始まりの嘆き
ひどい耳鳴りがした。
黒板をひっかいたような高い音が耳をつき、大きな衝突音に胸を押された。
気付けば僕の目の前には僕の何倍も大きいトラックが迫っていて、視界の端の方でカーディガンの少女が、必死になって叫んでいた。
その少女は僕の彼女だ。今年で三年目、いつも通りにデートをして、何かしら買い物をして、同棲している家に帰ろうかと、そういう雰囲気になっていた時だった。そんな夕暮れ時の、家が恋しくなる時間に、こんなことになってしまった。
彼女が、なんて言ったのかはわからなかったが、確かに聞こえたその嘆きの声が、僕の最後の記憶だ。
それからはよく覚えていない。
言葉には言い表せないような感覚に襲われ、荒波にもまれ流され、気付けばここにいた。
勿論僕は死んだのは初めてだし、同じように、天国やら地獄やらの、死後の世界と言うものの存在すらまったく信じていないような人間だった。
そうさっきまでは。
「貴方はお亡くなりになられました」
きれいな透き通った声が頭の中に響いた。
これが女神さまか、と感化される一面、姿を見せてくれないのを少し残念がっている自分がいた。でもまあ見えないものにこそ趣というものはあるもので、実際姿を現さないからこそ、自分の中で想像を膨らませ、自分好みの女神さまを勝手に信仰することができるのだ。
「今から別の世界に転生させますので、少々お待ちください」
トラックに轢かれて異世界に転生?どっかで聞いたことのある話だな。
異世界転生ものをあまり読んでこなかったことに少し後悔してしまいそうになった。
「新しい身体、新しい環境に適合できるように、記憶の消去を行います」
ああ,全部忘れちまうのか。家族も友達も、彼女の事も。
どんなに想像力のある人でも、「死」だけは想像できないというけれど。実際死んでみると、それこそ生きている時以上に、実感がわかない。夢だと言われても、うなずけるくらい、今の状況に確信が持てない。
きれいな声で(きっと金髪ロングで、そこそこ高身長で、大人な顔つきの)女神が言う。
「では、新しい人生をどうか楽しんでください。幸運を祈ります」
またこの感覚だ。真っ暗闇。でも、今度はだんだん下に滑り落ちていくような不思議な感覚だ。
いてっ。
どうやら頭をだいぶ強めに打ったようだが、ここは…?
待ちゆく人の声、のどかな青空、流れる雲。
僕は仰向けになったまま考える。無事転生できたのだろうか。ん?何かがおかしいぞ。
記憶がある。それも鮮明に。響いたブレーキ音。死に際のざわつき、それに女神の声、曖昧なところもあるが、覚えている。
記憶が完全に消えていない? 所々記憶の滑落があるようで思い出せないものの、大部分は残っているようだ。女神だって、声は思い出せるけど、容姿がどうも思い出せない。
手もある。男子高校生の、成長した手だ。太陽にかざすと、かすかに暖かい。血もちゃんと通っている。
起き上がると、町が広がっていた。モダンな町の風景。見慣れない住民。まさに異世界といった感じだ。地中海の方の町が確かこんな感じだったけれど、どう見ても時代はこっちのほうが前だろう。
どうやら転生は成功しているらしい。いやこれは転生というより、転移といった方がよさそうだが。
記憶も知能も身体もそのまま。
「第二の人生」とか「人生二週目」と言うよりは、片道切符の異世界旅行って感じだ。
これはいわゆる神さまのミスってやつか?転生させようとしたら、そのまま送っちゃった的な?それもこんな町のど真ん中に。たった一人で。
勘弁してほしい。これからどうしろって言うんだよ。せめて異世界転生もの読破した友達も連れて来たかったなあ。
神様の手違いだか何だか知らないが、僕には既に、餓死する未来が見えているんだが。ほんと、女神さまの容姿が可愛くなかったら激怒していたところだ。
服は着たまんまだし。けがもない。トラックに轢かれる直前のコンディションって感じか。ポケットに入れておいた財布はあるが、背負っていたリュックも、手に持っていたレジ袋もない。どういう基準なのだろう。
まあ、素っ裸で送り込まれなかっただけ、ましか。
周りの人の会話を聞く限り、どうやら言語は日本語でも英語でもなさそうだが、なぜか不思議と母国語かのように聞き取れるし、理解もできる。そこの辺りは女神さまの親切設計って感じか。
異世界転生ものとかって、第一話大体同じような感じですよね。