2 殺人現場(桔梗子)
「うわっ、何ですか。この殺され方は……」
現場にあったのは喉から腹の下までざっくりと切り裂かれた女性の死体だ。しかも、
「歯がすべて抜き取られているよ。用意周到というか、なんというか」
女性鑑識課員の東野董子が説明する。
「身元を判別できないようにするには良い手だろうね。手間はかかるけど……」
「それをいうなら、飛ぶ鳥後を濁さず、じゃないの。相変わらず、頭、悪いわね」
「ムッ、最初からそのつもりだったんなら用意周到でいいじゃないの。道具も持たずに歯なんか抜けるかよ」
「まあまあまあ、お二人とも……」
崔本くんが、わたし(桔梗子)と女性鑑識課員の両方を宥める。
「いいじゃないの。別に喧嘩してるわけじゃないんだし……」
わたしがいうと、
「そうそう、その通り」
アズマヤも応じる。ついで首を大きく捻りつつ、
「でもまあ、歯の方はいいのよね。さっきので説明がつくから……。でも」
と言い、青いシートに覆われて部屋に横たわる奇怪な形状の死体を見下ろす。
「食道から直腸まで、きれいに内臓が抜き取られているのは理解できません」
「そうだよなぁ……」
死体は腹から鼠蹊部まで皮が開かれ、中身がすっかり抜き取られている。アズマヤと一緒にシートを捲り、その部分を再度覗き込む。もちろん現場に着いたときから割烹着(?)と手袋は身に着けている。殺害後数時間は経っているはずだが、まだ物凄いヘモグロビン鉄の臭気が辺りに立ち込めている。
「真剣に酒に酔ってたら吐きそうだな」
「なんだ、酔っ払ってたのか」
「その後の運動で結構抜けたらしいわ」
「いいわよね。あんた美人だから……。あたしなんか、若い男に相手にされないわよ」
「同じ歳じゃないの。でも化粧前の顔は一緒だけど桔梗子の方はモテないわよ」
「当時はそうだったよね。高校のときは……。でも、言い寄ってくる男は後を絶たなかったからモテてはいたんだよね」
「だけどアズマヤには恋人がいたじゃない。初体験の相手が……。わたしなんか、ずっと遅かったよ」
「恥ずかしい話を持ち出すな」
「凶器は何ですか」
崔本くんがそう問いかけるものだから、
「手際が良くて裁き方が上手いよね。天井から吊り下げてやったのかな」
痕跡の残った天井を見上げる。
「……ということで技術者が疑われるわね」
「そういうこと。真面目な作業員の方たちには申し訳ないんですけど他に結論はなさそうだ」
「食肉業者ですか」
「あるいはね。または屠畜の専門化。……ということは」
「業務用の包丁ですか」
「さあね、でもその可能性は高いと思う」
「ユーチューブで映像見たことあるけど、わたしらの仕事とは比較にならないくらい普通の職業で、しかもシステマティックだったわよ」
「でもさ、今の日本でさえ偏見が凄いところに勤めている人が犯罪を犯すとは考え難いな」
「日本古来の偏見『穢れ概念』で忌み嫌い、身分が低いエタ&非人にやらせたのが江戸時代。遡れば――っていうか被るけど――李氏朝鮮における白丁差別と申しましょうか」
「今は自治体管理の屠畜場じゃないと屠畜できないんだよ。衛生上の理由から……。でも練習することはできるか。田舎のセンもあるな。で、腕前を見せびらかしたくなったとか」
「まともじゃ考えられないわね。あんたの担当する事件って危ない愉快犯、多くない……」
「部長の趣味なんだよ。課長は交通課に戻したいと思ってんじゃないかな」
「被害者の身元は……」
話がズレてきたので崔本くんが調整する。
「一目見ればわかる部分を含めて……」
アズマヤが答える。
「この部屋の住人の女性で、二十八歳で、身長は一六四センチで、体重は四十三キロで、顔は潰されてるけど世間一般的には美人かな、今風の……」
部屋の向こうの頭骸骨を見やる。ま、そればかりじゃないんだが……。
「ところで、アズマヤがここに一番乗りだったの」
訊くと、
「地の利があったんだよね。ここって、ホレ、わたしの勤める科学警察研究所別棟から近いじゃない。しかも連絡が来たとき、まだ仕事をしていてさ」
答えが返る。
「研究熱心だね」
「論文を書いてたんだけど、そういうときって本当に他のことがしたくなって来るから……」
「犯人、何か残してない」
「ないね、まったく。不思議だよ。だったら死体だってきっちり処分しとけば犯罪自体が発覚しなかったのに……」
「身分証明書の類は置いてある。肉をこそげ取った骨も丸ごと置いてある」
遺体がある部屋の方向を振り返り、
「歯は始末したくせにね。……ということは、露見が目的か」
アズマヤに問うと、
「さあてね、それを調べるのは、あんたらの仕事……」
飄々と答える。
「確かに。じゃ、何かわかったら連絡頂戴……」
そう言い、崔本くんに声をかける。
「おい、次行くよ」
彼の様子を確認し、
「ところで、キミは大丈夫かい」
少しばかり気遣うと、
「すみません。一回、吐いてきます」
という返事。
「まあ、それが普通の反応だもんね。よく頑張ったよ。わたしゃ、先に車に乗ってるから……」
「わかりました」
応えて崔本くんがトイレに向かう。が、鑑識作業が終わっていないらしく部屋の外に追い出される。だからアズマヤから分けて貰ったビニール袋にえずいたようだ。可哀想なので彼の情けないしシーンは見ないことにする。わたしって優しい……。
「済みませんでした」
数分後、崔本くんが覆面パトカーまでやって来たとき、何処でしたのか、うがい済みらしい。おまけにキシリトールガムの匂いが香る。
「相変わらず紳士だな、キミは……。じゃ、運転を頼むよ。わたしもちょっと気持ち悪くなってきた」
が、吐くほどではない。
「ええ、もちろん運転はしますが、何処に向かいますか」
「一応、行ってみるか。自治体管理の場所に……。カーナビでわかると思うよ」
すると、すぐさま崔本くんが言われたことを実行する。