龍と虎
トラと零が握手を交わしてから2日後、トラのスマホにリュウからのメッセージが届いた。
休みだとはいえ、トラに無視する気はない。ただひとこと『わかった』とだけ返信して、待ち合わせ場所へと向かった。
何も難しい場所ではない。他人にとっては特別な場所ではないが、トラとリュウにとっては特別な場所だった。
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トラは待ち合わせ場所である河原へと歩いて向かった。近所だということもあり、わざわざバイクを使うまでもない。
というのは理屈の上での話であり、歩いていくことに意味がある。今まで自分が正しいと思うことをしてきたつもりだが、感傷に浸りたい時もある。河原に行く道、リュウとシアが一緒にいた幼き日の記憶が蘇る。
待ち合わせの場所へと辿り着き、大きな石の上に座って川のせせらぎを眺めた。しばらくそうしているとこちらに近付く足音が聞こえたので振り返る。
「よう、リュウ。わざわざ休日に呼ぶなんてお前らしいな」
「…………」
リュウは『ドラゴンソウル』のリーダーだったとはいえ、普段は真面目な学生だ。むしろ『ドラゴンソウル』というチームは、トラ達の『ラグナロク』のようなヤンキー集団ではない。反ヤンキー集団とも呼べる、真面目な人の集まりなのだから、そのリーダーであるリュウはトラよりももっとレベルの高い高校に通っている。
遊びよりも勉学優先。だからこそ、こうしてトラを呼び出したのは時間が作りやすい休日となったのだ。
リュウの表情はとても友好的な雰囲気ではない。むしろ怒っているようだ。
「トラ、どういうつもりだ?」
「何がだ……って言うまでもないよな」
「わかっているだろう? シアのことだ。どうしてミアを売るようなことをした? お前なら、うまく誤魔化すこともできただろう?」
「……意外だな、お前がそんなこと言うなんてよ」
トラも立ち上がってリュウと向き合う。確かにトラであればミアを匿うことが出来たかもしれない。零と一緒に自首させることを選ばなければ、こんな未来を避けられたかもしれない。
───だが、それでも。
「リュウ。てめぇは、シアの為なら罪を見逃せってのかよ?」
「それは……」
「ミアは人を殺したんだ。その罪は絶対に償わなきゃならねぇ。それはてめぇの方がわかってるんじゃねぇのか?」
「…………」
リュウは真面目で正義感が強い性格だ。その性格ゆえにミアが捕まり、その影響を受けることになるシアのことを想ってトラを責めたのだ。
しかしその一方で、罪と罰の正当性もわかっている。トラの言葉に何も言い返せなかった。
「だけど、シアはどうなる? 殺人犯の家族がどういう扱いを受けるか、お前にも想像は難くないはずだ」
「あいつが今まで通り暮らせないことは俺もわかってる。けどせめて、俺たちだけはシアをシアとして扱い続ける。それが俺たちにできる唯一のことなんじゃねぇのか」
「離れて暮らすシアを守れるのか? 俺はシアをお前に託したんだぞ?」
「近くでは守れねぇ。けど俺は、高校卒業して働いて、シアを迎えに行く覚悟はしてる。それまではずっと一緒にいてやれるわけじゃねぇけど、それが俺の守るっていう選択なんだよ」
「…………」
トラの決心は固い。トラの言葉、表情からリュウはそれを感じた。
そしてトラの決心は決してリュウでは真似できない。リュウの場合はその先に進学が待ち構えており、それから思い通りにいけば、ようやくシアを迎えに行く準備が出来る。
だがそれでは間に合わない。きっとシアは孤独で潰れてしまうだろう。
だからやはり、トラに任せるしかなかった。
リュウはトラの襟元を掴む。
「シアのこと、頼んだぞ。これであいつを不幸に陥れる結果となるなら、俺はお前を許さないからな」
「言われるまでもねぇよ」
リュウはトラの襟元から手を離すと、握った拳をトラの前に出した。それに応えたトラも拳を握り、リュウの拳にぶつけた。
親友との約束。同じ女性を愛した男と男の約束。トラはその光景や言った言葉の全てを胸に刻んだ。
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残念ながら、トラとリュウは引っ越すシアを見送ることが出来なかった。
それもそのはずで、シアの一家は人知れずこの街を離れたからだ。近所に知られるのも時間の問題で、既に噂レベルとして広まってしまったのだから、大々的に引っ越すわけにはいかない。まるで夜逃げのようになってしまっても、それを疑問に思う人はいなかった。
むしろ「噂は本当だったのだ」と裏付けるような結果となってしまった。シアの一家は、ヒソヒソと噂をされる日々に精神的なダメージを受け続けるよりも、住み慣れた家を失う一時的なダメージを選んだのだった。
そんな事の顛末をトラから知らされることもなく、零は最早珍しくもなくなってしまった校長室へと呼ばれた。そこには案の定、長瀬と詩穂がいる。
「あら、遅かったわね」
詩穂がいつもの位置に座って横目で零を見る。その表情は少し小馬鹿にしたような挑発的だったので、零は少し呆れたように両肩を上げて校長室へと入った。
「どっかの誰かさんのように誰にもちょっかい出されることなくここまで来れるわけじゃないんだよ……。それで長瀬さん。今日はどうしたんですか?」
「呼び出して悪いね。とりあえず座ったらどう? といっても、ここは校長室で私もお邪魔している側なんだけど」
長瀬の冗談混じりな言葉を聞いて零も微笑んだ。促されたまま詩穂の隣に座り、真正面の長瀬を見る。
校長はいつも通りこの部屋にいるが、まだ沈黙している。3人のやり取りでさえ、どこか楽しそうに見ていた。
「いや、今回は依頼以上に協力してもらったからね。『友愛』のことを考えれば、今後も協力してもらう必要があるわけだし、進捗状況というか事の顛末を話しておこうと思ってね」
「…………?」
零からすれば、ミアが逮捕された後に他の加害者(友香によって殺害に及んでしまったと言う点では被害者だが)が次々と捕まっている……というところで終わりだと思っていた。
しかし、長瀬の口から語られたのはミアのその後とその一家がどうなったのかだ。そこでようやく、シアがどうなったのかを零は知った。
ミアの取り調べは順調に進んでいる。重度の中二病患者という存在が世の中に浸透していないとはいえ、友香の能力によって殺害に及んでしまったことは罰を決定する上で考慮される。
その話を聞いて零は少し安堵した。
「そういえば……鷺森君と一緒にいた先輩は例の『ラグナロク』のリーダーなんだそうだね。聞いた話だと今はもうリーダーを降りたそうだけど」
「え?」
全く聞かされていない話を聞いて零は目を丸くした。あのトラがチームを手放すなど、あり得ないと思ったからだ。
そこは校長が口を開いて補足する。
「長曽根君は生活態度を改めて過ごしていると報告を受けている。全く……教師は皆、鷺森君のように驚いた顔をしていたよ」
「…………」
その理由をトラに聞こうか零は悩んだ。そんな零の悩みなぞ知る由もなく、長瀬は話を続ける。
「敵対していた《ドラゴンソウル》も解散したようだよ。廃ホテルで捕まえた彼等の話によると《ドラゴンソウル》というチームは、弱者を虐める者達に復讐する為にできたチームのようだ。ある意味では『友愛』の力がないと成り立たないチームなのかもしれない。少年課も仕事が片付いてきているようでピリピリ感が薄れていたよ」
「そうなんですか……」
友香によって与えられていた「復讐」という生き甲斐は、全部が全部否定できるものではない。零もその復讐心には同情出来るからだ。
しかし、逆を言えば《ドラゴンソウル》のメンバーはそれぞれ別の生き甲斐や目標を持っていたのに、友香によって「復讐を優先させられた」という捉え方も出来る。元々目標を持っていた人ならともかく、この結果によって誰かの生き甲斐を奪ってしまったのだと思えば、自分のやってきたことの正当性が薄れてしまうような気がした。
「彼等は、今後どうやって生きていくのでしょうか?」
「どうやって……とは?」
長瀬には零の疑問から意図を読み取れなかった。だから不思議そうに意図を問う。
「復讐という生き甲斐を奪ってしまったわけだし、それを失った彼等はいわば抜け殻……のようになってしまうのでは、と」
「うーん」
長瀬にもそれは否定できない。そこで口を開いたのは、横でずっと黙っていた詩穂だった。
「そんなこと、鷺森君が気にしなくてもいいんじゃないかしら」
「───え?」
「生き甲斐や目標なんて人それぞれだもの。自分の人生なのだから、それは自分で見つけなくちゃならない。復讐とか、誰かに依存した生き甲斐だなんて、生き甲斐だとは言えないわ」
「───!」
零は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。詩穂の口からそんな言葉が出てくるとは思わなかったからだ。冷たいようだが、人生とはそういうものだと零も思う。妙に腹落ちしたのが零自身にとっても不思議だった。
「そうだね、黒山さんの言う通りだと思う。長瀬さん、情報の共有をしてくれてありがとうございました」
長瀬に例を言うのと同時に、トラの決断を詮索するようなことはやめようと心に決めた。何となく、トラも自分なりにちゃんとした生きる目標が出来たからなのだと、詩穂の話を聞いて思ったからだ。
長瀬は満足そうに笑みを浮かべた後、思い出したように校長室の時計を見た。体感以上に時間が経っていることに気付き、慌てて立ち上がった。
「おっと、私はここで失礼するよ。次の仕事があるからね。校長先生、今回もありがとうございました」
「いいえ。我が校の生徒が社会の役に立っているのだと思えば鼻が高いものです。さて、二人も授業に備えて戻りなさい。長瀬さんは私が見送るから」
零と詩穂は立ち上がって校長に一礼した。そして長瀬よりも先に校長室を後にし、教室に向かって歩き出す。
「黒山さんの生き甲斐って、やっぱり重度の中二病患者を取り締まること?」
「……まだ、わからない。だから探してる」
「そっか」
二人とも人生はまだ長い。今ここで決まっていなくても、人生に選択肢が多い詩穂にはきっと遠からず生き甲斐を見つけられるだろう。
「いつか見つけたのなら聞かせて欲しいな。見つけられるよう、僕に出来ることは手伝うよ」
「……そう」
詩穂は干渉されることを嫌う。だからこの反応は零にとって予想通りだった。
しかし、近くにいる生徒の声に紛れて聞こえてきた小さな「よろしく」は聞き間違いだと思ってしまう程に小さかったが、零の耳にはちゃんと届いている。
だからといって反応すれば、詩穂は鬱陶しく感じるだろう。少なくとも零は黒山詩穂という女生徒をそう分析していた。
だから聞こえないふりをした代わりに、零は小さく笑って詩穂の隣を何も言わずにただ歩いたのだった。
読んで下さりありがとうございます。夏風陽向です。
今回の章はここで切り上げです。トラはシアとあまりイチャイチャ出来ずにサヨナラとなってしまったので、トラには悪いことをしたと思っています。ゴメンネ
今回は未だかつてないくらい慎重に書きました。零が事件に関われば、法律に関わる部分が出てきます。
例えば「ミアに自首させよう」です。
零が友香からSNSの情報を得たことによって、そこに関わる容疑者には逮捕状が出てしまいました。
個人的にはそのまま説得して自首という流れにしたかったのですが、そこで1つ疑問が浮かびました。
「逮捕状が出た後の自首は有効なのか?」です。
その答えの1つ?
くらいのな感覚で今回の話の流れになります。
それではまた次回。来週もよろしくお願いいたします!