9 1日前(赤いちゃんちゃんこー上)
「先輩、本当にあれでよかったんですか?」
伊藤君の話を一通り聞いた私は、とにかく女子トイレに近付かない事と、今度声が聞こえたら「赤いちゃんちゃんこなんて着ない」という事をはっきりと伝える事を言い含めて、その場を後にした。
「………あれ以外に何かする事があった?」
双葉からみたら、私は少し冷たい人間に見えているかもしれない。いや、見えているだろう。
「いえそれは………でもせめて、もう一度幻聴が聞こえて、伊藤君が「赤いちゃんちゃんこを着ない」事を伝えるまで一緒にいてあげればよかったんじゃないですか?」
「いつ聞こえるかも分からない幻聴を待ってればよかったって言うの?今日一日伊藤君と過ごせばよかったの?」
「………そういう訳じゃ」
「じゃあどういう訳なの?貴方が言っているのはそういう事でしょう!?」
「……………すみません」
双葉はそれで一応引き下がったものの、今日の先輩怖いです、と私に聞こえるかどうかの声で呟いた。
いつも元気な双葉がしゅんとしてしまったのを見て、私の心は少しぶれかけたが、ここは心を鬼にする。
このカルタは本当に危険なのだ。私はポケットに手を入れ、双葉がトイレにいっている間に伊藤君から預かったカルタを握り締めた。
双葉を巻き込む訳にはいかない。
「それじゃ、私の家こっちだから。双葉はあっちだったわよね」
「あ、はい。今日は付き合ってもらってありがとうございました。また明日学校で。」
「うん、じゃあ」
いつもより心なし元気の無い双葉の後ろ姿が完全に見えなくなってから、私は携帯を取り出した。
昨日のメールに書いてあった、伊藤君の番号を押す。自分で自分の馬鹿さ加減に嫌気が差す。何で私はこんなにお人よしなんだろう。少しかわいそうだが、伊藤君なんて放っておけばいいのに。どうせもうすぐ居なくなる人間なのに。
数回の呼び出し音の後、伊藤君の怯えたような声が聞こえる。
「はい」
「伊藤君?」
「そうですけど………えっと、誰ですか?」
「片桐よ」
「よかった!!僕もう不安で不安で!!何か分かりましたか?」
「さっきの今じゃない、何も分かってないわ」
「……そうですか」
気落ちしたような声。精神的に追い詰められているのだから多少は仕方ないとは思うけど、情けない。もう少ししっかりして欲しいものだ。
「それで?あれから幻聴はあったの?」
「いえ」
「……そう。一つだけ貴方に聞き忘れた事があるの」
聞き忘れたというより、隣りに双葉がいたから意図的に聞かなかったのだが。
「何ですか?」
「貴方たちのうちの誰かが、【都市伝説の起源】と書かれたカードを引かなかった?」
「……………いえ、いませんでした」
少しの沈黙の後、彼はきっぱりと答えた。
私にとっては、この答えは意外だった。どういう事なの?それなら観測者がいないから、怪異は起こらないんじゃないのか?
「…………………これは私の憶測に過ぎないから、あんまり期待して欲しくはないんだけど、もしかしたら今回のカルタでは誰も死なないで済むのかもしれないわ」
私のこの発言は、彼にとっては唐突だっただろう。
「本当ですか!?」
「いや、あくまで予想よ」
「あの、その予想がどこから来るのか、聞かせてもらってもいいですか?」
予想とはいえ、始めて希望らしきものが見えたのだ。少し、ほんの少しだけ明るい声になって、伊藤君が聞いてきた。
「誰かが死んでしまう怖い話っていうのは、観測者が必要だからよ」
「どういう事ですか?」
「つまり、小説を読んでくれたのなら分かると思うけど、前回の場合は私が観測者だった。でも今回はその観測者がいないでしょ?」
「……………それは、何の解決にもならない気がします」
あれ?私なりに励ましていたつもりだったのに、伊藤君はとても暗い声を出した。
「ど、どうして?」
「確かに、あなたの時は観測者が必要だったかもしれません。でも今回はそんな人必要ないんじゃないですか?だって、もう都市伝説は完成してしまっているんですから、あなたの手によって。それに何より僕の場合は、あなたがその観測者に成り得る」
「そ、そんな事無いわ」
そう言ったものの、彼の言った事も分かる。
「あ、あああ」
急に彼が怯え始める。まさか。
「もしかしてまた聞こえるの?」
「ううう」
「そうなのね!?しっかりして!!言うのよ!!「赤いちゃんちゃんこなんて着ない」って!!」
「うう、僕は【赤いちゃんちゃんこなんて着たくない】!!」
よし。ちゃんと言ってくれた。これで大丈夫な筈。しかし私の予想とは反して、伊藤君の悲痛な声が聞こえてきた。
「着ないよ!!着ないって言ってるだろ!!いやだ!!もうどっか行ってくれよ!!僕はそんなもの着たくないんだ!!」
ばしゅ、という音の後に、ごっ、と大きな音が響いた。
う。嫌な想像をしてしまう。
「伊藤君!?伊藤君!?ちょっと!!返事をして!!」
必死に呼びかけるが、返事がない。まさか、まさか。
「伊藤君!?伊藤君!?」
それでもしつこく呼びかけると、携帯の向こうから、小さく声が聞こえた。
「……………ぁ?」
よかった。なんて言ってるかは分からないけど、とにかくよかった。
きっと転んで携帯をおとしてしまったとか、そういう事よね。
「伊藤君!?大丈夫なの!?」
「……………ぁ?」
「聞こえないわ!?頭を打ったの!?大丈夫なの!?」
「……………こ、き……………ぁ?」
ぎくりとした。さっきまでは小声すぎて聞こえなかったが、声が伊藤君のものとは全然違う。
「……伊藤君?」
「赤いちゃんちゃんこ、着せましょかぁ?」
「きゃあ!!」
さすがに、二年前と違って気絶するような事はなかったが、私は情けない声を出して携帯を取り落としてしまった。
慌てて拾い直すが、落とした拍子に、携帯が切れてしまった。急いで掛けなおそうとする私の耳に、どこからか声が届く。
「赤いちゃんちゃんこ着せましょかぁ?」
「え?」
どこから聞こえたのだろうか?頭の中に直接響いてきたような感じだった。
……………気のせいよね。
「赤いちゃんちゃんこ着せましょかぁ?」
先ほどよりも大きな声が、響く。やはり気のせいではない。まさか。まさか、カードを持っているせい?そのせいで、私まで標的になってしまったというの?
落ち着け、落ち着くのよ私。都市伝説には、必ず対処法がある。
思い出すのよ、【赤いちゃんちゃんこ】に対処する方法を。