邂逅
10匹目のトカゲの目玉を回収したところで、カルルは顔を上げた。
1つ目トカゲと呼ばれる、魔物の討伐を開始してから20分ほどたっただろう。額にはじっとりと汗が滲み、カーゴパンツの裾は泥で汚れてしまっていた。
「やっぱり、湿地帯のクエストは避けるべきだったな・・・」
誰にも言うなしに呟き、汚れたズボンを見て眉をひそめた。
湿地帯。
冒険者のギルドから徒歩15分程度に位置するフィールドだ。
平野が濁った水に薄く浸水していて、その水の中からは大人の腰程度の高さまで延ばされた雑草が鬱蒼と生い茂っている。さらには周辺を羽虫が飛び交い、小型の甲殻類や魚類が駆けまわっていた。
また、辺りからはヘドロのような異臭が立ち込めていた。
のみならず、湿度が高くて蒸し暑く、足元が常にぬかるんでいる。今の季節は中秋なので、普段であれば冷涼で過ごしやすい。
だが、この湿地帯は常に蒸し暑くて悪臭が漂っている。
湿地帯は、カルルの住む町の住民達が毎月投票している、住みたくない地帯ランキングで常に3位以内に入っている。
誰も住みたがらないだろうと考えたと同時、この湿地帯の近くに村があることを思い出した。今回引き受けたクエストは、その村の村長からの依頼である。
湿地帯の近くの村ということは、その村でも現在カルルが立っている環境が広がっているのだろうか。
よくそんな不衛生かつ蒸し暑い場所でよく暮らせるものだと感心してしまう。綺麗好きかつ寒さを好み、暑さを嫌悪しているカルルは、まず半日と暮らせないだろう。
とにかく、この湿地帯にのみ生息するという「1つ目トカゲ」の討伐はすぐに終わった。何度か戦ったこともあり、この魔物自体は大量に生息しているからだ。
1つ目トカゲの体長は、どれほど大きくても2メートルは超えないとされている。体表は黄土色の鱗で覆われており、青くて大きな1つの目玉が頭部辺りに埋め込まれている。尻尾の長さは、体長と比べて2倍以上あるのが通常だ。
俊敏に動きつつ、敵と認識した相手を尻尾で拘束し、噛み付くというのが一般的に知られる攻撃手段である。非常に攻撃的で、自分よりも弱いと思った相手ならば誰であっても危害を加えるという好戦的な性格だ。
また、雑食で何でも食べる。その辺を飛び回る羽虫だろうが農家の作った野菜だろうが、食べられる物はとにかく口に入れて飲み込むという悪食ぶりだ。1つ目トカゲに歯はないものの、その代わり噛む力が非常に強く、木製のテーブルを粉砕する程である。
とはいえ、カルルは大量の魔物を仲間として引き連れているために討伐は容易だった。
やり方は簡単だった。まず、コボルト数匹を囮に使いそちらに視線を集める。警戒心が前方に向いている時に、石の斧を持っていたゴブリンに背後から尻尾を切断させる。切断されて怯んでいるときに、毒牙を持つモモンガ、ポイズンモモンガに命令して、トカゲの喉元に食らいつかせる。
ポイズンモモンガの毒は強力だ。死に至らしめることはないが、全身の神経を30秒足らずで麻痺させて、行動を完全に止めてしまうのだ。
その後、確実に止めをさすべく、カルルがトカゲの頭部をナイフで突き刺したら始末は完了だ。
クエストの報告のために、ナイフでトカゲの目玉をくり抜き、腰から下げた布袋に入れる。
目玉を回収する作業以外は、この最初だけこなした。
カルルの能力ーーー魔物を使役するという能力により、カルルが倒した魔物は例外なくカルルに従う。それが例え、「死ね」という命令であっても。
トカゲを1匹倒した後は、残りの9匹を口笛で呼び出して、それぞれ自滅してもらった。慈悲なんてある訳がない。所詮は魔物だ。農作物を食い荒らす害獣だ。
どのような形であれ、死んでもらった方が人間にとって有益なのだ。だから、感謝されこそカルルのやり方を咎められる義理はない。
トカゲ達の自滅後は、それぞれの目玉を袋に投げ入れた。
因みに、魔物図鑑は街の施設である「預り所」に置いて来た。持ち歩くと手元が塞がり、もしかしたらどこかに落としてしまう可能性があるからだ。今回のような湿地帯に落としてしまえば、紙が泥に浸かって二度と使用出来なくなる。そうでなくても、魔物の住む場所で物を紛失するなど危険でしかない。探すためにノコノコと歩いて、そこで魔物に襲われれば命の危機に陥ることは言うまでもないだろう。
なので、クエストに行く前は、行き先の魔物を調べた後に必ず預ける。料金は、預け入れと引き出しを合わせても銀貨1枚程度で済む。紛失してしまうよりは余程安上がりだ。
さて、非常に楽にクエストを終えたわけだが、もうここには行きたくない。鼻の曲がるような悪臭に、異様とも言える蒸し暑さは、何者にも代えがたい程い苦痛だ。
服や靴が汚れることを機にしながら、カルルがギルドへと戻ろうとした時のことだった。
ーーーバチャンッ
音がした。
真後ろから聞こえた。水を激しく叩く音だ。
カルルは、魔物達に警戒するよう伝えると、ゆっくりと振り返った。
そこにいたのは。
真っ黒な1つ目トカゲだった。
「・・・ッ!」
カルルは反射的に一歩後退した。
形は1つ目トカゲと変わらない。しかし、体は1回りも2回りも大きくて、尻尾も非常に長い。
体表は真っ黒な鱗に覆われており、頭部に配置された1つしかない目は深紅に染められていた。
黒い1つ目トカゲは、赤い舌をチロチロと出しながら、カルルににじり寄ってきた。
カルルは、自分の周りにいる仲間の魔物に、すぐに相手を殺すよう命令した。先程仲間にした1つ目トカゲも呼び寄せて、総攻撃を仕掛けた。
コボルトとモモンガが噛み付き、ゴブリンが石の斧を振り降ろし、1つ目トカゲが、相手の首を尻尾で拘束した。
しかし、どの攻撃も効いている様子がない。黒い1つ目トカゲは、一瞬だけ体を後ろに下げると、弾かれるように真っ直ぐとカルルに迫って来た。
巨体の割に俊敏な動きだった。瞬く間にカルルに飛びつき、抵抗する間も無く押し倒してきた。
舌先を何度も出し、カルルの鼻先を舐めると、口をガパッと開けて頭部をかみ砕こうとしている。喉の奥から唸るような声も聞こえてくる。とてもじゃないが、懐いているようには見えない。それどころか、明確な殺意さえ感じる。カルルを殺す気でいるのだ。
カルルがどうにか引き離そうとするものの、トカゲはしっかりとカルルの体にしがみついて、離れる気配がない。仲間の魔物達も懸命にトカゲを引っ張っているが、なしのつぶてと言ったように微動だにしない。
ついに、カルルの頭部を砕かんとばかりに大口を開いた時だった。
カルルは、咄嗟の判断でナイフを取り出し、トカゲの上顎を内側から突き刺した。
それと同時、黒いトカゲは大きく仰け反り足をバタつかせると、そのまま背中から転倒して大きな水しぶきをあげた。
外側の鱗は貫けなかったものの、かなりのダメージを与えられたようだ。
数秒間動かないと思えば、ゆっくりと体勢を整えカルルを睨んだ。
警戒するものの、それ以上は襲ってくることはなく、尻尾を向けて奥へと逃げていった。
「・・・あぶなかった」
ナイフを握りしめる手を地面に降ろし、カルルは安堵の表情で呟いた。しかしすぐに立ち上がり、辺りを見回した。
あのトカゲの正体は気になるが、こうしているうちにまた襲ってくるかもしれない。
カルルは、魔物達と共にその場から走り去った。