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1日目③

「うっ……ぐぅっ……!」

 叶湖がマンションの自室へ戻ると、玄関を開けたところで、くぐもった声と荒い息づかいが耳に入った。

「あらあら、もうそんな時間ですか」

 口の端をつりあげて笑いながら、叶湖がリビングの扉をあける。

「っ!」

 驚いたように見開かれた男の目が叶湖を射抜き、叶湖の姿を認めると、すっと細められた。




「お前、かぁっ! ……がっ」

 声を上げたところで、傷が痛んだのだろう、声をあげて呻く。

「あら、バレちゃいました」

「俺に……なにをっ!」

 叶湖はそんな男を放置して、いつもの薬棚へ向かうと、今しがた入手した瓶を閉まっていく。それから、同じ棚から瓶を2本と、それから、羽のついた注射針を1つと2種類のパック、2本の管を取り出して男の側へと戻る。




「少しの間、動かないでもらえます?」

 男が目覚める前に手入れをしていた注射器を手に取ると、液体を吸い取り、空気を抜いて、男に微笑んだ。

「……お前っ」

「はい、刺しますよー」

 男の言葉など無視して、叶湖は続けざまに2本の注射を男に刺す。




「っ……?」

「あ、痛み消えました? 念の為に持ってた毒薬の解毒剤なんですけどね」

 叶湖があっさりと呟いた言葉に男が再び鋭い視線を叶湖へ向ける。

「そんなに睨まなくても、同じものも注射しといたんで」

 叶湖が2本の注射器を男の前に突き出すように見せると、男は機嫌悪そうに横を向いた。

「では、食事と下のお世話を解決しますか」

「っ……」

 叶湖が握った2本の管を見ながら男が叶湖を睨みつける。




「それとも約束してくれます? 私に危害を加えない。それから、私が満足するまで私と遊んでくれる、と」

「したところで……」

「えぇ、したところで、信じませんけど」

 そう呟いた叶湖の身体を、男の足が攫った。

 横になった状態から放たれたと思えないほど、的確な足遣いが、男の側にしゃがんでいた叶湖の身体を凪ぎ、叶湖はそれに抗えずに横倒しになる。




 横になった叶湖の頭の先で、ごきり、と音がした。

 見れば、手指の関節を外した男が手錠を抜けだし、間もなく、叶湖の身体に馬乗りになって、その細い首へと指をかけてきた。

「っ、」

「お前こそ、約束するか。俺に危害を加えない。俺が死ぬのを黙って見ている、と」

 反抗するようであれば、そのまま落とそうと思っていた男が、叶湖の様子を伺うと、間もなくその身体ががくがくと震えだした。目からはボロボロと涙がこぼれている。

 その怯えように、威勢がいいのは口だけか、と男が叶湖の首から手を放し、ただ、その腕は頭の上でひとまとめに押さえつけたまま、叶湖が落ち着くのを待った。

 さすがに、ちょっとネジの外れただけの一般人を、自殺のためだけに締め落とすのいうのも後味が悪い。

 が、喉が開放された叶湖からこぼれた涙が留まることはなく、身体の震えも大きくなるばかりで、間もなく、その口から嗚咽が漏れはじめた。




「う、うぅ……ふぅぅ。うわぁあぁぁん!!!」

 その嗚咽はだんだんと大きくなっていき、さながら幼い子供のように泣きわめく叶湖に、男は目を見開いた。

 男はもちろん、それまでに色々な女を見ている。それでも、ここまでみっともなく泣き出す妙齢の女は見たことがなかった。

 叶湖が抵抗しなければ、さっさと自害しようと思っていた男も、さすがに、叶湖をそのままにするのを憚れて戸惑う。




「痛い。痛い。痛いの嫌……。痛いの怖い……。ふぅぅぅ……」

 ボロボロと涙を流し続ける叶湖に、男はため息をつく。

 と、男が縫いとめた手首の先。叶湖の指の内側、第二関節の辺りが真っ赤に腫れあがっているのが見えた。

 何か、重いものでも持ったのか。そう考えて、そもそも自分はどうやってこの部屋に連れ込まれたのかと思い至る。




 僅かに、叶湖の腕を押さえる手から力を抜いた。抜けだせはしないが、痛みを与えないように調整する。

 しばらく待っていると、叶湖の涙がだんだんとおさまっていくのが分かった。僅かにぐずぐずと鼻をすすりながら、叶湖が視点の定まらない瞳で、ぼぅっと男を見つめている。

「すみません。気に食わないからと、首を絞めるほどでもありませんでした。一応の、命の恩人に」

 目の前の女をそう呼ぶのは、何かいろいろと間違っていると思いながらも、男は僅かに頭を下げた。そうして、手慣れた手つきで、指を叶湖の頬へと滑らせて涙を拭う。

 叶湖の涙に溜飲が下りたのか、それとも、それまでが激昂していたのか、口調が落ち着き丁寧なものになる。




「そのまま、俺が出て行くまで、横になっていてください。見ず知らずの人の家を血で汚してまで死ぬのは気分がよくない。……どこか適当な場所で死にますので」

「……彼岸の妹さんに会いにいくので?」

「っ!」

 何故それを、と男の身体が一瞬硬直した。その隙を狙って叶湖が勢いよく膝を立てる。その動作に気付いた男が回避行動をしようとした途端、急な動きに、ただでさえ大量に無くしたばかりの血が追い付かなかったのだろう。男の身体がふらつき、叶湖の腕を押さえていた手からも僅かに力が抜ける。




「っ、ぐぅっ!!」

 それは決定的な隙になった。叶湖の膝が男の傷口を正確に突く。反射的に体を折り曲げようとする男の身体と一緒になって回転しながら、身体の上下を入れ替える。

「っぐああぁ!」

 傷口に膝を立て、全体重を掛けながら、叶湖気だるそうな目で男を射抜いた。

「意識のあるアナタの側にしゃがむんじゃありませんでした。……私のミスもあるので、1度は不問にしてあげます。感謝するように」

「くっ! あぁぁぁ!!」

 力の入らない男の傷口を目一杯膝でえぐる。傷が開くかもしれないが、気にしない。しばらくそうしていると、元々がひどい貧血状態だった男は、大した抵抗もできずに、間もなく意識を失った。




「……せっかくキレイに縫合したのに」

 叶湖はつぶやきながら、男のわき腹から膝をどける。

 テーピングを剥がして、フィルムの上から傷を観察すると、幸い、膝を立てていたことが圧迫につながったようで、僅かに血がにじんでいるものの、傷が開いているわけではないようだ。

 傷口のフィルムはそのままにして、剥がしたテーピングだけをやりなおした。

 それを終えると、叶湖はさっさと男の手を再び手錠で拘束した。力技で外れていた手の関節を嵌め治し、今度は関節を外しても抜けることができないよう、手の部分ごとガチガチに固める。

 ついでに、足首にも足枷を嵌め、首には鎖に繋がった首輪を装着した。足枷も、首輪も、その鎖は身近な家具の足部分へと伸びており、長さを調節されたそれは、男に寝返りすら許さないだろう。

 さながら、標本に磔られた虫のように、床に縫いとめて、叶湖はふぅっ、と息をついた。




 目を覚まして暴れられない様に、意識を失った男をさらに眠りの淵へ誘う薬をかがせ、その隙に管を2本、男の身体へ差し込む。

「……はぁっ。身体が重い……」

 叶湖はぼやきながら、重い体を引きずって、テーブルの上に出したままの器具を手早く片づけると、私室のベッドへと潜り込んだ。


まさに攻防。まだ続きます。

最後に差し込んだ管2本は、栄養剤の点滴と、尿道のカテーテル(バルーン)です。一応。

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