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見上げた空は、今日もアオハルなり  作者: 木立 花音
第三章:新説、ロミオとジュリエット
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『新説、ロミオとジュリエット②』

 私、桐原悠里は、文化祭で行う催し物の相談を終えたあと、真っすぐ文芸部の部室を目指した。

 広瀬君と約束をした、ロミオとジュリエットの演劇台本を探すのが目的だ。以前見かけたときも凄く古いものだと感じていたので、まだ部室に残っているかどうか正直微妙なところ。たぶんここ数年のものではないし、もしかすると、五年十年前のもの、なんて可能性も。

 もし見つからなかった場合、演劇部の人に相談を持ち掛けなくちゃダメだろうな、と私は鬱々と思う。他人と関わることを苦手としているので、できれば要らぬ苦労を背負いたくない。

 僅か四人の実行委員の中でさえ、全員が一つになれていないのだからなおさらだ。

 プールでの一件以降、渡辺さんの心は開き始めたけれど、阿久津君は違う。ずっと私に対して心の扉を閉ざしている。だから、これ以上厄介ごとを増やしたくない。

 なので、台本捨ててなければいいな、と私は思う。

 それだけじゃない、と文芸部で執筆している文化祭用の青春小説のことを思い出した。こちらも当然、締め切りまで余裕がなくなりつつあった。

 あーあ。やっぱり、ロミジュリの台本……あるといいな。


 立て付けの悪い引き戸を開けて部室の中を覗くと、既に私以外の部員は顔を揃えていた。

 もっとも、部員は全部で三人しかいないのだけれど。流石は不人気文芸部とでもいうべきか。私の他にいる部員は、一年生の女子が一人と三年A組所属で部長の下平早百合。

 早百合は特別に仲が良い間柄ではないけれど、大人しくて人当りの良い性格だし、控えめながらも常に心の扉を”開いてくれている”。だから私は、裏表のない彼女のことがわりと好きだった。

 軽く会釈をして部室の中に入る。ノートパソコンを置いてある自分の席に座り、隣の早百合に筆談で話しかけた。


『以前に見かけたロミオとジュリエットの台本、どこにあったか覚えてない?』


 早百合は、彼女のトレードマークである丸い瞳をより一層大きく見開くと、不思議そうな顔でこう返してくる。


『何に、使うの?』

『文化祭で、ロミジュリの演劇をやるの。それで、台本を書くの任された』


 この短いやり取りだけで事情を察してくれたらしい。口の動きから、「わかった任せて」と呟いたのはなんとなくわかる。早百合はすっと立ち上がると、壁際に置いてある書棚を探りつつ、一年生の女子にも声掛けをした。

 こうして三人による、二つ置かれてある書棚をひっくり返しての捜索作業が始まる。

 ところが、どんなに探しても台本が見つかる気配はない。う~んおかしいなあ、と言わんばかりに腕組みをしていた早百合であったが、やがて思い出したように、机の下に重ねて置いてあったダンボール箱を引っ張り出した。

 出てきたのは、日焼けしてすっかり黄ばんだダンボール箱が三つ。箱の中には、過去に文芸部の部員が書いたであろう小説の束や、部誌などが詰め込まれていた。

『これだ』という感じに早百合が手を叩く。

 箱の中身を机の上に並べ始めてから三箱目。ようやく目的の物は見つかる。表紙にシンプルな字体で『ロミオとジュリエット』とだけ書かれたA4サイズの冊子は、端を二ヶ所ホチキスで留めただけの簡素な物だった。


『ありがとう、二人とも。助かったよ』


 台本の表紙を感慨深く見つめながら謝辞を述べると、二人とも首を横に振って笑顔をみせた。

 椅子に腰かけて、台本のページを捲って目を通していく。最低限の描写と、台詞だけで構成された文字の羅列。情景が、自然と頭の中に流れ込んでくる。

 原作で言うところの中盤部分、ロミオとジュリエットの出会いのシーンから、ロミオの自殺。ジュリエットが後を追って命を絶つシーンまでを編集した脚本になっていた。まあ、一般的によく演じられている内容だと思う。

 さて、どうしようか。

 考えた末に私は、取り敢えず台本を原文のまま、パソコンのワープロソフトに書き出していく作業から始めた。現本の痛みが激しく、かつ、印刷の掠れが酷くなっており読み辛かったのも理由の一つなのだが、何よりも、デジタルデータ化しておいた方が後々都合が良い。

 台本の中身をそのまま引用するのではなく、独自の改編や脚色を加えていくのだから、WORD辺りにでも入力しておけば、気が付いたときすぐ手直しができる。

 ん~……それにしてもだ。目が痛い。

 私はあんまり視力が良くない。普段コンタクトを使っているので、長時間液晶の画面を眺めているのはそれなりに苦痛だ。時々眉間を指で押さえながらタイピングを続けていると、早百合が筆談で話しかけてきた。


『何か、悩んでる? 手伝えること、ある?』


 正直ありがたい申し出。でも私は少しだけ悩んだ。

 これはあくまでも、私たちB組が抱えている仕事。A組の早百合を、これ以上頼ってもいいのだろうかと。けれど彼女は、いつも私を気遣い、そして声掛けをしてくれる。『困ったことがあれば、いつでも相談に乗るよ』と言ってくれる。

 だから、甘えておくことにした。これも気配りをしてくれる彼女に対する、礼儀になるのかもと考えて。


『ジュリエットが聴覚障害を持っている、という設定で演劇やるんだ。だから、それに合わせてシナリオを若干修正する必要があるの』


 早百合は私が書き出した文字の内容をかみしめるように、口をぱくぱくと動かした。それから笑顔になって私の肩を叩くと、メッセージをノートの上に二つ綴った。


『どんな風に改編したら面白くなるか、考えておくね』と、そして『ガンバレ』


 驚いて早百合の方に顔を向けると、彼女は任せてとでも言いたいのだろうか、深く頷いて見せた。私もうん、と頷き返す。

 思わぬ気遣いに、軽く視界が滲んだ。……ありがとうね、早百合。

 再びタイピングの作業に戻った矢先、もう一度彼女が私の肩を叩く。ん、何? と顔を向けると、やけに真面目な顔で早百合がこう告げてくる。


『キスシーンとかあった方が良いかな?』


 これには堪らずふき出した。


『ないない! そんなの必要ないから』


 首をぶんぶんと振って否定する。

 そもそも、私が作る台本に自分のキスシーンを入れるとか公開処刑にも程がある。広瀬君とキス……そんなもの……まあ、したいに決まってるけど……ああ、何を考えているんだろう私。

 私が困惑してる様子を見て取ると、小百合は『冗談だよ』と訂正した。にやにやしながら、けれど、ちょっとだけ残念そうな顔で。……さゆりぃ、なんで残念そうなの。


 同様の作業は、二日目も続く。文芸部は部員数も少なく元々無口な人間が多いので、タイピングの音だけが響き渡っているのだろう。とはいえ私には、その音すら聞こえないんだけど。

 黙々と打ち込みを続け、西向きの窓から差し込む光がオレンジ色に染まる頃、ようやく原文の模写が終了した。

 はれぼったくなっている瞼を指先で揉み解し、大きく背伸びをした。完成したデータをメモリースティックに移し替えると、文芸部の備品であるデスクトップ型のパソコンに刺し込んだ。

 備え付けのプリンターは、このパソコンでしか動かせないからだ。すべてA4サイズの紙に印刷すると、軽く内容に目を通した後で、空きのファイルにとじ込み部室を飛び出した。

 向かった先は音楽室。

 広瀬君、まだ残っているかな。もし残っていたら、一度目を通して確認して貰いたかった。

 とたんに走り出した鼓動。緊張を腹の底に感じつつ廊下を歩いて行くと、音楽室から出てきたであろう恭子とすれ違う。


『お疲れさま悠里。今帰るところ?』


 恭子が手話で話しかけてくる。恭子と律の二人は、去年の冬に手話をマスターしてくれていた。もうすっかり板についていて、意思疎通で齟齬を感じることもない。


『うん。まあ、そんな感じ。広瀬君、まだ音楽室に残っているかな?』

『たぶんいるけど……って、えっ? もしかして遂に告っちゃうの!?』


 驚きの表情を浮かべ真っすぐ見つめてくる恭子の瞳が眩しいです。でもゴメン、それ勘違いだから。


『違うってば。そんな勇気、私にあるわけないじゃん! 文化祭でやる演劇の、台本を見て貰おうと思ってさ』


 恭子が痛くもない腹を探ってくるから、変に意識しちゃって頬が熱い。胸のドキドキは益々強くなってるしどう責任を取ってくれるのよー。これから彼と会うつもりなのに変な顔になってないだろうか? あー酸素が足りない、酸素、酸素。

 だからちょっとだけ、恭子に反撃しておいた。


『そういう恭子だって、早く福浦君に告白しちゃいなよ。もう、二年以上も片想いでしょうが。私よりよっぽど酷いんだから』


 親友である楠恭子は、野球部の福浦晃君に一年生の春から絶賛片想い現在進行形だ。今年の春から、念願の同クラスになれたというのに、相も変わらず煮え切らない彼女の対応は、たびたび私や律のからかいの的になっている。


『それ言われちゃうと、あたしも肩身が狭い』


 痛いところを突かれたな、そんな顔で肩を竦めた恭子に、少しだけ留飲が下がる。


『でも悠里。最近なんだか楽しそうだね』

『楽しそう? 私が?』

『そうだよ? 無自覚なんだね。……なんだろう。以前よりも表情が豊かになった気がする。目じりが下がってるし、口元も綻んでる』


 目じりが下がってる? 口元が綻んでる?


『嘘でしょ?』と問い質してみるも、『ホントだよ』と真顔で返された。

 弱ったな、と私は思う。

 いつからそんな風に、感情を表に出す習慣が付いていたんだろう。自分の気持ちを伝える手段に乏しい私は、常日頃から、表情を押し殺すよう心掛けている。

 顔色の変化によって、相手に良い心象を与えた場合は問題ない。困るのは、逆のケースになったとき。私の顔色の変化から相手が不快な気持ちを抱いた場合。これが実に厄介だ。コミュニケーションを取るのが容易じゃない以上、その誤解を解くのも一苦労なのだから。ゆえに私は、表情を殺す。これまでも、そしてこれからもだ。

 でも……本当にそれで良いのかな?

 表情が豊かになった、と告げた恭子の顔はなんだか凄く嬉しそうで、私のアイデンティティが揺らぐ。場を取り繕うように愛想笑いを浮かべた私の顔は、たぶん引きつっていたと思う。

 更に二言、三言、恭子と会話をして別れた後、音楽室に残っていた広瀬君に原稿を渡した。流石に分量が多いので、後で見ておくよ、と彼は微笑んだ。

 うん、と頷いて、笑顔を浮かべようとして、あれ……本当にそれでいいのかな、なんて色々悩みすぎて表情の出し方がわからなくなる。


『緊張しちゃってどうしたの?』


 と愉快そうに笑われた。悩んだ末に貼り付けた笑顔は、きっと鏡で二目と見れない歪んだものだったに違いない。

 取り敢えずそれでも今日頑張った成果としては、広瀬君のLineアカウントをゲットできたことかな。

 恭子や律に報告したら、『え、今更なの?』と笑われてしまいそうだけど、私にとっては十分過ぎる程に大事件なのです。

 だから二人で帰る自宅までの道のりで、私はいつも以上に大人しかったに違いない。弾んだ気持ちと、動揺している心を隠すのに、必死だったのだから。

 どこか満ち足りた心で見上げた空には、無数の星々が瞬いていた。流星が一筋、闇夜を切り裂いた。


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