第2話 エルラント王国
大陸北部、大国ザルキア帝国とアルダート山脈を隔てて隣接する小国エルラント王国は《美しい花の国》と表されることがある。
農業が主な産業であり、麦やロージア(小さい芋)を多く栽培している。
短い夏が終わる秋口あたりから、乾いた冷たい風がアルダート山脈から吹き下ろす。
山脈の反対側と比べると雪は少なく、針葉樹林の木々と寒い気候でも咲く色鮮やかな花々が、薄く積もった雪の隙間から顔を出している。
国王バランティス・アルデア・エルラントのもと、古くから封建制の残る国である。
首都パリーツェから馬車で丸4日、山々の間にちょうどできた平地地帯にスペリヌア湖はある。
人の足で2時間ほどで一周できる大きさであり、その澄んだ水から見える水底には、白い水花や水草が水の美しさを証明している。
スペリヌア湖の湖畔にある街レンパラはエルラント王国の最も東にある街の一つである。
商業都市であるこの街は、古くはエルラント王家の避暑地として開拓され、今も王家ゆかりの宮殿が残されている。
石造りの家が多く並び、街の中央の通りには秋の季節にふさわしい沢山のベリーや果物が売られている。
街の一番の特徴は隅々まで行き届いた水路だろう。スペリヌア湖から引かれたものが多く、生活用水としてはもちろん流行病から人々を守る役割も果たしている。
そんなレンパラの北の端、収穫を終えた麦畑の真ん中、スペリヌア湖に流れ込む川のほとりを歩く人々がいた。
1人の女性と3人の幼い少年少女である。
女性と言ったが、見た目は15歳前後で、手には一杯のベリーが入ったバスケットを持っている。
陽の光を浴びることで銀色にも見えるブロンドの髪は肩にかかるくらいで切り揃えられている。
そして、左右の眼がそれぞれ翠色と紅色をしている。
それが、彼女をどこか神秘的な存在だと思わせる。
顔は整っているが、幼さの残る顔である。
「ねぇねぇ、ティアお姉ちゃん! たっくさん採れたね! 」
「みんなが頑張ったからですよ! 」
「シスターアリス特性のジャムが沢山食べられる! 」
幼い少女からティアと呼ばれた彼女は満面の笑みを浮かべた。
「でも、川遊びができなかったのは残念だな」
少年が濁った川を見ながらいう。幼い彼らの中で少年が一番しっかりとしているように見える。年齢も上だろう。
「今朝までの雨で増水してましたから、また今度ですね」
今朝まで降っていた雨は止み、雲の隙間からわずかに太陽の光が差し込んでいる。
その光は麦の種植えを控える麦畑を照らす。
子供達の1人、一番幼い少女が足を止めたのは太陽が雲に隠れたときである。
「どうしたの? 」
「ティアお姉ちゃん、あれ何? 」
その少女はある場所を指差した。それは、増水した川沿いである。
少女の指差す方向に目をやった彼女の瞳は大きく見開かれる。
大きな岩に捕まるように、半分水に浸かった人がいたからだ。
「大変!! 」
その姿を確認した彼女はベリーの入ったバスケットを落とし、駆けた。
「みんな! カーラ先生と病院で働いている人を連れてきて! 」
彼女の声の変わり様に子供たちは驚きを示したが、すぐにそれに従うために行動する。
半分水に浸かった人は少年であった。
季節は秋口、川の水は冷たく外気温も低い。
濡れた衣類を見にまとう少年は重く、彼女1人では岸にあげることだけでも一苦労であった。
「体は冷たいけど、呼吸はしてる! 」
皮膚に触れたときはその冷たさに驚いたが、弱く呼吸をしていて胸に手を当てれば心臓の鼓動も聞こえる。
厚着とは言えないが、その服装は彼女を困惑させるものであった。黒い服は彼女たちが普段着ているものとは全く違うものであったからだ。
(軍人? でも、この国の人じゃない)
素材やデザインから彼女はある可能性を導き出した。
しかし、今はその可能性を置き、助けることを選択する。
濡れて重くなった服を脱がせ肌着にさせる。
「これは!? 」
彼女が見たのは、赤黒く染まった肌着である。
脇腹や腕、太もも、そして背中と様々なところから出血している。
剣で切られたような傷に顔をしかめるが、それ一瞬のことであった。
(必ず助けます! )
川に流されただけでも命の危険があるというのに、これだけの傷を負っていたとあっては助かる可能性は限りなく低くなる。
今、生きているのが不思議なくらいだ。
彼女は持ち合わせていた傷薬と包帯を取り出す。
しかし、それはあくまでも軽傷を治すために使われるもので目の前の少年のような重傷には気休め程度にしかならない。
傷薬と青年を交互にみた彼女はあることを決意する。
「ーーーーーー風の神エリアルよ水の神アクシアよ、その偉大な力を命を助けるためにお貸しください」
傷薬の容器を手で包んだ彼女は静かに唱える。途端、容器が蒼白色に柔らかい光を放ちはじめた。
(よかった。成功した! )
傷薬を手で取り青年に処置を施していく。
もし、その光景を見た人は驚きを隠せないだろう。
薬を塗った場所から傷が塞がっていくのだ。様々な切り傷や刺し傷、出血していた場所までが逆再生されるように治癒していく。
彼女は額に汗を滲ませながら、青年の傷を癒す。
一番深い重傷箇所はその場では治らなかったが、それ以外は薬によって治癒した。
「あとは、先生に任せないと」
汗を拭き取り、安堵の息を吐く。
青年の呼吸や顔色は落ち着いたように伺える。
その後、自分が着ていた外套を脱ぎ着させ、鞄から拳ほどの黒い石を取り出す。
石を手で包み込み、自分の胸の前に持っていく。そして、目を瞑り心を落ち着かせ、彼女は言葉を発した。
「火の神カークスよ、力をお与えください」
刹那、黒かった石の色が濃赤に変わり、最後には鮮やかな赤色へと変わる。
彼女はそれを少年の肌着と外套の間に挟む。
そして、自身は少年の頭の方に座り、膝枕をするのと同時に顔に手を当てて温める。
(大丈夫。助かります)
ーーーーーー暫くの時間が経ち、子供たちが数人の大人を連れて戻ってくる。
「ティアお姉ちゃん! カーラ先生連れてきたよ! 」
少女が先頭を走り、そのすぐ後ろに白衣を着た初老の女性がいる。
カーラと呼ばた人物である。
「先生、応急処置はしましたが大きな傷は治せなくて」
彼女は膝枕する少年の状態を説明する。
傷の中で何には、剣かなにかの刺し傷がいくつかある。止血はしているものの専門的な治療が必要だ。
「これは、直ぐに運びます! 」
状況を理解したカーラは連れてきた男たちに青年を運ぶように指示を出した。
驚きを隠せない表情であったが、それは青年の存在に対してだけではない。
彼女が施した応急処置についても驚きを示した。
「薄々感じてはいましたが、貴女の力は成長とともに増してきているのですね」
カーラは誰にも聞こえない声で言い、ため息を吐いた。しかし、その心配を今は置いておいた。
傷ついた青年の治療が優先であったからだ。
「ティアお姉ちゃん、私たち、言われてことやったよ! 」
「ありがとう! みんなのおかげで彼を助けることができました」
彼女は幼い少年少女の頭を撫でようとするが、その手に血がついていることに気づき、その手を下ろした。
手だけでなく、服にも赤いシミが多く付いている。
「セレスティア様、少しよろしいでしょうか? 」
「ナタリー? 」
彼女を呼ぶのは、少年少女たちが呼んできた人々の1人である。
カーラと同年齢に思える初老の女性だ。
「今の青年について、詳しく聞きたいことがあります」
「ええ、もちろんです。しかし、今は子供たちの世話という役割を完遂しないといけません。治療の方はカーラ先生に任せておけば問題ないでしょう。夕方ごろ病院へ向かいます。この件はそれからにしてください。私も彼の方について気になることが多くあります」
「かしこまりました。あなた様がそうおっしゃるなら」
彼女の言葉に初老の女性、ナタリーは頷いた。
ーーーーー治療を施した彼女、セレスティア・グレース・エルラントは青年のことを心に留め、これから訪れるであろう変化に期待と心配の感情を抱いたのであった。