『現』
「先を急ぎましょう」
零の「内緒ポーズ」は残念ながら煽りとして機能しなかった。詩穂は少しも表情を変えることなくただそう言った。
むしろ零が「ギョッ」とした反応をしてしまった。
「ちょっ、黒山さん? 彼はこのまま置いていっていいの?」
「大丈夫、そのうち回収にくるから」
「そうは言っても、あまりに不用心過ぎないか? もしかしたら貴重品を持っているかもしれないし……」
「…………」
詩穂は「そんな男に構っている場合はない」と目で訴えている。或いは「この男がどうなろうと興味はない」と言ったところだろうか。
相手は襲撃してきた男ではあるが、それでも零は彼を放っておくことが出来なかった。
結局、根負けしたのは詩穂の方だった。
「鷺森君の考えは理解出来ないけれど、一緒に来てもらえ無ければ先に進めない。お好きにどうぞ」
「……どうも」
零は無理矢理笑顔を作って詩穂にそう言った。詩穂の言い方にはどう聞いてもトゲがあるが、既に零はこの物言いに慣れてしまった。
彼女には悪気がない。ただそういう言い方しか知らないのだと───。
「…………」
「…………」
とはいえ、待っている間でもお互いに話題はない。思えば、特にお互いの事をよく知らないうちに行動するようになっていた。
何か共通の話題でもあれば……と思っているのは零だけだろう。詩穂は無表情で空を見上げている。
だから零は、ふと思いついて気になった事を詩穂に質問してみた。
「黒山さんはどうして恋悟を追っているのかな?」
「…………」
詩穂は無視しているわけではない。その証拠に空に向けていた視線が零に向けられている。だが、詩穂は何かを語るような雰囲気を見せない。
「彼は危険な人物で、どうしても無力化する必要があるから。もちろん、それは『恋愛』の恋悟だけではないけれど」
「その男が、危険人物だという認識はあったんだね」
「ええ。だけど安心して欲しい。恋悟を無力化するのは私の仕事。鷺森君には発見までを手伝ってもらうつもりだから」
「…………」
零は少し困った顔をした。実際目にした詩穂の能力を見れば確かに彼女の強さはわかる。しかし、逆に恋悟の脅威はまだ計り知れない。自分でどうにかするよりかは、それを専門としている人に頼った方がいいのではないかと零は思った。
「……聞けば、重度の中二病を無力化する為の組織があるそうじゃないか。彼等に任せた方がいいと僕は思うけど」
零が思い浮かべているのは、まさに潤だ。彼であれば、どれだけ恋悟が強敵であろうと圧倒してみせるであろう自信が零にはあった。
そして、自分達で無理に解決しようとし、失敗した時の無力感も同時に思い出される。
しかし、詩穂は首を横に振った。
「いいえ、これは私の役割。私は自分の力を駆使してこうしていく必要があるの」
「…………」
詩穂の目は真っ直ぐだ。そこには確かな意思がある。零はそれ以上、野暮なことを言うのをやめることにした。
そうしているうちに、詩穂が連絡した相手がやってきた。零はその相手が男性だと勝手に思っていたが、意外にもその相手は女性だった。
降りてきて詩穂を見つけるなり、わかりやすく明るい顔をした。
「詩穂ちゃん、久しぶり!」
「……お久しぶりです、唯香さん。今回は唯香さんなんですね」
「うん、ふーたは忙しいからねー。……というわけで、そこの男子高校生君! ちょっと手伝ってくださいな」
「あ、はい」
零は言われた通り、男を背負って車の後部座席に乗せた。その様子を見ていた唯香が零に笑顔を向けた。
「男手があって良かったよー、ありがとう! 詩穂ちゃんもこれから帰る?」
「いえ、私はもう少しやっていくことがありますので」
「そっかー、気を付けてね!」
「はい、ありがとうございます」
そう言って唯香はすぐ運転席へと座る。去り際、詩穂にだけでなく零にも手を振ったので、零は反応に困り頭を下げただけだった。
「……では行きましょう」
「あ、うん」
ほんの少し、唯香と接しただけで詩穂は少し疲れた顔をしていたのは零の気のせいではないだろう。
その後、目的地へと向かったが、残念ながらそこに恋悟や青年の残留思念は確認されなかったので、すぐに解散となった。
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日曜日には何もなく、月曜日を迎えた。
昼休み。いつもと変わらず、零は潤と教室で弁当を広げていた。
潤が真面目な顔で零を見る。
「えっと……何だい、潤?」
「土曜日、無力化された重度の中二病患者が運ばれたそうだが、重度の中二病患者ではなくなっていた。零、《現》を使ったな?」
「……バレた?」
「バレバレだ」
───《妖刀・現》。
これは零の武装型に残留思念との親和性を逆作用させた複合武装。本来、零は残留思念と意思疎通をする為に能力を使っているが、逆に断ち切ることも出来る。
この世ならざる者を断ち切る為の力。零はそれを使って男の能力を切ったのだった。重度の中二病とは、理想の自分が過度に反映されて現実に出てしまう病気。零の《妖刀・現》が効果を発揮するには十分だった。
潤の表情は訝しげなものへと変わっていた。
「どういう心境の変化だ? お前はもう、あれを使わないんじゃなかったのか?」
「どういう理由で彼が黒山さんを襲撃したのかはわからないけど、彼は存在しない理想の自分に踊らされていた。なら、断ち切る必要があるだろう?」
「そういう質問をしているんじゃない」
零は困った顔をした。潤が「何を問いたいか」を本当は正しく理解していたからだ。
「別に黒山さんと組むつもりはないよ」
「……そうか」
潤はいつも通りの少し柔らかい表情に戻った。決して《現》を使ったことに対して責めるつもりはないのだが、ただ純粋に零を心配しての発言だった。
かつての零は積極的に《現》を使っていた。だがそれは、決していいことばかりではない。相手が予め気を失っていたりしない限りは重度の中二病を切れないのだから、どうしても戦闘向けの誰かと組む必要がある。
零はそんな過去を思い出しながら、潤の問いに否と答えたのだった。
「恋悟の調子はどうなんだ?」
「まだだね。なかなか手掛かりが見つからない」
「流石の零でも、あいつの足跡はなかなか追えないか」
「予め読み取っていた情報だけでは場所が特定出来ない。やはり相手は行動範囲が広い大人だからね、僕達では限界がある」
「そうだな」
青年やその恋人の行動範囲が広いのはまだ理解出来る。しかし、恋悟までそうなのだということは、恋悟は今や珍しい「社会人の患者」ということである。能力が強大故に対処困難だったことは想像に難くない。
潤が最初に警告していたのも頷けるというものだ。
「黒山さんには、潤達に頼った方がいいって話をしたんだけど、自分の役割だって断られてしまったよ」
「そうだろうな。黒山がそれに拘る理由は俺にもよくわからないが、何となく想像できる」
「ははっ、だろう?」
割とシリアスな話だったはずが、いつの間にか笑い話のようになっていた。詩穂のことは何も知らない一方で、潤は幼馴染だからよく知っている。こんな笑い話できる仲がどれだけ気が楽なのか、零は噛み締めて実感していた。
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恋悟の追跡は日々コツコツとやっていくことになった。
遠くなる場合はどうしても学校終わりでは難しいが、比較的近い場所であるならば、多少無理してでも見ていくことは出来る。
その道中、零はふと気になったことがあって足を止めた。詩穂が訝しげな顔で零に問う。
「どうしたのかしら、鷺森君?」
「……彼の残留思念が」
帰宅に勤しむ人達が沢山いる中、零はその場所に残った想い……残留思念を見ていた。そしてそこに、青年の姿と恋人ではない女性の姿が見える。
恋人ではない女性は、青年のことを特別に意識することなく自然に接している。一方、青年は緊張しているのか、今まで見てきた雰囲気と少し異なっていた。
(……どういうことだ? 双子か、何かだったか?)
冷静に周囲を見る。そしてその近くには、とある企業のビルがあった。
(ここは、まさか……)
零は青年が生前に働いていた職場を知らない。だが、遺書を持っていたもう1人の女性が同じ会社の違う職場で働いている人だということは聞いていた。
となれば、そのビルが職場だった可能性も考えられる。
「黒山さん。彼の職場はここかな?」
「……あ」
どうやら詩穂は知っていたようだ。何かを思い出したかのように目を丸くした。零が詩穂をジトッとした目で見た。
「やはりそうなんだね。もし可能なら、可愛がっていたという女性と話をしてみたいと思うけど」
「……どうにか手配してみるわ」
詩穂は少しも困ったような表情を見せずにそう答えた。そしてそれは、零が思っていたよりも早く実現されたのだった。
読んでくださりありがとうございます。夏風陽向です。
第1章だというのに、随分続くものだと自分でも思っています。
今回、唯香が出てきました。今後も出る予定ですのでお楽しみに!
何か後書きでもっと書きたいことがあったような気がしましたが、忘れました!
それではまた次回。来週もよろしくお願いします!