伝説の功労者
車に乗っている間、奈月はただひたすらに世間話をしていた。どうやら詩穂が奈月に会うのは久しぶりらしい。積もる話があったようで、詩穂はどこか嬉しそうに話をしている。
詩穂が両親に関する話を零にすることはないが、電話越しから何かしら問題を抱えていることは何となくわかっている。
梨々香の時は零を除け者にした。だが、沙希が関わる時は除け者にしようとはしない。その差が何なのか、零は疑問に思った。
そんなことを疑問に思いながら詩穂を観察するうちに、車は目的地へと到着していた。入り口の前で車が止まる。
「ボクは車を車庫に入れてくるから、二人は先に降りててよ。受付に名前を言えば、通してもらえるから!」
「わかりました」
「ありがとうございます」
奈月の言葉にそれぞれ返事して車を降りる。縦にも横にも大きい建物を前にして、零は唖然としてしまった。
「鷺森君?」
「あ、いや。えっと、ここは……?」
「地嶋グループの支社。地嶋グループは鷺森君も知ってるわよね?」
「そりゃ超有名大企業だからね、知ってるよ。そうじゃなくて、僕達はここに入っていくの?」
「そう」
詩穂はいつものように淡々としている。大企業の支社を目の前にいつも通りでいる詩穂を見て、零は少し混乱した。
実は詩穂がまともで、自分が意識しすぎているのではないか、と。
社名をじっと見て、ようやく考えが至る。かつて会った地嶋沙希というお金持ちそうな女性は、この地嶋グループと関係しているのだ。
背中に冷たい汗が流れる。考えていたより、ずっと大きなことに巻き込まれているとわかって、頭が痛くなった。
「何しているの、行くわよ」
「あ、ああ……」
詩穂が堂々と入って行こうとするので、後に続いて零も入って行く。受付に立つ女性が高校生の訪れを見て一瞬驚いた顔をしたが、そこは社の看板を背負っている自覚があるのか、すぐに二人を迎える笑顔を使った。
「ようこそいらっしゃいました。本日はどのようなご用件でしょうか?」
客を相手しているようで子供を相手しているようでもある。少しばかり小馬鹿にされているようにも感じた零ではあるが、そこまで悪い気はしていなかった。
落ち着いた声で詩穂が答える。
「黒山詩穂と鷺森零です。地嶋さんに呼ばれて来ました」
地嶋の名前を聞いて受付の女性は目を丸くした。動揺を隠し切れず、驚いたまま対処をする。
「しょ、少々お待ちください!」
受付の女性が急いで受話器を取って内線を入れる。どうやらすぐに指示が出たようで、通話を終えて受話器を置いた受付の女性は右手でエレベーターを指した。
「8階のミーティングルームで待っているそうです。これを首から下げていただいて、あちらのエレベーターからどうぞ」
「…………」
「はい、ありがとうございます」
受付の女性から渡されたのは許可証だった。
詩穂が黙って首を縦に振って受け取るだけなので、慌てて零がお礼を言う。相手が仕事で対応しているとはいえ、丁寧な心遣いには応えるべきだと零は考えている。……といっても、それは祖母の受け売りである。
受付の女性も笑顔で応えてくれた。零は小さく会釈だけして詩穂と一緒にエレベーターへ入ろうとする。
「あ、あれ?」
上を指すボタンを押すが入口が開かない。横から詩穂が許可証をボタンのすぐ下にかざす。それからボタンを押してようやく扉が開いた。
「あ、そういう……」
「行くわよ」
「あ、うん」
零は恥を感じて顔を赤くした。それに対して何も言わない詩穂の態度が余計に恥を感じさせた。それでも切り替えていかなくてはいけない。
一応、他に出入りする人がいないことを確認して扉を閉め、8のボタンを押した。
エレベーターがゆっくりと動き出す。比較的新しいエレベーターなのか、動きが滑らかだった。
「黒山さんは、ここに来たことがあるんだ? エレベーターの使い方も知っているようだし」
「ええ。父が働いているもの。沙希さんにも良くしてもらっているし。エレベーターに関しては現代のセキュリティ的に当然よ」
「ああ、そう……。でも、そんな黒山さんでも顔パスじゃないのがちょっと意外に思ってさ」
「仮に受付の人が私のことを知っていても、私自身は社員じゃないのだから、通されなくて当然でしょ。通すものならセキュリティ面を沙希さんに指摘するわ」
「く、クールだなぁ」
父親が働いていて、知り合いが重役であるのなら顔パスで鼻が高くなるものだろう。それでも他者は他者で自分は自分だと分別できるのは素直にすごいと思った。
「…………」
エレベーターはガラス張りになっていて外が見える。歩く人々、走る車達、空を飛ぶ鳥達。それぞれの生活が一部見えたようで不思議な気持ちになる。
「鷺森君」
「ん、ああ」
思わず外の世界に意識が吸い込まれているうちに8階へ到着したようだ。詩穂に名前を呼ばれて我に返る。
扉が開き、一歩踏み出す。廊下でさえ絨毯が敷かれていて踏み込んだ瞬間の柔らかさは言葉に出来ない。思えばミーティングルームがどこにあるのか零は知らないので少し困惑したが、一方で詩穂はミーティングルームがどこにあるのか知っているようで迷わない足取りで、歩みを進めた。
すれ違う社員達は誰もが驚いた顔で二人を見る。だが、その誰もが詩穂の顔を見ただけで納得した顔ですれ違った。
ミーティングルームの前に辿り着き、詩穂が扉を3回叩く。返事を待たずして扉を開けた。
「…………」
扉を開け、一歩踏み出したところで詩穂の動きが止まる。そんなリアクションを零は疑問に感じた。
「あれ、どうした?」
「…………」
詩穂は抱いた動揺をすぐに心中へ押し込めた。或いは持っている能力で『拒絶』をした。詩穂の『漆黒』に含まれる『拒絶』は重度の中二病による能力の効果を無効化するだけではなく、自身や他者の強い感情を一時的に無効化することも出来る。
「いえ、何も。大丈夫よ」
「そう?」
零も詩穂に続いてミーティングルームへ入っていく。そこに立っていた男を見て、零も目を丸くした。
「えっ、どうしてここに?」
「……やはり君が来たか、予想通りで安心した」
そこに立っていたのは公園でよく会って話をした男だ。親身になって話をしてくれた人なので、驚きはしたものの零も嬉しかった。
「ここで働いてらっしゃる……んですね」
首から下げられている社員証を見て更に驚愕した。そこにあった名前は黒山透夜。つまり彼は詩穂の父親であり、15年前に起きた《クリフォト》による誘拐事件を解決に導いた英雄だ。
かつて、公園で出会った時に感じた既視感。誰かに似ているような、既視感の正体は黒山詩穂だ。この親子は見た目もそうだが、他人を寄せ付けないようにしようとしている雰囲気がよく似ている。
透夜はスーツの内ポケットから名刺入れを取り出し、中の名刺を一枚、零に渡す。
「改めて自己紹介を。俺の名は黒山透夜。娘の詩穂がいつもお世話になっています」
「あ、どうも。僕は鷺森零です。こちらこそ黒……詩穂さんにはお世話になっています。お会いできたのは嬉しいですが、地嶋沙希さんに呼ばれてここに来ました」
「ああ、わかってる。確かに呼んだのは地嶋だが、この件は俺に任されているんだ」
透夜は二人を椅子に座るよう促す。二人が座ったのを見計らって、予め用意しておいたペットボトルのお茶を机の上に置いて二人に渡す。
「鷺森君、君の活躍は聞いている。今回の件にはどうしても鷺森君の力が必要だと思ったんだ。力を貸して欲しい」
「それはもちろん、黒山さんのお役に立ちたいと思いますが、まずはお話を聞かせて貰えますか?」
「ああ。それも、そうだな」
透夜はミーティングルームのホワイトボードを引っ張ってきて、ある女性の写真をマグネットで貼り付けた。
読んでくださりありがとうございます。夏風陽向です。
奈月も前作のキャラになります。
個人的には割と好きなキャラです。
それではまた次回。来週もよろしくお願いします!