ヤンキー桃太郎と転校生
桃太郎の中学生生活も残り数ヶ月となりました。
そんなとき、桃太郎の学校に一人の転校生が来ます。
梅子も無事進路を決定した頃、裏山のもみじが色づき始めた。桃太郎たちは、合唱コンクールに向けて熱心に練習していた。
「桃太郎は、音程も声も良いけど声を出しすぎ。ソプラノが聞こえなくなる。猿丸は、音程が取れないから桃太郎の声を聞きながら歌って。」
と、亜紀が言う。
朝の会の時間になる。チャイムと共にミル先生が転入生らしき女子と一緒に入ってくる。クラスはざわつく。
「おい、猿丸お前またナンパするなよ。」
「あー、オレタイプじゃないんだ。」
と、生徒たちはいつものようにじゃれ合っている。
「私たちのクラスに、新しい仲間が来ました。村瀬友美さんです。」
クラスの皆は首をかしげた。
・・・友美って、オレたちが小6のときに確か千葉県に転校していった子じゃなかったかな・・・
桃太郎は思い出し、
「先生!その子オレたちが小6のときに千葉に行った子ですよね?」
と言う。ミル先生は転校生に言う。
「では、友美に自己紹介をしてもらいます。」
友美は、
「小6のときまで桜崎小学校で皆さんと一緒に学んでいました。病気を治すために両親と離れて生活していましたが、高校受験のために福岡に戻ってくることになりました。わからないことも沢山ありますが、教えてくださいね。」
そういうとニッコリと桃太郎たちの顔を見た。
ま、待てよ・・・あのときの友美は、陰気で俺たちが話しかけても下ばっかり向いてて、最初に見たときにはわりと可愛いと思ったのに憎たらしいからいじめてやりたくなったんだが・・・友美・・・
いつの間にか背筋が伸びて、ハキハキと話すようになって。
友美に一体何があったんだろうか・・・?
ミル先生は言う。
「友美の席は、亜紀の後ろ、桃太郎の横にしましょう。桃太郎、亜紀、よろしくね。」
亜紀が、
「友美、こっちよ。」
と、手を挙げる。桃太郎は教室の隅にあった使っていない机を運んで友美の席を作った。
友美は、荷物を持って席についた。
桃太郎は、早速友美に話しかける。
「友美、なんか雰囲気変わったなー」
「桃太郎こそ、大人っぽくなって」
友美は微笑んだ。
「桃太郎は何処の高校を目指すの?」
「俺は咲陽高校だ。 俺の友達はみんなそこを受ける。」
「私も!桃太郎、一緒に頑張ろうね。」
「おー」
そこへ亜紀が話しかける。
「友美、私も覚えてるよね?」
「うん。学校に行けなくなった私のこと最後まで気にかけてくれた。よく学校の帰りに寄ってくれてたけど、朝になると頭が痛くなって亜紀の好意に答えられなかった。あのときはごめんね。」
「もう、4年も前のことじゃない。気にすることないって。」
「ありがとう。私はもうダイジョウヴイ」
友美はVサインをした。
「友美、お前って面白いなー。」
桃太郎が言う。
「あら、今頃気づいた?前からこんなだったのよ。」
「だってお前、俺と絡んでくれなかったし。面白いなんてわからねえよ。」
「そうかも」
二人は笑った。
・・・友美、いやこいつは俺の知っている友美じゃない。こんなに、話しかけたらぽんぽん返ってくるのは友美じゃない。そして、近くで見たらこんなに笑顔が可愛いやつだったとは・・・
「桃太郎、どこをじっと見てるんだよー」
猿丸が笑って桃太郎を見る。友美が言う。
「猿丸、よろしくね。」
「おー」
一時間目は、数学だ。友美のいた中学校は福岡の中学校よりさきに図形を習っていたが、二次関数がかなり遅れている。
「友美、俺が先にグラフ書くからそれを写せ。」
桃太郎はいつになく、友美のために先生の話もよく聞いた。
音楽の時間になった。リーダーの亜紀が、友美に聞く。
「合唱コンクール、ソプラノでいい?全体の中でソプラノの声が小さいの。」
友美は
「OK」
と、言った。
音程も良く、声が通るのでソプラノは友美の歌声を聞くことで自信をつけ桃太郎たちのテナーに負けない声が出せるようになった。友美の母親はピアノ教師で、友美は幼少のときからピアノを習っている。そのため音楽には特に長けているのだ。桃太郎や周りの友達もそれとなく知っている。
昼休みのサッカーでは、これまで男子の中で亜紀が紅一点で遊んでいたが、友美が来てからは友美と桃太郎の絶妙なパスワークが見られるようになった。
「友美、お前は今日から俺のダチだ!」
桃太郎は嬉しくて仕方がない。
授業が終わって、桃太郎が友美に言う。
「俺が通っている塾に、一緒に行かないか?桜崎修学館ってとこなんだけど、猿丸も亜紀も梅子も行ってるしそんなに金もかからない。授業の遅れも取り戻してくれるし。」
「うーん、見てみたいな。」
「なら、今日英語と理科の授業があるから見学に来いよ。」
二人は、塾の前で待ち合わた。
友美と桃太郎は落ち合った。
「先生には、話しておいた。友美が気に入ったら親に話して入塾するといいよ。」
二人はは塾に入っていった。教室はまだガランとして、二人は一番乗りのようだった。塾の先生が入ってきて友美に話しかける。
「君が桃太郎の話していたお友達ですね。」
「はい。」
先生は続ける。
「授業の遅れなどがあるようですが、受験というものは必要最小限の知識を身につけて、問題を解いていく力をつけることです。真剣にすれば難しいことはありません。私たちはそのお手伝いをします。」
授業開始の十五分前には、殆どの生徒が席について英単語を覚えていた。チャイムとともに、先生がテスト用紙を配る。
授業は生徒が集中する時間と、先生が外国旅行に行った時の面白い話をする時間、そして身につけた知識を使い難しい問題を解く時間など深みのある授業だった。
授業が終わり、桃太郎が聞く。
「どうだった?」
「面白いね。」
と、友美が答える。そして、
「今日、お母さんに話すね。」
と、言った。
その次の日、桃太郎が放課後猿丸と二人で帰っていると誰かの保護者らしい人が桃太郎に近づいて来た。そして、
「私、村瀬友美の母です。あなたが桃太郎さん?」
と言った。
「はい、そうです。」
と答える桃太郎。
「友美が昨日お世話になったようで。友美は、学校でどうなの?」
「はあ?明るくて面白いですけど。」
「そうですか。友美は小さいときから手のかかる子で。そうですか。良かったです・・・」
そこへ、友美が来た。
「ちょっと、お母さん!いい加減にしてよ。私の行くところに現れるの止めて。」
「お母さん、友美のことが心配でつい。」
友美の母親が言うと、友美は母親の手を引っ張って走り去っていった。
桃太郎は言う。
「どこの母ちゃんも子どもは可愛いよな。うちの母ちゃんも、俺が小さいときから溺愛で俺がガキ大将だって、鼻高々。俺が隣の子どもを泣かしたら家庭菜園の野菜もって謝りに行き、陰ではよくやったって褒められてた。俺が、隣の西中に喧嘩しに行って坊主にされたときも学校に抗議しに行った。なんか、嫌なんだけどさ、俺に対する愛情なのかなーって思ったりするんだよ。」
桃太郎がそう言う。
猿丸は、
「二人とも親に可愛がられてるなー。俺なんか金だけ渡されて晩御飯も作ってもらえねーぞ。小さいときからそうなんだ。ひどいときには、金も渡してもらえねー。放任も良いところだ・・・」と溜息をつく。
秋も深まり、合唱コンクールを目前に控え桃太郎たちはそれに向かってまっしぐら練習をしている。
ところが、本番を三日後にしたその日。
亜紀のところにクラスのピアノ伴奏を担当している萌から電話がかかってきたのである。
「亜紀ちゃんごめん。昨日から体の節々が痛くて目が覚めたら40度熱があって病院に行ったらインフルエンザだって。一週間は学校に行ってはいけないって。」
「えー!」
インフルエンザになると、生徒は出席停止になる。そしていかなる事情があっても学校に来ることはできない。たとえ合唱コンクールのピアノであっても。
幸い、このクラスにはピアノの達人が転校してきている。翌日、亜紀は友美に合唱コンクールのピアノ伴奏を頼んだ。
「お願い、この難しい曲をピアノですぐに弾けるようになるのはこのクラスには友美しかいないの。」
「あうっ 友美のピアノ見てえぞ。」
桃太郎が言う。
その時、友美の顔が引きつったようになった。
「ピアノは弾かない。」
みんなは驚いた。
「おいなんでだよ。みんなが困ってるんだ。協力してくれたっていいだろう。」
桃太郎が言った。
「私、二年前からピアノ弾かないって決めたの。」
ピアノを弾かないって・・・
友美わからねーよ。
そこへミル先生が入ってきた。そして言った。
「ピアノだけどね。私にさせてもらえないかしら。音楽の先生に聞いたら是非してくださいって言われたの。そしてね、私がピアノしたからってクラスの順位は関係ないって。合唱コンクールの曲、好きだから家でいつも練習してたの。」
桃太郎は、また目を丸くした。
なんだ?友美のピアノが無理だと思ったら今度はミル先生が出てくるのかよ。ミル先生がピアノ弾くなら俺俄然張り切っちゃう。
それからミル先生のピアノを交えた練習が始まった。
友美の澄み切ったよく通る声にソプラノのみんなの声が合わさり、亜紀たちのの安定した音程のアルトのハーモニー。みんなの声を聞きながら音量調節する桃太郎のたちのテナー。完成した大人の声のバス。ミル先生のピアノが加わり、桃太郎たちは優勝した。
「亜紀、合唱コンクール実行委員お疲れ様。」
みんなは口々に言う。
しかし、桃太郎は友美がなぜピアノを弾くことを嫌がったのか納得いかなかった。
「何であんなこと言ったんだ?」
「ピアノはウザイのよ。」
「?」
友美は続ける。
「小さい時からずっとそう。あいつにピアノをさせられて私は玩具にされてる。」
「あいつって誰だ?」
「私の母親よ。」
友美の母ちゃんは友美に何をしたんだ?確かに友美の母ちゃんはピアノの先生だから、母ちゃんをウザイと思ってピアノを弾かねぇのかな。
そのことがあって一週間後。
友美のお母さんは、スクールカウンセラーの小場先生と約束をして桜林中学校の心の相談室でカウンセリングを受けることになっていた。
友美のお母さんは話す。
「友美は一週間、家にいる時は部屋に鍵をかけてこもっています。ご飯は、部屋に持って行って食べています。出てくるのはトイレとお風呂と洗濯物を取りに来る時だけ。お弁当の日は、私が作ったお弁当が気に入らないのか自分で弁当を詰めていきます。友美は小さい頃から私の言うこと聞くいい子だったのに、こんなに私を拒否するようになってしまいました。先生友美はどうしたら元の友美に戻ってくれるのでしょうか?」
小場先生は、友美のお母さんをじっと見て言った。
「お言葉を返すようですが、親の言うことを全て聞く子どもなんていませんよ。もしお母さんに、お子さんが反抗したならば、それは喜ぶべきことです。お子さんにきちんと自我が育っているっていうことですから。」
その頃、海岸沿いのテトラポットの防波堤を歩いている二人がいた。友美と桃太郎だ。
「友美、塾のことお母さんに話したのか?」
友美は桃太郎に聞かれ、仕方なく答える。
「まだなの。あの時から私はお母さんと一言も口きいてないの。」
「お母さんと何があったんだ。」
と、桃太郎。友美は話す。
「私が小さい頃ね、私は構音障害でカ行の音とかが発音できなかったらしい。それで専門家に診てもらってた。その時からかな、お母さんは私のことをいつも心配していた。その心配が高じて、私にいつも構うようになってしまったの。幼稚園の時にも、時間さえあれば私の様子を見に来てた。小学校の時には、私が遊ぶ友達について口出ししてた。一年生のときに仲良くなったあこちゃんって子と「遊んじゃいけない」と言われた。あこちゃんは面白いこと言う子で好きだったのに。通級に行っている子だからダメだって。あこちゃんが一人で帰っているのを見るのが辛かった。そしてやっぱり、学校での私の様子をいつも見に来てた。一番嫌だったのは、無理やりピアノを弾かせられたこと。お母さんは、音大を出てピアノの先生になった。そして高学歴のお父さんと結婚した。自分が、ピアノを習って高学歴の男の人と結婚できたことを誇りに思ってる。だから、私にもそれを求めよとした。私はピアノなんかより、友達と外で遊びたかった。」
「そうか、友美は遊びたかったんだ。わからなかった。」
桃太郎が言うと、
「私自身がわからないのに、私以外の桃太郎にわかるわけないじゃない。」
友美は微笑んだ。
「私は自分がどうしたいのかわからなくなって、過呼吸の症状が出るようになってしまったの。それで心療内科を受診したら、親子共依存だと言われたの。」
「親子共依存て何だ?」
桃太郎は聞いた。
「みんなお母さんにお世話して育ててもらっている。お母さんたちもみんなを育てることに喜びを持ってると思う。親子には多少の依存関係はあると思う。でもその依存が度を越すと、子どものことをすることに病的なまでに依存してしまう。これを親子共依存って言うらしいの。」
桃太郎は真顔で話を聞いている。
「どんなに病院に通っても私たちの病気は治らなかった。だから、心療内科の先生が千葉にある心身症の生徒が入院先の病院から通える病弱児特別支援学校小学部を紹介してくれたの。どんなに母親の愛が深くても、千葉までの距離があれは及ばないだろうと勧めてくれたの。私はそこで鍛えられて強く元気になることができた。でもお母さんは、しょっちゅう手紙をよこしてきてくれた。全部スルーしたけどね。」
「そっか、友美の母ちゃんはまだ病気が治ってないんだな。」
そして、あのとき友美がピアノを弾くことを頑なに拒んだ理由が理解できた。
夕日が水平線を緋色に染め、そして二人の顔も黄昏の中に溶け込んでいた。防波堤の上を歩いている二人は、太めのズボンを履いている桃太郎と千葉の中学校の制服を着ている友美だとかろうじてわかった。
翌日の午後、桃太郎の母親がニヤニヤしながら言った。
「桃太郎や、おめでとう。彼女ができたんだね。昨日防波堤の上を一緒に歩いていたと、隣の中村さんから聞いたよ。」
「違うよ。勉強のこととか家のこととか相談に乗ってただけだよ。」
二人のことは町中の噂になっていた。
そのとき、ピンポーンとインターホンが鳴った。友美のお母さんだ。
「こんにちは村瀬さん。どうぞお上がりください。」
そういう桃太郎の母親に、
「いえ、ここで結構です。急いでますから。」
と言う。そして、
「お宅の桃太郎さんが、うちの友美と仲良くなってからというもの・・・うちの友美は私に反抗してばっかり。友美は、私の言うことを聞く良い子だったのに。桃太郎さん。お願いです。うちの子とはもう絡まないでください。」
と言う。
「絡まないでって言ったって・・・友美だって友美の意思で俺と絡んでいるわけで・・・」
そういう桃太郎に、
「あなたは大人の言うことを聞かずに好き勝手に生きてる子どもなのね。あなたみたいな人と友美に付き合って欲しくないわ!」
と、言って帰ってしまった。
桃太郎の母親はカンカンに怒った。
「桃太郎。あんな変な親の子どもなんかこっちが願い下げよ。」
桃太郎は、
「ふうっ」
と、溜め息をついた。
それから、学校見学の日を挟み三日間の飛び石連休があったので桃太郎と友美は会うことがなかった。そして、連休の最後の日、桃太郎が試験勉強をしていると・・・
猿丸が桃太郎の家に走ってきた。
「おい、大変だ。友美が家でバットを振り回して家中の物を壊してるんだって!友美、今にも母ちゃんをボコボコにせんかの剣幕だってよ。隣の夏海から電話がかかってきた!」
桃太郎は駆け出した。友美の家に着くや否や、
「おい、止めろよ。」
友美が言う。
「こいつは、桃太郎に私と会うなと言いに行った。桃太郎はそれから私のところに来なくなった。こいつは、私が小さいときからそうだった。だから、私は友達が少なかった。私が病気になったのはこいつのせいだ。この前のテストでも、咲陽にはとてもじゃないけど行けない結果だ。それもこれも私が千葉に転校しないといけなくなったことが理由だ。全部こいつのせいだ!」
そう言って、母親に詰め寄る。
「友美ちゃん、止めて」
友美は、母親をどんどん追い詰めて行く。
母親は後ずさりする。
広い居間を後退していく母親。
母親を見下ろしながら迫っていく友美。
母親の真後ろに壁が来たその時
友美は拳を
振り上げ
振りおろした
この刃傷沙汰が友美の心にまたもや傷を残すのか・・・
しかし、
友美の拳の下には桃太郎の腕があった。そして、桃太郎の体は友美のお母さんを覆い被さるようにして守っていた。
「痛えなー 友美の馬鹿力」
「桃太郎、大丈夫?」
友美が心配する。
「俺じゃなかったら、骨折してただろうな。」
そして、続ける。
「友美、こんな弱い母ちゃん殴るなんて卑怯だぞ。もう殴るな。俺は、大人がお前と絡むなって言ったってそんなことに従ったりしない。俺は俺の考えで動く。お前だって、すでに自分を取り戻して自分で考えて行動している。友達が少なかったり、テストの点数が悪かったりするのを母ちゃんのせいにするな。お前がやりたいようにすればいいだけだ。俺は、お前と咲陽に行けるようにお前にも協力するし、俺も頑張る。お前も頑張れ。」
友美の表情が緩んだ。
その時、友美の父親が帰って来た。そして、友美のお母さんに言った。
「お前の連絡を受けて帰って来たが、何だ!このざまは!お前が友美を甘やかすからこんなことになったんだ。」
と、友美のお母さんを睨み付ける。
友美が言う。
「お前にそんなこと言う資格はない。お前がこいつを独りぼっちにするから、こいつは私に依存してきたんだ。お前は休みの日も会社の接待とかで家にいない。そうでないときも、こいつと話しているところを見たことがない。この夫婦はとっくに終わってる。」
「友美」
パン!
父親が友美の頬を殴る。
友美は駆け出す。
もう、こんな家には帰らない。
友美がいなくなった!!
桃太郎、猿丸たち、そして両親は友美を探す。
ミル先生のところにも、友美がいなくなったと連絡が入った。
みんなが町中を探し二時間が経ったとき、ミル先生の携帯電話が鳴った。桃太郎のお母さんからだ。
「友美さんはうちでお預かりしています。事情を察しまして、私が友美さんにうちで休むように話しました。友美さんも、家に帰らなくて良いのならここにいると話しています。友美さんの親御さんが良ければうちでお預かりしたいのですが。」
と、言った。
桃太郎の母親は、桃太郎を甘やかしてはいるが地域の世話を良くする人でこういったことへの面倒見も良かった。
ミル先生は、友美の両親を説得した。
「今回は桃太郎のところにお世話になりましょう。この状態では、友美さんも危険です。」
友美のお母さんは、普段はミル先生であれ誰であれこんなことを聞き入れる人ではなかったが、娘にバットを振り回され自信をなくしていたためか
「では、お世話になります。」
と、言った。友美の父親もそもそも友美の教育のすべては母親に任せていたので異論はなかった。
翌日、友美はミル先生と話した。
黄色や橙色に色づいた木の葉は秋の終わりを告げ、保健室の窓からは西日が差し込む。
「私は、千葉で三年間過ごして自分を見つけることができました。そして、ここで桃太郎たちと出会ってこの人たちと一緒に過ごすことが楽しくて、この人たちとずっと一緒にいたいと思っています。でも、母と一緒に暮らしていると私はまた病気になってしまう。」
ミル先生は友美を見た。友美は続ける。
「私は、千葉に戻りたいです。千葉の特別支援学校には、出戻りの生徒もたくさんいます。私が戻っても皆は温かく迎えてくれると思います。だから、そこで卒業式を迎えようと思います。そして、福岡の寮のある高校を受けてミル先生や桃太郎たちのところに戻って来られたらいいなと思っています。」
ミル先生は答える。
「良く考えたね。そして、きちんと自分の言葉で話せた。お父さん、お母さんにもちゃんと話そう。」
友美が笑顔になる。
12月の金曜日の朝、ミル先生からクラスのみんなに話があった。
「友美が、ご家庭の事情で千葉へ戻ることになりました。短い間でしたがみなさんと強い絆で結ばれたんじゃないかな。今日は、友美がいる最後の日です。楽しく過ごしましょうね。」
・・・友美が来て、本当に楽しかった。昼休みのサッカーも亜紀の他に女の子が入ったし、国語のディスカッションでは友美がいろんな知識を提供してくれてディベートで優勝したし、合唱コンクールも女子のソプラノが強くなった。友美は本当につらい状況だったけど一日も休まず学校に来た。友美、ありがとな・・・
そんな気持ちで桃太郎は過ごしていた。
放課後クラスで友美のお別れ会をした。にわかに作った色画用紙の可愛い色紙が渡された。たくさんの思い出や夢を語り、お別れ会は夜の八時まで続いた。
翌日の朝、友美は飛行機で羽田へと飛び立つ。桃太郎は福岡空港まで見送りに行った。空港にもクリスマスの装いがされ、二人はクリスマスツリーの近くにいた。
「友美風邪ひくなよ」
「風邪なんてひいてる暇はないわ」
「桃太郎勉強頑張ってね」
「言われなくてもやるよ」
桃太郎の胸に熱いものがこみ上げ友美の目にも涙が浮かんだ
「三ヶ月したらまた会える」
「うん」
「じゃあね」
「ああ」
友美ははゲートをくぐって行った
飛行機は見る見る小さくなり見えなくなり
だだっ広い空港の敷地と空だけが残っていた
それから2週間後
友美から桃太郎に手紙が届いた。
拝啓 今年の千葉の冬は思いのほか寒くホワイトクリスマスになりそうです。話に出ていた亜紀たちとのクリスマス会、楽しんでください。
あのとき泣きそうで言えなかった「ありがとう」を伝えたくて手紙を認めています。桃太郎そして皆ががいたから、私は母に自分の希望を伝えることができました。
母の思いを振り切ってきたことへの不安も大きく、母のことも心配ですが自分の考えを自由に表現できて、自由に行動できることの幸せを実感しています。
千葉の病弱児特別支援学校でも、進路の話があります。勉強はできるのに心身の疾患により通常の学校では困難で、通信制や単位制の高校を選ぶ友達もいます。先生方は焦らずに等身大の自分を見つけていくことを話されます。人生を鉄道での旅にたとえるなら、東京から北海道までを新幹線で速く移動する人もいます。各駅停車でゆっくりと移動する人もいます。山手線外回りで、いろんな駅で降りていろんな所の景色を見ながら、ゆっくりゆっくりと進んでいく旅があってもいいと思います。私は心身症になったことで、ゆっくりと立ち止まり、自分の人生について考え自分の知らない世界があることも知りました。こちらにも私と似た悩みを持つ友達がたくさんいますので、残り三ヶ月をここで楽しく過ごしたいと思います。桃太郎も体に気を付けて楽しく過ごしてください。ミル先生や亜紀たちによろしく。
最後に、
桃太郎のクラスでずっとみんなと一緒に過ごしたかった
村瀬友美より
キツネの母親は、子どもがある程度大きくなり自分でエサが捕れるようになると自分の縄張りから追い出すそうです。まだ甘えの残っている子ギツネは、母親にすがろうとしますが、母親は凄い形相で子ギツネを睨み付けます。
ヒトは生物学的には中学生ぐらいで、早い子は小学生ぐらいで大人なのでしょう。しかし、現代の日本の社会は中学生から大学ぐらいまでモラトリアム(猶予)の時期があり、大人でもない子どもでもない・・・という状態でいられます。
そして、海よりも深い愛情を子どもに寄せる母親があり、それが依存という形で表れたとき、大人でも子どもでもないその子は反抗という形をとるのかも知れません。ヒロインは、心療内科で治療を受け、転地療養するところにまで及んでいるが、多かれ少なかれ私たちの現実に存在し、むしろ、現実にはバットで父親を殴ったりリストカットをしたりと小説よりもなお奇をてらう事例があります。
過干渉で育った知り合いはこう言いました。
「過干渉とネグレクトは同じ結果を呼ぶ。子どもの人格を無視していることには変わりない」と。この言葉も、作中の友美の語った言葉と同じことですね。
心身症という病気は、現代社会の仕組みだからこそ存在するのでしょう。福岡にも青春期内科や心療内科があり、そこから病弱児特別支援学校に通っている児童・生徒もいます。病弱児の特別支援学校は半年以上の療養が必要な児童生徒に学業を保障するために設けられた学校で、団塊世代の方が子どもの時代には結核や喘息、心臓病などの児童・生徒がほとんどだったのが、ここ2~30年は心身症の児童・生徒が半数以上通うようになっています。時代だな・・・と思うのです。
病弱児特別支援学校で専門性ある先生方に教育を受け、仲間たちと病気について理解しあうことでいわゆる健常者としてのみ生きてきた人よりもたくましくなって社会に出ることも少なくない。
弱さや障がいを乗り越えて生きる姿。強さを描きたいと思う。