20 結末(桔梗子)
いきなりズキリとした痛みがあり、わたし(桔梗子)が目覚める。
心の中で誰かが助けを求めている。危険を知らせている。涙を溢れさせている。さまざまに絡み合い、それらのすべてが一つの潮流となり、わたしを覚醒させたようだ。
反射的に時計を見ようとする。が、ロ―プで縛られている。だから無理だ。目の前には、わたしにとって未だ名無しの彼がいる。わたしは知っていたのだろうか。無意識の影の中で……。不覚にもわたしも愛してしまったこの男の正体を……。
部屋の向こう側には小学生の女の子がいる。理由は不明だが彼女も選ばれてしまったのだろう。不幸中の幸いで見た目に怪我はないようだ。睡眠薬で眠らされているのか動きがない。面はわからない。が、寝顔は愛くるしい。救いといえば、それくらいか。
部屋の中央でタイマー付の小さな箱がカチカチと音を立てる。規則正しく時をカウントダウンしながら最後の幕引きを待ち侘びている。
「名前くらい教えなさいよ」
ぶっきらぼうにわたしが訊く。
「少なくとも、あなたはわたしたち二人の名前を知っているんだから……」
すると、
「おや、結局あなたが出て来てしまいましたか」
名無しが答える。
「董子さんは結局、わたしとの心中を受け入れてくれなかったのですね」
そう続け、絶望的な瞳でわたしを見る。だから、僅かに釣り込まれる。不謹慎だとは思ったが、この名無しの彼は、わたしにとっても、いい男だ。この先、傷つけたり、あるいは殺してしまうかもしれないと思うと胸が痛む。
「その質問に、わたしは答えられないわ。董子に聞いてくれないかな」
わたしが言う。が、名無しはそれには返答せずに、
「董子さんは、もう少しでわたしを受け入れてくれそうでした。ところがもう一人の女が現れ、それを邪魔だてしました」
「ふうん」
「すると次はあなたです。……わたしもあなたたちのように、少し前までは別のわたしと一つの身体に共存していました。けれども彼は、少なくともわたしの願いを聞き入れてくれましたよ。才能を生かし、最初の一押しをしてくれたんです、その後、わたしの許を去りました」
「なるほど。確かにそんな感じはしたんだ。本当の真犯人はそいつだったんだね」
詳しい事情はわからないが、それは何かの連鎖だ。そう確信する。
「もう五分もすれば、この部屋は吹き飛びます。三輪医師に関しては残念でしたが、彼がこの先悔い改めなければ、いずれ誰かが制裁を加えるでしょう」
「ある程度の社会的制裁だったら直に受けるはずよ。まだ先かもしれないけど周辺にリークされるはず」
橘医師の名前まで出るかどうかはわからないが……。
「おや、そうでしたか。それはすばらしい」
男に名乗る気がないようなので、すぐにケリをつけることに決める。男は気がついていないが、すでにロープから腕を抜いている。服のポケットに入ったままのスマートフォンのGPSもオンだ。放っておいても、いずれ崔本くんか刑事班の誰か始末を付けてくれるだろう。が、自分の姉妹の不始末だ。それに関する責任は取らざるを得まい。
だから、まず脚で床の所定の場所を探る。スーパーボールを探し出す。スーパーボールを縛られた脚のつま先で弾き、男に放る。ガサゴソいう物音に、こちらの方向を向いた男の額にそれが当たる。ついで腹筋を極限まで使い、伸び上がる。……と同時に置物に偽装し、本棚に飾っておいたスタンガンを掴み、男の喉許に宛がう。服から露出した部分が顔と喉だけだったからだ。男が、ぎゃあっ、と悲鳴を上げる。が、失神には至らなかったようだ。だから次は頬に当てる。複数回……。タンパク質の焦げる厭な臭いがわたしの部屋に充満する。男が倒れる。そこに崔本くんが飛び込んで来る。
「爆発物処理できる人間は……」
男に手錠を掛けながら、わたしが叫ぶ。脚に巻かれたロープを急いで切り裂く。本庁・警備部機動隊所属の爆発物処理班は既に起動しているだろう。が、この短時間では当然のように間に合わない。
「東野さんのところの吉兼さんが今到着しました」
「ギリギリ間に合うかな。数字は二分五十六秒を切ったぞ……」
吉兼次郎にも聞こえるように声に出して叫ぶ。
「とにかく部屋から持って出る。ここから近くの公園まで運ぶ」
「吉兼さんから、そちら(公園)にまわると連絡が入りました」
「よおし、じゃ……」
気合を入れ、窓を開ける。毛布に包んだ爆弾を抱え、二階のベランダから飛び降りる。大家に無理を言い、クッションを置かせてもらった位置に着地。広くはないが、十メートルほど先のT公園まで全速で向かう。見ると、既に爆発物処理専用の防爆箱――分厚い鉄板の塊だ――が用意されている。その横に背が高く、ひょろ長い吉兼御大が待っている。時間はもう一分も残っていないだろう。犯人お手製爆弾の破壊力が左程大きくないことを祈るしかない。
「お願いします」
吉兼御大に爆弾を渡す。吉兼御大が毛布の中から手製爆弾を取り出し、繁々と眺める。タイムリミットまで、あと三十五秒。
「簡単な作りみたいだから、解体しようか」
「お任せしますが、ご自身をぶっ飛ばないでくださいよ」
言う間に爆弾の裏蓋を開ける。
「残念……。結構凝った作りですね。これじゃ、余裕がない」
ついで防爆箱に爆弾を入れ、蓋をする。
「逃げましょう」
落ち着いた声でわたしを促す。もちろん二人とも一目散に退散だ。
「時間だ。耳を塞いで……」
ついで、ドオン、という地から腹に抜けるくぐもった音が聞こえてくる。が、衝撃がない。だから地に身を伏せたまま首だけまわし、振り返る。防爆箱に異常はない。だから、
「グッド、ジョブ!」
そう叫び、わたしは吉兼御大と手を鳴らす。




