母の表情
1日を通して疲れた零はいつもより早めに寝ることにした。透夜と有意義な話を出来たと思っているが、一方で伊塚のことが気になっていた。
「救い……か……」
透夜の話では既に伊塚は救われているという。かの有名な《クリフォト》による誘拐事件を解決に導いた男が言うのだから嘘はないだろう。
しかし、裏切られたことに対する救いとは何なのだろうか? 当人同士が話をし合って思惑や真実を明かし合うことが本当に救いなのだろうか。
その答えを零は持っていない。自分に置き換えて考えて見た時、それが本当に救いとなるのか理解できない。
きっと零にとってそれは、傷口に塩を塗る行為でしかない。
自分が納得できる救いとは何なのか。
それを考えているうちに零の意識は眠りの闇へと落ちた。
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翌日になって登校していると、零は不思議な感覚に陥った。
以前にも見たような光景が目の前に広がっている……人それをデジャヴという。
───というのも、昇降口前で詩穂が待っていたからだ。前回と違った点があるとすれば、それは彼女がジッと零を睨んでいるということであり、その変化に気付かない零は既視感と直後の違和感に襲われて軽く混乱していた。
取り敢えず、見られていることに間違いはない。零は自身の後頭部を軽く掻きながら、詩穂に話しかけた。
「えっと、黒山さん。おはよう……」
「あら鷺森君。おはよう」
「ああ、うん……」
あたかも「偶然ね」とでも言い出すかのような挨拶の仕方に、零は突っ込みを入れたくて仕方がなかった。
しかし、突っ込まない。あくまでも心の中で突っ込みを入れるだけだ。
「大体の予想はついているけど、聞きたいのは昨日のこと?」
「ええ、話が早くて助かるわ。単刀直入に聞くけれど、昨日も変な話は聞いてないわよね?」
「聞いてないよ」
昨日の今日で詩穂は零と透夜が一緒に行動していたのを知っていた。恐るべし情報収集能力を前に零はただ下を巻いた。
「そう? ならいいのだけれど」
「ああ、でも……黒山さんのお母さんとご友人の仲がかなり良いということはわかったよ」
「友人……?」
詩穂が訝しげな顔をした。どうやら言っている人物が誰かをわかっていないようだと察した零は、右手の人差し指を上に向けて「ほら」と前置きしてから詳細を語る。
「前にクリスマスを一緒に過ごしているというご友人のことだよ。瑠璃ヶ丘高校に寄ってくことになったから、少し視えたんだ」
「成る程、そういうこと? 真悠さんのことね」
自身の家庭環境を知られることは嫌がるものの、真悠については知られても気にすることがない。
だが、詩穂にとって一つ気になることがあった。
「母は……どんな表現をしていた?」
「え?」
意外な質問を投げかけられて零は一瞬だけキョトンとしたが、詩穂の真剣な表情を見て「真面目に答えなければ」と感じたので、よく思い出して答える。
「とても楽しそうにしていたよ。ありふれた普通の高校生としてご友人と笑っていた」
「そう……」
詩穂の脳裏に母の笑顔が一瞬だけ浮かび上がった。自分と一緒にいるだけでは見せないけれど、真悠が会いに来てくれることで高校時代を思い出したかのように見せる笑顔だ。
少しばかり切ない顔をしてから、表情をすぐにいつもの無表情へと戻した。切ない顔を一瞬でも見たのが嘘や勘違いだと思ってしまうほどの速さだった。
詩穂は何を言うこともなく、自身の下履きが収納されている下駄箱へとすぐに歩き出した。
零はそんな詩穂を後ろ姿を見ることしか出来なかった。
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授業の内容を全く聞いていないというわけではないが、零は授業中もここから先の調査をどうするか悩んでいた。
今回の事件は地嶋グループ……延いては地嶋家への怨恨が原因で起こっているとして、沙希の祖父と恋仲にあったという犯人(仮)をどうやって見つけるべきなのか。
残留思念で追っていくにも限界がある。そもそも、まずは沙希の祖父と犯人(仮)が一緒にいた場所を探し出さなくてはならない。
だが、その場所を当てるには二人が恋仲であったことを知っていて目撃した人を探し当てる必要がある。
(……いや、待てよ)
零はそこまで考えてからあることを思い付いた。
伊塚勇からもらった情報をもとに調査していくのは自分の仕事だと勝手に思い込んでいたが、そんな遠回りをせずとも沙希の祖父……つまり、当事者に聞けば良いのだ。
そこに透夜が気付いていないというのは聞きなるが、零は零でそれを詩穂にお願いしてみることにした。
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零は放課後に話をすべく、詩穂に電話をしておいた。亜梨沙相手ならSNSのチャットで済むのだが、詩穂はSNSの類をやっていない。スマートフォンを弄っているところすら殆ど見ないのが現状だ。
零が指定した集合場所は昇降口だ。帰宅がてら何処かへ寄っていくつもりは全くと言っていいほどないが、教室のような誰に聞かれるかわからない場所や、周囲の新たな誤解が生まれないよう、ほぼ二人だけの世界を作れるような場所は避けた。
とはいえ、二人で下校するというのも十分に誤解されかねないが、この光景は既に大勢が目撃しており、零と詩穂が付き合っているというわけでない事実は、特に本人達が弁明せずとも何故か知れ渡っている。
これが普段……毎日であれば話は変わってくるだろう。
待ち合わせには零の方が先に到着していた。亜梨沙のように器用な友達付き合いをしない詩穂はそう待たずして現れた。
「待たせたかしら?」
「全然待ってないよ」
そんなやりとりをしつつも二人は歩き出す。そしてすぐに零は詩穂に本題を話した。
「昨日、黒山さんのお父さんと調査した件についてなんだけど」
「ええ」
「実は共通の残留思念を探していたようで、その残留思念を見つけられることが出来たから、話をしたんだ」
「少し待って? 父は鷺森君のような能力は持っていなかったのだと思うのだけれど?」
「ああ、うん。それについては黒山さんの言う通りだね。同じものを追っていたけれど、僕と黒山さんのお父さんでは見えているものの性質は異なってる。黒山さんのお父さんが見ていたものは『凍結』という能力で保存されていた思い出なんだ」
「……そう」
正直なところ、流石の詩穂でも完璧な理解には追いついていない。ただ「何となく」だけわかったつもりだ。
ここに対する理解度は大した問題ではない。だからちゃんと理解してもらうようくどく説明することを零もするつもりはなかった。
「この残留思念を探すに至った経緯は取り敢えず省くけど、今回の事件は地嶋グループ……沙希さんのお祖父さんへの怨恨が原因であるという可能性が出てきたんだ」
「沙希さんのお祖父さんを? 一体誰が?」
「昔、恋仲にあった女性……っぽい」
詩穂は顎に手を当てて考えだす。その姿を見た零は何かしら妙案が出てくるのではないかと期待した。
「しかし、それは困ったわね」
「困った?」
「ええ。仮に鷺森君や父の調査内容が当たっていたとしても、確認のしようがない。沙希さんのお祖父さんは随分前に亡くなられているのだもの」
「え。あ……ああ、そういうことか」
零は透夜が沙希の祖父に確認してみることを提案したかった理由がここにきてようやくわかった。確かに、亡くなられているのでは確認のしようがない。
だが、詩穂は人差し指を立てて話を続ける。
「ただそれは普通の人だった場合なの。私達にはまだ確認する方法があるわ」