ラフランスのケーキ
亜梨沙の目と意識が期間限定のケーキへ向いてしまったことに少し寂しさを感じた零だが、零自身も目の前にケーキが置かれた瞬間、すぐにケーキへと意識が向いた。
そのケーキは西洋梨を使ったケーキだった。色の鮮やかさを出すためにマスカットが頂点に置かれているが、スポンジとクリームで作られた断層の間に西洋梨があった。
「ごゆっくり」と言って店員が去っていく。亜梨沙はすぐにスマートフォンを取り出して、ケーキと紅茶を画面に収めて写真を撮った。
「SNSに載せるの?」
零がふと感じた疑問を口にした。亜梨沙は少し驚いたような顔をしたが、すぐに首を横に振って否定する。
「友達に見せるんだよ。今度は皆と来るきっかけになるかもしれないじゃん?」
「へぇ、成る程」
友達に「期間限定、ラフランスのケーキを食べてきたよ」と話す時、亜梨沙は誰と行ったのか話すのだろうか。友達との間では、亜梨沙と零が交友を深めていることが認知されているが、零はそこが気になってしまった。
しかしそんなことを質問したりしない。女の子同士で何をどのように話しているかだなんて、気になっても詮索してはならないと零は思っているからだ。
零は注文したホットコーヒーをブラックで一口飲む。寒さに対して人一倍嫌悪感を持っている零は暑いコーヒーが喉を通って胃の中へ落ちていく感覚に心地よさを感じた。
「ふふふ」
それを亜梨沙が笑って見ている。零は笑われたことに首を傾げた。
「え、何?」
「いやぁ、温かい飲み物を飲む零君があまりにも幸せそうだったから」
「そりゃあ、温かい飲み物にはずっと救われているからね。夏になると自販機は冷たい飲み物ばかりだったから辛かったなぁ……」
零の能力に対する代償は冷感。夏でもコートを羽織らなくてはならないくらいに寒さを感じていたものだから、夏でも温かい飲み物を愛飲していた。
最近ようやく感じるようになった暑さにもまだ慣れていない。どうにか身体を適応させようとしているうちに夏が終わってしまったので、少しばかり名残惜しさを感じていたのが本音だ。
「私も初めて零君を見た時は驚いたよ。季節に関係なくコートを羽織って震えているし、汗が一滴も出てないし」
「……重度の中二病に対して理解のある人なら比較的受け入れてくれるけど、極小数だ。大抵の人は僕のことを変人だと思っただろうね」
零が苦笑いで言ったことを亜梨沙は否定しなかった。確かに鷺森零はずっとコートを羽織ってる変人だということで有名だった。今でこそ仲良くできる亜梨沙も最初は警戒していた。
「ケーキ、食べよ?」
「ああ、うん。そうだね」
亜梨沙に促されてほぼ2人同時に一切れを口の中へ運ぶ。ケーキの柔らかさを殺さない程度に西洋梨の食感も楽しめた。零が亜梨沙の方を見てみると、亜梨沙にとっても美味しく感じたのか次々と口の中へ運んでいっている。
「…………」
不意に零の中で「自分は何をやっているのか」という言葉が湧いて出た。かつて相棒だった女の子ともこういうやり取りはしたから、もう二度とこうやって一緒にお茶を楽しむような関係性を異性と作らないよう心に決めたつもりだった。
重度の中二病患者と戦う上での相棒関係だけでなく、異性との関係性にもトラウマを抱えている。そこまで零は自覚していなかったが、潤は気付いていた。
それでも亜梨沙は重度の中二病と関係なく仲良く出来る存在だ。今の零と亜梨沙の関係性は健全なものであり、それ故に潤も亜梨沙と仲良くすることを推奨している。
零は自分の中で湧いた言葉を打ち消した。今この瞬間を楽しまないでどうするというのか。そんなことより、零はクリスマスについて考えなくてはいけなかった。
「そ、それでクリスマスはどう過ごそうか? というか、どう過ごせば正解なんだろう?」
零には異性と過ごすクリスマスの正解がわからない。今は中学時代に比べて出来ることが遥かに多くなっているので、どうすれば亜梨沙が満足できるようなクリスマスになるかわからなかった。
亜梨沙は首を傾げて笑う。
「そんなの私にもわからないよ。だから、これから一緒にどう過ごそうか考えるの。そうやって一緒に考える時間も楽しいじゃん?」
「あ……」
それは全く想定していない答えだった。ある意味では亜梨沙がどのような提案をしてきても、それは零にとって予想外となってしまうが、一緒に考えるという答えは予想だけでなく想定すらしなかった意外なものだった。
それでも一番納得のいく答えだということに違いはない。零は自分でも気付かないうちに満面の笑みとなって「そうだね」返しながらと首を縦に振った。
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零にとって想定外となったのは亜梨沙の答えだけではない。
仕事が遅いと思われていた透夜はミーティングルームでまた沙希と話をしていた。前回と異なっているのは、この場にいるのが2人だけではなく、奈月もいるという点だ。いよいよ奈月の力を借りなくてはならないと沙希は頭を抱えながら判断した。
「えっと、沙希ちゃん。どういうこと?」
奈月はホワイトボードを見ながら首を傾げる。事の発端から話を聞いたものの、全てを理解できなかったようだ。しかし、透夜がそれを責めることはない。
「無理もないだろう。俺も正直驚いている。まさか、小池美苗さんに続いて新たな被害者が出るとは思いもしなかったからな」
すかさず沙希が口を挟む。
「まだ行方不明だと決まったわけでは……。でもそうね、何か関係があるという線・視点でも見た方がいいかもしれないわね」
3人が見ているホワイトボードには、小池美苗と並んで新しい写真が貼られていた。また年齢が30代でこの場にいる3人と年齢の近い池本春香という女性社員だ。
池本春香は本日欠勤した。しかしそれは無断の欠勤であり、連絡先に電話をしても繋がらない。3人がここに集まっているのは、警察と一緒に池本春香の自宅へ行って安否確認をした後のことだった。
「もしも小池さんと池本さんの事件に繋がりがあるのなら、これは当社を狙ったものだと考えるのが自然だな。ただ、警察や世間はまず労働環境を調べるだろうが……」
「……そうね」
そう遠くないうちに警察や労働局は池本春香の勤務状況を調べるだろう。過重労働による自発的な行方不明だという可能性も現代社会では十分に考えられる。マスコミもこの状況を放ってはおかないだろう。沙希が額を抑えながら今後の話をする。
「マスコミや監査機関は私が対応するわ。透夜は引き続き、社内事情の調査。奈月は詩穂ちゃんと鷺森君の手助けをお願い」
「えっ? それって逆の方が良くない?」
奈月は率直に透夜と自身の役割が適材適所で言うと逆だと感じた。女性の内部事情を探るには同性がいいだろうし、女性社員を狙った男性社員による犯行なのであれば、奈月はターゲット層に当てはまっている。
そして詩穂の父親であり、零とも何度か言葉を交わしている透夜は高校生2人と一緒にやった方がいいだろう。
確かに沙希も同じことを思った。しかしそこには、管理職を悩ませるよくある要因が存在している。
「透夜にサポートさせようにも、きっと詩穂ちゃんは受け入れないわ。むしろ協調して欲しい場面なのに分裂することだって考えられる。純粋な適材適所で言えば奈月の言う通りなのだけど、こちらの手札を有効活用するにはこうするしかないわ」
「そっか……。うん、わかった」
奈月としては納得のいかない部分がある。詩穂と透夜の親子関係を憂うのであれば、尚更組ませるべきなのではと思っている。ただ、沙希の判断であるのであれば反発はしない。それは組織的な指示系統に従うというよりも、相方の判断を信じるという、長い付き合いから来る信頼だった。
読んで下さりありがとうございます。夏風陽向です。
少し体調を崩しまして、久々に「ちょっとやばいな」と思いました。
ところが不思議なことに元気な時よりも、ゆっくり後書きを書くことが出来ているんですよね。
先週あたりにも少しお話しさせていただいた通り、ミステリというジャンルを読むようになりました。
死体が出ないタイプのものでして、個人的には好きなのですが、その作者が出されている他の本で死体が出る作品もあるのですが、そちらの方が人気なんですよね。
死体の出ない日常的な謎よりも、殺人を隠蔽しようとする犯人を追い詰める方が面白く感じられるのでしょうか。
確かにヴァン・ダインの二十則でも死体の有無については触れられています。
そして、事件解決において特殊能力を使った解決は白けるとも。そういった意味では、この「思念と漆黒」は面白くないのでしょう。
元々バトル要素と軽い調査で描こうとしていた作品なので、ミステリとは少し違うのかもしれませんが、
クライムサスペンス的にはもう少し話の作り方、構成などは改善すべきなのかなと感じています。
それではまた次回。来週もよろしくお願いします!