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見上げた空は、今日もアオハルなり  作者: 木立 花音
第三章:新説、ロミオとジュリエット
16/30

『二者面談』

 七月も下旬となり夏らしい日差しが日々強まっていくなか期末考査が行われ、また、それと並行して文化祭の準備も順調に進んでいた。

 私、桐原悠里の期末考査の結果に関しては……まあ、それなり。文芸部に所属しているくらいなので、文字を書くこと自体嫌いじゃないし、勉強だってそつなく頑張る方だと自負はしている。先生の声が聞こえなくても、黒板の文字を正確に模写した上で予習復習を欠かさなければ、おおよそ七割の点数は取れる。

 演劇の準備・段取り等の進捗状況にも大きな問題点はなく、概ね順調。

 まず音楽についてだが、広瀬君の家に阿久津君が時々お邪魔して、二人で調整を進めているらしい。シーン毎に使いたい音楽の選定は殆ど終わっているので、後はデータ化してファイル別けをした上でコンパクトディスクに保存して云々とか説明されたけど、正直全然わかんない。だから二人にお任せしてる。

 衣装の準備も滞りなく進んでいた。渡辺さん、佐薙さん、相楽さんの三人が中心となって演劇部と調整を繰り返している。幸いにも、演劇部にある備品で全て賄えるようで、先日衣装の試着もしてみた。

 胸のサイズがブカブカ過ぎて、ちょっと恥ずかしかったけれど。

 どうにか寸法詰められないのかな……あれ。

 相楽さんは、殿方に揉んでもらって胸の方を大きくしなさいってからかってきたけど、正直、できるわけないよねそんなの。


 更に数日が経過して、二者面談の日がやってくる。

 恭子は茨城のつくば大学に行くと言っていた。合否判定がCになったと落ち込んでいたけれど、十分凄いよソレ。

 本人はたぶん謙遜のつもりなんだろうけど、聞く人によってはやっかみの念を抱きかねないので、言い方に気をつけたほうが、なんて余計なお節介だろうか。

 律は警察官志望。広瀬君の志望は埼玉の私立大学。けれど、私の進路は前途多難。

 そもそも論。私は二者面談があまり好きじゃない。どちらかというと、親が同席してくれる三者面談の方が幾分か気が軽い。

 筆談のみで進めていく二者面談は、直ぐに会話が行き詰って息苦しくなる。加えて私の場合、障害を持っている関係上、進路の話をしてもそんなに明るい展望なんてみえてこないのだから。二年生のあいだは進路未定で誤魔化し続けてきたが、三年生となった今じゃそれも限界というもの。

 そこで最近は、第一志望として地元就職。第二志望の欄に、地元私立大学の名前を書いて凌いでいる。無難な落としどころっていう奴だ。

 私を雇ってくれる職場が本当にあるのか? という不安もあるにはあるが、これ以上進学したところで勉強に付いていけるとは思えないし、背に腹は代えられない、というだけの話。第二志望の私立大学は便宜上書いているだけで、実際のところ行くつもりは毛頭なかった。


 緊張からひとつ息を吐き、進路相談室に入る。担任教師と机を挟んで座り、進路の話を進めていく。もちろん全部筆談で。


『桐原は、第一志望、地元就職希望で変更ないか?』

『はい』という意思を籠めて頷く。

『成績については特に問題はない。仮に進学に変更したとしてもな。今後も今の調子で頑張るように』


 机の上に置かれている紙に書かれてある第二志望校の合否判定はBだ。一応、目を落として頷いた。


『はい、ありがとうございます』と今度は筆談で応じる。

『なにか希望している職種はあるか? なるべく桐原の意向をくみとるつもりだが』

『いいえ、特にありません。私も色々探してみますが』


 そもそも、障害を持っている私に出せる希望なんてあるのか。そんな疑問が、胸中に浮かんで消えた。こんな感じで、僅か十分程の淡白な二者面談は終わる。

 今年の担任教師は、昨年と違い余計な部分に突っ込んでこないのでやりやすい。反面、そんなに適当で良いの? と味気なく感じてしまう時もあるのだが。

 ところがこの日は、少しだけ違った。


『なにか、悩んでいることとかない?』


 最後に飛んできた質問。向けられた真剣な眼差し。

 学校のことか、家庭のことか、それとも文化祭の演劇に纏わる諸々の問題点か。主語のない問いかけに様々な悪態を頭の中に並べつつ、笑顔でこう答える。


『たくさん、あります』


 とたん、担任教師の顔が驚きの色に染まる。驚いたあとで、今度は僅かに失望の念が混じってみえた。そういうことか、と私は鼻じろむ。

 おそらく、障害を持っている生徒に対する、マニュアル通りの対応なのだろう。解決する覚悟もないけど取り敢えず悩みを聞いてみた、とかそういう感じの。いつも通り。そういうのが余計なんだ、と思考が本物の悪態に染まる。

 どうせ解決しないなら言うだけ無駄だろう。誰が進んで恥など晒すか、と準備しておいた台詞で返した。


『でも、大丈夫です』


 次の瞬間安堵の息を漏らした教師の視線を受け流し、私は椅子を引いて立ち上がる。

 ありがとうございました、という念をこめて頭を下げる。

 やっぱり去年と同じだったか。厄介事には蓋をする。人として、当たり前の思考。

 失望の、溜め息一つ。

 進路相談室の扉を閉めて昇降口を目指した。そこで、掲示板に貼られたポスターを見上げている上田律とバッタリ遭遇した。


『やっほ、悠里。今帰り?』

『うん。そうだよ』


 出会ったのが律で良かった。マイナス方向に沈んでた私の心のベクトルが、ぐんぐんプラス方向に向かって澱んだ海のなか浮上を始める。


『用事がないなら、一緒に帰る?』

『うーんと……』彼女の質問に、数秒黙考する。


 スマホを取り出して現在の時刻を確認した上で、私は首を横に振った。


()()()()()()図書館で勉強してから帰るよ。ところで律は、何を見ていたの?』


 律は学校内でも数少ない手話が使える友人であると同時に、私に対して常の心の扉を”全開”にしてくれる希少な人物。その開き方は、あの恭子ですらも上回る。だから私は律に対して常に自然体でいられるし、処々の悩み事も幾つか相談してきた。

 ほら、と言わんばかりに見上げた律の視線に釣られて顔を上げると、そこには一枚のポスターが貼られてた。大輪の花火をバックに、大きく花火大会の開催を告知する文字が躍る。

 この掲示物を見るたびに、ああ、今年も夏休みがくるんだなぁと思いだす。


【宇都宮市花火大会】

【会場:鬼怒川河川敷公園】

【日時:八月九日 十九時三十分~二十一時】


 宇都宮市花火大会。

 照葉学園のある栃木県宇都宮市で毎年八月の初旬に行われるイベントであり、県内はもとより、県外からも多数の人出がある。

 学校から程近い河川敷が花火の会場となっている関係上、クラスメイトたちの間でも、デートイベントとして広く認知されているものだ。この花火大会に『二人きりで行こうよ』と誘う事は即ち、『あなたに好意があります』と告白しているも同義なのだ。


『悠里はさ、もう慎吾のこと誘ったの?』

『ううん。まだ誘ってない……この間、言いそびれた』

 すると律は、あちゃ~と言わんばかりに天を仰いだ。『もたもたしてたら、先、越されるよ? 思い立ったが吉日だよ?』

『うん、わかってる』と答えながら思う。本当にわかってんのかな、私。

『ガンバレ悠里。あのヘタレ恭子ですら、晃君を誘ったんだから』

『え、嘘だ!?』


 予想もしていなかった展開に、大いに私は狼狽える。ホントに? と律に念押しで訊ねると、彼女は神妙な面持ちで頷いた。


『誘ったと言うか、向こうから誘われた、って言うか。切っ掛けとかその辺りは、結構、微妙なんだけどね……。まあ二人で行くのは確かだね。けど聞いてよ、あのバカ恭子。最初、私にも一緒に行こうとか言い出したんだぜ? 折角二人きりになれるチャンスなのに、何を考えてんだか……。慌てて釘を刺しといたけどね。二人だけで行ってきなさいって』


 ヘタレとかバカとか随分な言われようだったが、へ~と思った。あの恭子がって思った。同時に、負けられないとも。

 私は恭子の恋愛も成就すれば良いな、って応援してる。もちろん私だって頑張らなくちゃ。渡辺さんに負けたくないから、勇気出して自分の気持ちを伝えなくちゃって思った。


 だからこの日の夜は、なんとなく時間の経過が長く感じられていた。頭の中では、ずっと、花火誘わなきゃ。花火誘わなきゃ。って同じ単語がぐるぐると駆け巡ってて。

 リビングでテレビを眺めていてもずっと上の空で。ママに何度か肩を叩かれてから、ようやく話しかけられてるって気がついた。


『どうしたの? なんか、悩んでる?』


 ママは不安そうな顔で覗き込んできたけれど、『なんでもないよ』って誤魔化しておいた。耳の聞こえない娘の恋の悩みなんて、打ち明けられないって思った。


 湯船に浸かったら少しは落ち着くかなと思ったけれど、全然そんなことはなかった。

 お風呂の中で、鏡に映った自分の裸身をじっと見つめる。

 耳が聞こえないことを後ろめたく感じて、いつまでもうじうじと思い悩んでいる私の姿。心は子供のままなのに、しっかりと大人になっている自分の身体を見下ろして、また、嫌気が差して。そこまでがワンセットで、いつも通りで。

 お腹の辺りを擦りながら、やっぱり自分のことは嫌いだなって、そんなことをつくづく思う。


 風呂上りもずっと鬱々としてて、時間はただただ無益にゆったり流れていた。

 パジャマに着替えて部屋のベッドにあおむけに寝転んで、木目の天井を物憂げに見上げているとき、なんとなく壁掛け時計に目を向けて、日付けが変わりそうになっているのに気がついて、ようやくそこで私の手が動く。

 それは最早、強迫観念のようなもので。自分でも滑稽に思うほど震える指先でスマホを拾うと、広瀬君にLineでメッセージを送ってみる。


『もう、寝ちゃった?』 


 短く、簡潔に。返信はまもなく返ってくる。


『ううん、まだ起きてるよ。どうかしたの?』


 ここで案の定、いつも通りの怯えた感情が顔を出す。本題を避けて雑談を展開したくなる弱気な心を叱咤して、続きのメッセージを打った。


『もうすぐ、宇都宮の花火大会だね』

『ああ~……、そうだね』


 一度画面から視線を外して、一つ深呼吸を挟んだ。


『宜しければ、私と一緒に行きませんか?』


 メッセージを打つ。

 震える手でタップする。送信してしまった。

 人生で初めてとなるデートの誘いに、心臓はここぞとばかりに重低音を奏で始める。どうしよう。自分の制御を超えて暴れだした鼓動を抑える目的で、手のひらを胸の上に添え押さえた。

 お願い、静まって。

 既読は直ぐについた。

 それなのに、そこからしばらく返信がなかった。時間にすると多分数十秒、もしくは一~二分。それでも私には、とても長い時間のように感じられていた。

 ようやくついた返信は、たったの一言。


『ごめん』


 この瞬間、抱いていたイメージが音をたてて崩れていく。


『その日はちょうど、バレー部のインターハイと重なってるんだ。だから、美也の応援に行くことにしてる。そんなわけで、ごめん。誘ってくれて嬉しいよ』

『あ、そっか、わかった。ごめんね』


 自分でも驚く程震える指先で、たどたどしくメッセージを打った。これだけを返すのが、もう精一杯。打ち終わった瞬間に、スマホが握力を失った指先から滑り落ちる。

 なんとなく閃いた。広瀬君が好きな相手は、きっと渡辺さんなんだと。もちろん渡辺さんも、広瀬君のことが好き。二人は気持ちを伝え合っていないだけで、元々、両想いなんだと。


 弾んでいた心が、瞬時に動かなくなってしまう。もう何年も忘れていた絶望という感情が、私を包み込んでいた。

 ……どうしよう。

 けれども同時に、暗くて、重くて、蒼い。嫉妬の(ほのお)がぐつぐつと胸の内でくすぶり始めるのもわかった。

 ……負けたくない。負けたくないよ。

 私はまるで呪文のように、繰り返し心の中で呟いていた。



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