無邪気な漆黒
詩穂が不思議そうに首を傾げているのを見て、零は目を疑った。
彼女は何も悪いと思っていない。何も言わずに連れ去ったことが零にとって不快だったことに気が付いていないのだ。
詩穂は不思議そうに首を傾げたまま、常識を言ってるかのような口ぶりで答える。
「前にも言ったけれど、私は純粋に友香を捕まえただけだわ。恋悟のように逃げられる前に」
「それはわかっているよ。でも何故、僕が友香さんの話している間だったの? 友香さんはちゃんと話せる人だよ?」
「それは、鷺森君と友香に共感し合える感情があったからじゃない」
「なっ……」
詩穂の言い方は冷たい。あくまでも自分はそうじゃない。友香とは相容れない存在だから、まともに話し合うことなどできない。
そう言いたいのが、その一言から伝わってくる。そしてその一言は、零にとって図星だった。
返す言葉が出てこない零を余所に詩穂は少しだけ話を変える。
「鷺森君、私はこんな言い合いがしたくて誘ったわけではないの。今回も愛の伝道師である友香を捕まえられたのは鷺森君のお陰。その感謝を言いたかった」
「…………」
「ありがとう、鷺森君」
零の怒りを曖昧にさせる為のパフォーマンスではない。心の底から出てきている感謝の言葉。あの時、友香を連れ去ったのも純粋に彼女を捕まえたかっただけなのだと、思わされてしまう。
今の零は詩穂が腹黒いだけの存在だと決めつけられるだけの材料を持ち合わせていなかった。
「僕も、友香さんが捕まって良かったと思う。友香さんの気持ちはわかるけれど、犯した罪は償わなくちゃならない。これ以上、被害者が出る前に捕まえられて本当に良かったと思ってる」
「ええ、私も同じ思いよ。───早くご飯を食べなくては休み時間が終わってしまうわ」
そう言って詩穂は食事を再開する。彼女の食べる姿は印象を違うことなく上品なものだ。零でさえ思わず見惚れてしまう。
零は彼女から目を逸らし、見惚れたことを誤魔化すように弁当の中身をかき込む。喉に詰まりそうなのを持っていたお茶で流し込み、深呼吸をしてまた詩穂を見た。
そこでふと、今更ながら疑問に思ったことを口にする。
「そういえば、聞いてなかったけど遅刻した原因は何?」
「遅刻?」
「うん。友香さんを捕まえたあの夜、黒山さんは遅刻してきたよね。何かあったのかなって」
「…………」
詩穂は少しだけ困った顔をした。その雰囲気に零は既視感を覚えた。
そう。あれは、梨々香から話を聞こうとした時の───。
「何でもないわ。少し、家の都合で遅れただけよ」
冷たく拒むように、詩穂は答えた。これはつまるところ「これ以上、触れるな」ということだ。家庭の都合に干渉して欲しくないという思いを持つことは特別なことではない。
少なくとも「空気を読む」という能力を持ち合わせている零はそれ以上、遅刻の理由について聞くことはできなかった。
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放課後。
特に何もなくどう過ごそうか悩んでいる零のスマートフォンにある男から連絡があった。
それは長曽根虎徹……通称「トラ」と呼ばれている先輩だった。
トラに呼び出された零は下履きに履き替えて昇降口でトラを待つ。するとあまり待たずしてトラは現れた。
「よう、待たせたな」
「いえ、大丈夫です」
お互いにぎこちない笑みを浮かべる。最後に会ったのがミア逮捕の時なのだから少し気まずい空気になっても無理はない。
「トラ先輩、今日はどうしたんですか?」
「ああ。お前には世話になったからな。ちょっと連れていきたいところがある」
「…………?」
何も知らない人からすれば、不良が後輩に絡んでいる嫌な光景に見えるだろう。トラのことを何も知らなければ零も警戒するところだが、今や警戒する必要はない。
トラは零をバイクに乗せることも考えたが、零のような特殊ではあるものの善良な生徒を警察案件に巻き込むわけにはいかない。仕方なく歩いて行くことにした。
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しばらく黙って歩いて行った先は廃工場の跡地だ。恐らくは不法侵入になるのだから、警察と関わりのある零としては入るのを躊躇われる場所だ。
そんな零の危惧など構うことなく、トラは零を誘う。
「どうした? 来いよ」
「いやこれ、不法侵入では?」
「……すぅ」
トラは聞こえるように息を吸って一瞬考えた。そして導き出された答えは一つ。
「確かにそうだな。考えたこともなかったわ。まあ、サツが来ても逃げられるようになってっから大丈夫だ」
「は、はぁ……」
ほぼ無理やり、零は廃工場の跡地に入って行く。跡地と言っても建物が完全に取り壊されているというわけではない。中途半端で止められている雰囲気があるので、零はそこが気になった。
「ここは俺たち《ラグナロク》の溜まり場だ。随分前、ここを壊そうとしたところ、作業員の事故が相次いで中止になったんだと」
「それって所謂、心霊スポットってやつじゃないですか」
「まあ、そうだな。でも俺はそんな危ない瞬間に遭ったことはねぇ。ここがそんな場所じゃねぇことくらい、お前ならわかるだろ?」
「…………」
確かにこの世ならざるものが集まっているような気配はない。上月家の地下の方が余程集まっている。
「確かに、そのようですね。建物の老朽はあるので完全に安全だというわけではないと思いますけど」
「ああ、確かにな」
トラはいつも自分が座っている一段高いところへ登り、いつも通りに座った。そして零を見下ろす。
「ミアは自首って扱いにはならなかった。けどサツの話によりゃ、逮捕されたって扱いでもないようで、減刑の余地はあるってよ。お前のお陰だな、本当に助かった」
「いや。え? 自首にはならなかったですって? ……すみません」
長瀬は約束を破った。
零はそう感じたのですぐにスマートフォンを取り出して長瀬に電話を掛けた。そしてその電話はすぐに繋がる。
『長瀬です。近々、鷺森君から電話があると思っていたよ』
「わかっていたんですね。長瀬さん、約束と違うようですがどういうことですか?」
『逮捕状が出ている以上、仮に彼女が出頭してきても自首にはならない』
「それじゃあ、あの時の約束は? 最初から破るつもりだったんですか?」
『いや、そういうわけではないよ。君の元気な先輩には話したけれど、自首にはならないが、出頭という扱いには出来た。彼女が自ら自分が犯人だと私達に告白したという事実は罰が決まる上で考慮される。鷺森君達の狙いは彼女を説得することで減刑を考えたのだろう? ならば、私たちの計らいは狙い通りだと思うけど』
長瀬はわざと「計らい」という言葉を使った。それはつまり「本来であれば逮捕だった」ということである。長瀬は長瀬なりに零との約束を果たそうと頑張ったのだと、その言葉で伝えたかったのだ。
「そうでしたか。ありがとうございます。そして、責めるようなことを言ってすみませんでした」
『いやいや。こちらこそ鷺森君には世話になりっぱなしだからね。これくらいしか出来ないけど、尽力させてもらったよ。だから、これからも困ったときはどうぞよろしく』
「わかりました。こちらこそ、よろしくお願いします。それでは失礼します」
零はそう言って電話を切った。深呼吸をしてから再びトラの方を見る。
「少し知識不足が目立ってしまいました、すみません」
「謝ることねぇよ。さっきも言ったけど、お前の力がなきゃミアの罰は重いものだった。少しでも罰が軽くなるなら、俺はお前に感謝だ」
「…………?」
トラから何か重荷を下ろしたような雰囲気を感じる。零はそれが気になった。ミアの件が片付いたからそれで終わりなのか? そもそもトラにとって大切なのはミアではなく、妹のシアの方で───。
「あ……」
「あ?」
そこで零は「あること」に気付いていなかったことに気付かされた。
「妹さん達はどうなるんですか? 多分、今まで通りというわけにはいきませんよね?」
「ああ、まあな」
ミアは友香の能力によって犯行に及んだとはいえ、世間的にミアは殺人犯だ。そしてシアや両親は殺人犯の家族。被害者の遺族は加害者の家族に対して賠償を求めるだろうし、近所からの嫌がらせも想像に難くない。
零が解決に協力した事件は少なくない。犯した罪を償うことは大切なことだが、加害者の家族まで悪者になってしまうことを気に病んだことも少なくはなかった。
「けど、お前が気にすることじゃねぇよ。こういう言い方は良くねぇかもしれねぇけど、これはミアを甘やかしていた責任でもある。世間がシア達も悪者扱いしたって、俺はずっとシアに寄り添ってやるつもりだ。だからてめぇが気にするんじゃねぇよ」
トラは悲観などしていない。未来を見据え、覚悟をして今ここにいる。シアを支えていくこと、それがトラにとっての「生き様」になるのだろう。
目の前に、こんなにも逞しく頼りがいのある男がいる。零はこの時、トラがラグナロクというチームを率いてこれた理由と強さを感じた。
トラは座っていた場所から飛び降りて零の前に立つ。そして右手を差し出した。
「ミアのことで力を貸してくれたこと、心の底から感謝する。本当にありがとな」
「いえ。こちらこそ」
零も右手を差し出してトラの右手を握る。二人は握手を交わした。
読んで下さりありがとうございます。夏風陽向です。
気付けば100部分を超えていたんですね!
正直、書き始めた当初は100部分も書くと思いませんでした。
ここまで書き続けてこれたのも、偏に皆様のお陰です。ありがとうございます。
とはいえ、ここ最近は話のテンポが遅くなりかけている気がするので、もう少し上げられるような書き方ができるようになればなと思っています。
それではまた次回。来週もよろしくお願いします!