英雄からの依頼
透夜はホワイトボードに女性の写真を貼った後、その下に小池美苗と名前を書き足した。
写真の女性は30代前半くらいの比較的若い人だ。証明写真用に撮ったのだろうか。正面を向いて髪を後ろに纏めている。
事件が起きた時期や写真の女性に関する情報をホワイトボードに書き足しながら、零と詩穂に対して説明を始めた。
「今から2週間ほど前になる。日頃から真面目に出勤していた小池さんが突如として会社を無断欠勤したんだ。流石に異変を感じた弊社は警察や住んでいるアパートの管理人と連携を取り、彼女の家に向かったが、そこには誰もいなかった。行方不明だという判断をして小池さんを捜索するものの、手掛かりすら掴めていないのが現状だ」
「つまり、僕に依頼したいのは小池さんの捜索ですか?」
零は心の底から疑問に思った。言い方は悪いかもしれないが、行方不明者を捜索するくらいなら警察に任せておくだけで十分だ。大企業が高校生に頼るというリスクを負うほどの案件だとは思えない。
質問を受けた透夜の表情を見て、零は自分の感度が間違っていないことを確信した。
「確かに彼女の捜索も大事なことだが、俺はこれが誘拐事件なのではないかと思えてならない」
「どういうことですか?」
零の頭には疑問が増えた。確かに透夜は誘拐事件を解決に導いた英雄なのだから、今回も何かしら似たような状況が確認されていれば、その可能性もあるのだろう。
しかしそれが、過去の実績に対する自信過剰でそう思い込んでしまっているのであれば、否定しなくてはならない。
零は透夜の反応を窺った。
「単なる失踪ではないと思ったのは、小池さんの部屋に仕事で使っている鞄や靴が無かったことだ。もし仮に自分の意思で失踪するのであれば、わざわざ出勤中や帰宅中にはしないだろう。もっと動きやすく、無難な格好をするはずだ」
「確かにその可能性もあると思いますが、小池さんが何かしら仕事や職場での人間関係などで追い詰められていたら、そんな判断すら出来ないのでは?」
透夜の分析は確かにあり得ないことでもない。ただ、部屋の状況だけで誘拐と判断するのは早すぎる。零は素直にそう思った。
だが、透夜は自分の見解を否定されたのにも関わらず、少しばかり楽しそうな顔をしていた。こういった議論が好きなのだと性格が出ている。
「鷺森君の言う通りだ。そこで、小池さんが自分の意思で失踪したのか、或いは誰かに誘拐されて姿を消したのか、それを知るために協力を依頼したいんだ」
「警察はなんて?」
「さっきも言った通り、手掛かりすら掴めていない。街の監視カメラで写っている小池さんの姿は帰宅時が最後だ。どこか別の場所へ向かっているような素振りもなければ、誰かに襲われた姿もない」
それはつまり、警察も現段階では手掛かりを掴めていないということだ。2週間しか経っていないのだから長瀬から依頼が来ることもなかったのだろう。
とはいえ、零に断る理由はなかった。
「わかりました。では僕は小池さんの行動を調べてみます。黒山さんは?」
尋ねたのは詩穂の方ではなく透夜の方だ。詩穂は零と一緒に行動するのは決まってる。
「俺は小池さんが所属している部署内を調べてみる。表向きは何もないように見えて、実は何かが潜んでいるかもしれないからな」
「…………」
零は首を縦に振った後、ペットボトルの蓋を回して開け、お茶を飲んだ。
透夜が詩穂の方を見る。
「詩穂、鷺森君を守ってあげてくれ。何かあっても、お前の能力ならちゃんと守れるだろう」
「言われるまでもないわ」
「そうだな」
詩穂はいつも以上に冷たく透夜に向かって答えた。そのわずかなやり取りが、詩穂の父親に対する感情を現している。
『拒絶』をもってしても拒み切れることのできない複雑な感情。零は幼い時に父親を亡くしているから、どういうものなのかあまり理解できなかった。
透夜も娘からどう思われているのかを察しているのだろう。少しばかり寂しそうな顔をしたが、すぐに切り替えて零を見る。
「鷺森君、他に質問はあるか?」
「小池さんの住所や通勤路などの情報が欲しいです。それから、他に外出した場合の行き先などもわかるとありがたいです」
「それもそうだな。……とはいえ、非公式での調査となるから表立って個人情報を渡せない。詩穂の携帯に位置情報などを送っておくから、一緒に確認してくれ。休日の外出先などは可能な範囲で調べて情報共有しよう」
「お願いします。何かわかれば、名刺に書かれている連絡先に連絡すればいいですか?」
「ああ。詩穂を通じてでもいいしな」
「わかりました」
透夜は零に対してかなり友好的な態度で話をする。それほど、鷺森零という人間を信頼していた。
話がひと段落し、これ以上は話すことはないだろうと思った詩穂が立ち上がる。
「話は終わりかしら? ないようなら、私は帰るわ」
「ああ。気を付けて帰れよ? 詩織にも、よろしくな……」
詩織の名前を出されて詩穂は透夜をキッと睨む。その表情はまるで憎しみを抱いているようだった。
「私を使わず、自分で言えばいいじゃない」
責めるように言われた透夜は下を向いて、ただ「すまない」と言っただけだった。その後の沈黙に耐え切れなかった詩穂は何も言わずにミーティングルームから出て行った。
透夜は零に申し訳なさそうな表情を向けた。
「───見苦しいところを見せて悪かった」
「いえ。お二人が親子だと知った時は鳥肌が立ちましたが、あまり仲良くないんですか?」
「はは、君はストレートだな。だが君の言う通り、詩穂は俺に対してああいう態度を向ける。それは反抗期とかそういうのじゃなくて、俺が悪いだけなんだけどな」
「確かに、黒山さ……詩穂さんは反抗期って感じがしないですね」
「俺は父親を知らないから、父親がどうあるべきなのかがわからない。……そんなの、ただの言い訳かもしれないが、父親っていうのは難しいな」
「僕が詩穂さんの立場なら誇らしく思うかもしれません。だって黒山透夜といったら、15年前に起こった事件を解決した有名人ですからね」
その話を聞いて透夜は困ったように小さく笑う。
「それは俺の名前が一人歩きしてるだけだ。あの時はたくさんの仲間に助けられた。俺1人だったら詩織達を助けられなかっただろうからな」
「えっ、詩穂さんのお母さんも被害者なんですか?」
加害者である《クリフォト》と首謀者である白河現輝のことは有名だが、被害者は女子高校生だったことしか知られていない。零も名前までは知らなかった。
「ああ、そうだ。出来ることなら、あの頃をやり直したい」
透夜は悲しそうにそう言う。ブラインドの隙間に指を入れ、外の景色を見る透夜がどんな表情でそれを言ったのか、零にはわからなかった。
振り返って零を見る。その表情は詩穂とよく似た無表情に近い冷静な顔だった。
「鷺森君。あの子は能力によってかなり難しい性格となっているが、どうか支えてあげて欲しい。俺や詩織には多分、出来ない。親として何も出来ないのが不甲斐なくて悔しいが、君ならきっと……」
透夜が頭を下げる。零は慌てて立ち上がって答える。
「頭を下げないでください! 可能な限り、僕がサポートします。どちらかといえば、僕の方が助けられるかもしれませんが」
零の言葉を聞いて、透夜は少しばかり安堵した。だが零としては複雑な気持ちで、この状況下では「誰とも組む気はない」などと口が裂けても言えなかった。
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透夜に見送られた零はエレベーターで一階まで戻る。扉が開いた先には詩穂が待っていた。
「待たせてごめん、黒山さん」
「別に構わないわ。それより、あの人から何か変なこと聞いたりしてないでしょうね?」
「多分、黒山さんが警戒しているようなことは何も。15年前のことを当事者からの視点で教えてもらっただけだよ」
「そう、ならいいわ。ここに長居は無用よ。これを返してさっさと帰りましょう」
詩穂は右手で首から下げた許可証を持ち上げる。首を縦に振った零と一緒に歩き出し、受付で許可証を返した。
出入り口から出ようと踵を返したら、視線を向けた先に奈月がいた。
「あ、2人とも終わった? 帰りもボクが送って行くね」
「ありがとうございます」
奈月を見た詩穂の表情は少しだけ柔らかくなった。奈月の案内で2人は駐車場へと向かい、そこで車に乗って会社を後にする。
後部座席で揺られながら、零と詩穂の2人はそれぞれ違う方向を見て、街や流れる大きな川を見ていた。それから信号待ちで車が止まった瞬間、奈月が口を開く。
「詩穂ちゃん、透夜とは久々に話せた?」
詩穂は外の景色から視線を移し、奈月の方をじっと見た。
読んで下さりありがとうございます。夏風陽向です。
朝晩に対して昼間の気温は高いですね。この寒暖差はかなり身体にこたえてます。
それが関係しているのかは不明ですが、最近はどうも寝落ちが多い傾向です。気をつけなくてはいけませんね。
それではまた次回。来週もよろしくお願いします!