3.ヴィクト
ともあれ、人生において初めて自分の才能に疑問を持ったヴィクトが見つけだした救いが、セレスタであった。
より詳しくいうのならば、あらかた敵を駆逐した後の街中を――無謀にも――変装し一人お忍びで見回っていたヴィクトは、そこで震える少女を保護した。それが彼女だ。
一心に自らにすがる少女に一時の救いを得たヴィクトではあったけれど、はじめは立場ある身で見知らぬ少女を囲う気など全くなかった。
考えるまでもなく当たり前のことであった。
ヴィクトに初めての挫折を感じさせた有能なる周囲の者たちが、本来そのようなことを許すはずがない。
いずれ彼らをまとめ上げるべき責任を有するのだから、ヴィクト自身ももちろん自覚していた。
それがひっくり返ったのは、セレスタを保護した夜のことだった。
ヴィクトははじめ泣き疲れて気を失った少女を気心の知れた側近に預けることにした。親戚関係にあたる副官の青年とは幼い頃からの付き合いがあった。
彼はヴィクトの行動に呆れた顔をしたものの、きちんと対処してくれたようだった。念のためと医師を呼び寄せて具合を見せたのだ。
その医師が軍医でなかったのは、少女が軍属でないから当然のことであり。
それが在野の医師ではなく、戦いの難を逃れていた辺境伯のかつての侍医だったのは、直接医師の手配を指示した訳ではないといえ公爵家のヴィクトの意をくんだ副官が腕の良い医師をと変に気を回したからであろう。
ただの偶然により招かれた老医師は、ヴィクトに名乗ることなく眠ってしまった少女の素性を知っていた。
やつれた様子はあるものの目立った外傷もなく、おそらくは心労性の疲れで深い眠りに落ちている以外問題なしと老医師はまずは太鼓判を押した。
しかし、その直後に亡き辺境伯のご令嬢と明言された少女にヴィクトと副官は困惑した。
彼女が目覚めた後で話を聞き、家族を捜索してやろうという当てが外れたからだ。最悪家族が全員失っていたならばしかるべきところに預ければ良いだろうという目論見も、全く意味をなさなかった。
戦いに出た辺境伯が討たれたことも、後の守りを固めていた辺境伯夫人があらかじめ内部にいた侵入者たちの刃に倒れたことも、改めて確認するまでもない事実だった。
混乱の中一人娘が数人の護衛と逃れたことは耳にしていたが、混乱の中はぐれたという護衛の証言もあり生存は絶望的だと思われていた。
なにせ、少なくない領民も犠牲になっていたのだから、一人きりで町に取り残された貴族の少女が生き抜けたとは思いがたかった。
とりあえず口止めした老医師を帰し、少女が昏々と眠る間にどのようにすべきか考えたが、若きヴィクトと副官ではとるべき方策をろくに思いつきもしなかった。
民ではなく貴族籍の少女を簡単に放り出すわけにはいかないことだけははっきりしている。しかし当時、彼女の立場は実に微妙だった。国の東の守りを任された辺境伯は善戦したものの、最後には討たれていたからだ。
いかばかりか王家の血を引く家柄とはいえ、期待された任を果たせず名誉の落ちた敗軍の将の娘は誰もが持て余すことは目に見えていた。辺境伯が生存していればいずれ汚名を注ぐ機会も訪れたかもしれないが、死した者にはもはや不可能であった。
何ら方策を見いだせないまま、とにもかくにも目覚めた少女の前に本来の姿を見せたヴィクトは――紆余曲折を経て最終的に、市井で彼女を囲うことに決めた。
いくつもの屁理屈をこじつけた、つぎはぎだらけの結論だった。
例えば、セレスタが頑として素性の一切を語らなかった故に、その心の傷の大きさを慮ったふりであえて詳しく尋ねることを避けた。
はじめ彼女が心を開いたのが変装後のヴィクトのみであったことを盾に、うまく周囲を言い含めた――今思えば、人の上に立つ者としてそのような采配こそがヴィクトに望まれていたことなのだろう。それに気づかぬまま彼は遺憾なく私的にその才を振るった。
縋ってくる頼りない少女が崩れかけたプライドを持ち直してくれた故に、手放す気にはなれなくなったのだ。
ヴィクトは後ろ盾をなくしていた少女を首尾よく囲うことにした。両親に先立たれた哀れな辺境伯の娘は敵を駆逐した功労者の将が保護しているのだ――と、表だって体裁を整えた。
本来であれば亡き辺境伯の縁者――彼女の親族が後見となり引き取るのが筋であっただろう。しかし親族には微妙な立場にある娘を中傷から守りきれるほどの強さがなかったためか、あるいは面倒を避けようとしたのか、公爵家の後継の意向に諾々と従ってくれた。
対外的にハイライト家の令嬢はマードラー家縁の別荘にて三年ほど療養しているということになっている。
その間にヴィクトは出来うる限り亡き辺境伯の汚名を濯いだつもりだ。療養の名目で引きこもっていた娘――つまりセレスタも、もう年頃。
戦乱の悲劇から回復した令嬢が表舞台に舞い戻り、故郷のために尽くした保護者役の貴公子と結ばれるという筋書きは、領民に好意的に受け入れられるだろう。
貴族の中には文句を付ける者もありそうだが、おそらくは国王陛下もこの縁談には前向きになるはずだ。
国境の要を代々治めていたハイライト家の当主夫妻は戦に倒れ、残された令嬢が療養中とあって現在領地は誰の手にもなく宙に浮いている。
戦乱の混乱を収める意味もあって今は仮に王領として代官が派遣されているが、いずれ確かな者へ下賜されるだろう。
陛下の考える候補者の中には戦功あるマードラー家の名も含まれるはずだ。国境の守護を任せるに足る家柄はさほど多くはない。
領民に慕われるハイライト家の娘と縁付けば、その中で一歩抜きんでることができるだろう。
マードラーは充分な領地と財を持つので反対する者も多かろうが、いずれ子にハイライト辺境伯家を再興させるとすれば押さえることも不可能ではない。
自らのプライドを立て直してくれた少女を手放すことが出来ないと自覚した時から、ヴィクトは自分の望む未来を手繰り寄せるよう充分に根回ししてきた。
領地が増えるのはいいとして復興途上にある遠隔地では……と渋い顔をした両親は、諸手を上げてというわけではなさそうだが、一応はヴィクトの意向を認めてくれた。
それで後継者がよりやる気になるのであればよしといったところだろう。
ただ、一つだけ問題があるとすれば。ほぼ外堀を埋めているにも関わらず、本丸であるセレスタ当人には何も行動に出ていないことだった。
三年間共に過ごし、ヴィクトは充分にセレスタに慕われていると自覚している。だが未だ彼女は自らの出生を明かすことなく、それは彼自身も同様なのだ。
二人の間には、一応の信頼関係はある。だが、お互い明かさぬ秘密があるままではその信頼は確実とは言えまい。
ヴィクトがすべてを明かせば、何かが確実に変わってしまう。
どのようにセレスタに話をすべきかとヴィクトは約束の日までじっくり検討することにした。