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見上げた空は、今日もアオハルなり  作者: 木立 花音
第三章:新説、ロミオとジュリエット
14/30

『新説、ロミオとジュリエット①』

 私立照葉学園の文化祭は、九月の下旬に行われる。

 季節はまだ七月の上旬。期間的にまだまだ余裕がある、と言いたいところだが、クラスで準備する催し物の内容によっては準備時間が多く必要になる。そのうえ間には夏季休暇もはいってくるのだから、このあたりに催し物の選定や実行委員の選出を行うのは、毎年の慣例だった。

 僕、広瀬慎吾が所属している三年B組の催し物は、教室で行う喫茶店の経営と、ホールでの出し物は、著名な演劇『ロミオとジュリエット』に決定したようだ。

 いいんじゃなかろうか。たとえ何に決まったとしても、クラスで目立たない存在である僕にはどうせ大役など回ってこない。実行委員になった人はまあ大変だろうけど、頑張ってくれればいいなと思う。そんな風に、最初は高を括っていたわけで……

 委員長の二階堂が黒板に素早く書き入れていく文字を、どこか他人事(ひとごと)のように見つめていた。


 演目 『ロミオとジュリエット』

 ロミオ役 『広瀬慎吾』

 ジュリエット役 『桐原悠里』


 なんだろうこれは。夢かそれとも幻か。

 どうして僕がロミオなの? なぜ、あなたはジュリエットなのかしら?

 どんなに項垂れても、悲劇めいた台詞を脳内で再生してみても現実は変わらないわけで。

 こうして文化祭での催し物は、僕と桐原さんを主役にした演劇『ロミオとジュリエット』に決定する。実行委員は僕たち二人に加えて、渡辺美也と阿久津斗哉が選出された。

 もう──波乱の予感以外しなかったわけで……


 演劇の配役と実行委員の顔ぶれまでが決定すると、早速段取りを決めるための話し合いにはいる。特にインターハイも控えている美也は、早めに話を切り上げてバレー部の練習に顔を出すべきだろう。

 放課後。僕たち四人は教室に居残ると、机を四つ突き合わせて席についた。


「決まったことにうだうだ言うつもりはねぇけどさ。耳が聞こえない。言葉も話せない。そんな桐原が主役で本当に成功すんのかよ。ありえねえだろ……」


 開口一番、斗哉が苛立った声で吐き捨てた。声が聞こえなくとも、表情や仕草でなんとなく伝わってしまうのだろう。膝の上で拳を握り、桐原さんが俯いた。

「そういう言い方をするな」と、取りあえず斗哉を窘めておいた。


 ロミオとジュリエット。イングランドの劇作家ウィリアム・シェイクスピアによる戯曲。多くの人が知っているであろう有名な恋愛悲劇である。

 舞台は十四世紀のイタリアの都市ヴェローナ。ヴェローナは、一二三九年に神聖ローマ帝国の皇帝フリードリヒ二世の協力を得て、近隣のロンバルディア同盟諸国を征服し絶頂期にあったが、ローマ教皇はフリードリヒ二世を反キリストであると非難して、近隣ロンバルディア同盟諸国を擁護し再破門したことから戦争が起こる。以来ヴェローナの支配層は、教皇派と皇帝派に分かれて熾烈な争いが繰り広げられるようになった。皇帝派のモンタギュー家と教皇派のキャピュレット家も、血で血を洗う抗争に巻き込まれていた。

 モンタギュー家の一人息子ロミオは、ロザラインへの片想いに苦しんでいた。気晴らしに、と友人達とキャピュレット家のパーティに忍び込んだロミオは、キャピュレット家の一人娘ジュリエットに出会い、たちまち二人は恋におちる。二人は修道僧ロレンスの元で秘かに結婚。ロレンスは二人の結婚が、両家の争いに終止符を打つきっかけになることを期待する。

 しかし直後、ロミオは友人とともに街頭での争いに巻き込まれてしまう。親友を殺されたことに逆上したロミオは、キャピュレット夫人の甥を殺してしまう。このことから、ヴェローナの大公はロミオを追放の罪に処する。一方、キャピュレットは悲しみにくれるジュリエットに、大公の親戚のパリスと結婚することを命じた。

 ジュリエットに助けを求められたロレンスは、彼女をロミオに添わせるべく、仮死の毒を使った計略を立てる。しかしこの計画は、追放されていたロミオにうまく伝わらなかった。そのためジュリエットが死んだと勘違いをしたロミオは、彼女の傍らで毒薬を飲んで自殺。直後、仮死状態から目覚めたジュリエットも、ロミオの短剣で後追い自殺をはかる。


 あらすじはおおよそこんな感じ。ここまで詳細に知っている人間は、むしろ少数派だろうけど。

 不安そうにおろおろしている桐原さんと、そんな彼女を不器用に励ましている美也。二人の様子を横目に見ながら僕は言った。


「斗哉の気持ちも確かにわかる。だがそこは、最初に決めておいた対策でなんとかなるだろう。本番中も、僕が絶えず桐原さんを手話でサポートするから」


 そう言ったものの、斗哉の懸念ももっともだ。聴覚障害を持っている桐原さんに、主役の一人であるジュリエットを配役するなんて、どう考えても無謀だ。

 ところがこの厄介な提案は、クラスメイトの放った鶴の一声により、とたんに文化祭の催し事として拍手喝采で迎えられる運びとなる。


「ジュリエットが全聾(ぜんろう)という設定にしたら、なんか面白そうじゃね?」


 そう、ジュリエットは聴覚障害のある少女だったという設定にシナリオを改編してやろうよ、と一人の男子が発言したのだ。これにより、必然的に桐原さんがジュリエット役の筆頭候補にあがる。『え~、ジュリエット役はアタクシしかおりませんのに』という相楽さんの嘆きが完全に無視されたのは言うまでもない。

 そして、ジュリエットの台詞をどうするのか、という最大の問題。こちらは、彼女の真横に黒子役が二人付き添ってサポートしようぜ、と決まる。一人が台詞の書かれたボードを要所で掲げ、もう一人がジュリエットの声を代弁する、というかたちだ。

 ジュリエット役である桐原さんは、ボードの文字を確認すれば自分がやるべき演技を把握できるし、必然的に台詞を完璧にマスターする必要もない。

 台詞を書き込んだボードを多数準備する必要があり骨が折れるが、比較的彼女の負担は軽いといえた。問題があるとするならば、僕の方。


「ロミオ役は広瀬君がいいと思う。だって手話もできるんだから、桐原さんのサポート役には適任じゃん?」


 などという、無責任な女子の発言でロミオ役に抜擢された僕は、ロミオとしての自分の台詞もマスターしつつ、ジュリエット役である桐原さんの台詞もある程度カバーしなければならないという、非常に面倒な状況に追い込まれていた。

 こいつは流石に溜め息も漏れる。

「ま、頑張って」と気後れするように、美也が僕の肩を叩いた。「軽々しく言ってくれる」


「決めるべきことは幾つかある」


 机の上に要点を纏めた紙を広げながら、僕はみんなの顔を見渡した。


「まずは台本の作成。衣装と劇中で使用する音楽の選定。そして、練習時間をいつ取るか、だ」


 特に台本は頭が痛い。

 いくら原作があるとはいえ、原作の物語をそのまま准えたのでは時間が膨大になり過ぎる。ストーリーとして必要な部分、外せない部分だけを選び出して、演劇用として再構築する必要がある。

 う~ん……と斗哉と美也が腕組みをしてただ唸るなか、桐原さんがおずおずと挙手をした。

 驚いて顔を向けると、彼女は自分の右目の下を指でとんとんと叩く。意味は、


『シナリオ、私がやってみるよ』

『桐原さんが? 本当に大丈夫?』


 桐原さんは文芸部所属なのだから、確かにある意味適任かもしれない。が、本当に大丈夫だろうか? 障害を持っている彼女の負担をあまり増やしたくない、というのが本音だ。


『文芸部の部室に、昔、演劇で使ったっぽいロミジュリの演劇台本があったような気がするの。後で探してみるね』


 なるほど、手本が存在するのか。それなら彼女に掛かる負担は最小限で済むかもしれない。


『わかった。じゃあ、取り敢えず台本の件は桐原さんに任せるよ。部室から台本が見つかったかどうか、後で報告してね』

『うん。頑張ってみる』


 もちろん、二人のやり取りは全て手話で行われている。なので、斗哉と美也の二人が会話の流れに取り残されぬよう、所々声に出して説明を加えた。傍から見ると、独り言で会話を続ける危険人物に見えそうではあるが。


「じゃあ。シナリオはなんとかなりそうね。衣装の方は、優花里と果恋に声がけして、私の方で調べてみる。演劇部で揃えばいいんだけど……ダメそうだったら先生に相談して、レンタルも考える」


 美也はこう言うと、ゴメン、練習あるんで先に失礼するよ、と席を立った。先ほど話題に出ていた、相楽さんと佐薙果恋(さなぎかこ)を連れ立って、三人で教室を出て行った。

 佐薙果恋はやはり同じB組所属で、バレー部のキャプテンをしている女の子。

「頑張って」と彼女にエールを送り、僕たちは相談に戻る。「最後は音楽の件だけど……」

「それはやっぱり慎吾の役目だろ」とさも当然という体で斗哉が言う。「だよねぇ……」と僕も渋々同意した。

 嫌な予感はしていたが、このさいやむを得まい。自宅に音楽用の機材が揃っていて、吹奏楽部の部長でもある僕が音楽を担当するのは、至極真っ当な流れだ。


「練習時間は、台本が仕上がらないと最終的な決定を下せないけど、基本的には放課後。もしかすると、夏休み中も何度か集まらないとダメかもね」


 桐原さんがこくんと頷き、斗哉はやれやれと言わんばかりに肩を竦めた。

 じゃあ、今日のところはこれで。会議を締めくくろうとした矢先、斗哉が桐原さんの方に目を向けて提案した。


「普通のロミオとジュリエットでも良いんだけどさ、折角主人公が耳の聞こえない少女なんだから、そこを上手く生かして独自のストーリーに仕立てられないかな?」


 彼の提案に難色を示した。障害のある桐原さんがシナリオを担当するだけでも負担が大きいのに、更なる注文を受け付ける余裕などあるだろうか。

 それでも一応、彼女に手話で通訳しておいた。『できそう?』と。

 即座に否定されてもおかしくない不躾な提案だったが、わずかな逡巡を挟んだのち、桐原さんは眉一つ動かすことなく力強く顎をひいた。


『わかった。考えてみる』


 こちらを真っ直ぐ見据える瞳。黒目がちな瞳のその奥に、迷いの色は微塵もなかった。

 気のせいだろうか。ここ最近桐原さんの顔から、以前は見られていた怯えや不安といった負の感情が、消え失せたように思える。また時期を同じくして、彼女の瞳に強い意思の光が宿るようになっていた。

 本当に、どんな心情の変化が訪れたのかはわからない。だが僕は、それをとても良い傾向だと思っていた。


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