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1.セレスタ

 あらすじに書いたとおり、シリーズものの3作目です。

 できるだけ前作未読でもわかるように書いたつもりですが、読んでいただいた方がわかりやすいと思います。

「私、食堂で働きたいと思うの」

 ある朝、セレスタは恩人にして兄と慕うヴィクトに切り出した。

 常と同様に朝食はパンとスープ。準備を整えてから兄を起こし、食卓について神に祈りを捧げてからの食事の途中でのことだ。

 日頃家事と食事の用意に伴う買い物以外をしないセレスタの話はいつも代わり映えがしない。ほんの少しずつ違うだけの話であっても、ヴィクトはいつもにこにこと相づちを打ちながら聞いてくれる。

 だというのに。

 いつもならぬ言葉をセレスタが口にした途端、ヴィクトの動きは凍り付いた。

 堅いパンだというのに几帳面にちぎって上品に口に運ぼうとしていた手が動きを固め、舞台の幕が下りるかのようにさっと笑顔が消えていく。

 いつでもにこやかなヴィクトの笑みが引っ込むと、縁の太い眼鏡の奥の優しい青い瞳までどこか冷たく見えた。

「どういう、こと?」

 ヴィクトはパンを皿に戻してから、掠れた声で問いかけてきた。

「えっと……どういうって」

 普段とは違う彼の様子にセレスタは知らず緊張してしまう。視線をあちこちに彷徨わせて戸惑っていても、ヴィクトがいつもの調子に戻ることはない。

「あの、えーと」

 ごくりと息を飲み込んで、セレスタは意を決した。

 よく買い物にいくお店には時々お手伝いの娘さんがいて、仲良くしてもらっていること。その彼女が今度結婚すること、お相手は少し離れた町に住んでいること。

 彼女が普段働いているのはセレスタの家からも近い警備隊の側で営業する食堂で、今彼女の次の従業員を捜していること。

「よければ後釜にどうって、言われたの」

 じっと自分を見るヴィクトを見つめ返して、セレスタはなんとか詳細を説明した。

 ――セリィならきっと店長も気に入るし、よく働いてくれそうだから。

 三年間の王都暮らしで得た数少ない友人の言葉を聞いて、セレスタは考えた。文句も言わず縁もゆかりもない少女を養ってくれているヴィクトのことを。

 守秘義務があるとやらで詳しくは聞かされていないけれど、さる貴族の屋敷で働いているという彼の給金は本人曰く「二人で暮らすのに充分以上ある」のだそうだ。

 だからか、ヴィクトはセレスタに家のことだけやればいいと言ってくれていた。優しい彼のことだから、故郷を失い天涯孤独になった少女に対する思いやりあってのことなのだろう。

 それにこれまで甘えてきたけれど、いつまでもこのままではいけない。

 以前はまだ幼かった少女は、友人がごく自然に職を斡旋してくれる程度には成長したのだ――セレスタは今更ながら、自分が大人に近づいていることに気付いてしまった。




 これまでの人生で働くということを、セレスタはほとんど考えたことがなかった。

 なぜならば両親や故郷を失うという不幸に見舞われるまで、セレスタはとても恵まれた幸福の内にあったからだ。

 恩人であるヴィクトにさえもセリィという愛称しか伝えず自分の出生を秘していたが、セレスタの生家であるハイライト家は代々辺境伯の地位を受け継いでいた名家だった。

 東の国境を任され、重要性から時折王家から嫁する姫がいるほどの家柄だと言えば、それはいかほどのものであったのか――詳しく学ぶ以前に両親を失ったセレスタには正確にはわからないのだけれど。

 兄弟のいないセレスタは、辺境伯唯一の後継としていずれは武芸に秀でた婿をとることが望まれていたことくらいは認識していた。

 そして、夫の留守を守る際に、領地の一切を取り仕切る知識を得ることも。

 セレスタの道は他にはなく、だからこそ将来のことなんて考えたこともなかったのだが――。

 三年前、隣国の侵攻に遭い、セレスタはすべてを失った。

 国境を任されながら命を落とした辺境伯、つまりは父の名誉は地に落ち、今セレスタの手に残るものは何もない。

 あるとすれば、自らの命とヴィクトとの絆くらいだ。

 今でも親族を頼れば救いの手が差し伸べられるのかもしれないけれど、それでヴィクトとの縁が切れてしまうのは嫌だった。

「そろそろ、私も外で働いてもいい年じゃないかなと思って」

 いずれは独り立ちできるように――頭の片隅で考えても、今はまだそんなことは口にしたくはない。

 難しい顔で黙り込んだヴィクトにセレスタは言い添えた。

「……それは……いや、セリィ、ごめん。僕は今、ひどく動揺している――ちょっと、冷静ではいられない」

 言葉通り動揺しているのか、ヴィクトの声はいつもより硬質だった。

「僕は、すぐにはそれを許容できない。もっと時間がある時に、ゆっくりと話をしてもいいかな?」

「あ、うん。もうすぐお仕事に行く時間だもんね」

 説明した以上に詳しく語ることはセレスタには思いつかなかったけれど、自分を養ってくれているヴィクトがゆっくりと話したいというのだから否やはない。

 本当の妹のようにセレスタを慈しんでくれる優しくて思いやりのある兄は、きっと色々心配なのだろう。

 次の休みは三日後だからと言うや、ヴィクトが朝食も途中なのに席を立って自室に戻る後ろ姿をセレスタは笑顔で見送った。


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