接間の雰囲気は先代の部屋とは異なった趣となっている。お金持ちというステータスに反することなく、花と赤が基調となった豪華な印象を持たせる家具が使われていた。
そこには立ち上がった腰の曲がった老婆と後ろに女性の使用人が控えていた。
「御無沙汰しております」
「ええ、お久しぶりね。詩穂ちゃん。元気そうで何よりだわ。そして貴方が鷺森零君ね?」
「えっ、あっ、はい。初めまして」
零は驚いてしまったばかりに、ぎこちない挨拶となってしまったのが恥ずかしく顔が赤くなってしまった。