1日目②
「わざわざ来てもらって悪かったですね、空也」
「久しぶりだな、ここに来るのも」
マンションを出て、ごみ袋を抱えたまま、少し歩いた先を裏路地へ入る。
叶湖が手間暇を惜しまず探した場所だけあって、マンションから歩ける距離に湾があったり、マンションを少し出ただけで、薄暗い裏路地に行き当たったりする。
「そうですね、だいたいは店で取引していますし」
「……呼んでくれれば、いつでもデリバリーするけど?」
裏路地には既に男が待っていて、声をかけた叶湖にニヤリと笑った。20代、いくかいかないかあたりの若い男で、その黒髪の所為であどけなさすら感じるが、その目は鋭い。開襟のシャツの奥に、ひと目で高価と分かるネックレスがぶら下がっていた。
叶湖が空也と呼んだ男は商人で、コンビニで手に入るものから、表世界でお目にもかかれないアレやコレやを売ったり買ったりしている。
そういう叶湖も、趣味のために何度もお世話になっている相手だ。
「お買い物の前に。私が送った写真は見てくれました?」
「見た。なかなか珍しい型で、俺が知る限り影の組織でも標準装備として扱ってるって話は知らないな。とはいえ、このあたりのことは、もう知ってるだろ? 補給路を調べるには、少し時間がかかりそうだ。つまり、俺や俺と深く繋がってるブローカーじゃないぜ」
叶湖がに送った写真とは、叶湖が拾った男が上着に隠し持っていたオモチャ……拳銃と、男の腹から取り出した銃弾が写っているものだった。
「そうですか。では、もうこの件からは手を引いて下さい。あとは私の領分です」
「了解。もし元を叩くことがあるなら一報くれ。礼はする」
「いいでしょう。まぁ、叩く予定はないですが」
キレイに微笑む叶湖に、空也は手に持っていた小さなケースを差し出した。
「で、注文の品」
叶湖が受け取った箱を開けて中を確かめる。
そこには、叶湖が薬棚に閉まっているものと同じ形の瓶が複数並んでいた。
「まさか、お遊びで売ったやつがホントに消費されるとはね」
「伊達にいい性格をしている、と言われてはいないということですね」
「……そうだったな」
叶湖は空也の言葉も耳に入らないように、ケースからひとつひとつ瓶を取り出しては、嬉しそうな笑顔を浮かべる。
「モノは試しといいますから。これからも、新しいものがあればいつでも買いますよ。では、私からも」
そう言った叶湖が、脇に置いていたゴミ袋を差し出す。
「言っとくけど、廃品回収は本業じゃないからな」
「分かってますよ。だから色をつけているじゃないですか」
何を当たり前のことを、と言わんばかりの叶湖に深い溜息をついて、空也はゴミ袋を受け取る。
「では、これを」
ゴミ袋がしっかり空也の手に渡ったのを確認して、叶湖はショルダーバッグから紙束を取り出した。
紙束のように無造作に重ねてあるそれは、紙幣の束であった。
「はいはい、どうも」
受け取った空也が慣れた手つきが紙幣を数えていく。
「うん、じゃぁ、現金分は了解で。あとはいつもどおり振込でよろしく。ちなみに、チップと、追加注文があるなら聞いとくけど」
数え終わった空也がその紙束を自分の鞄へと仕舞いながら叶湖を伺う。
「チップは200で。追加注文は情報規制をお願いします」
「どの情報と、どの範囲?」
「男を拾ったこと、写真で送った銃のこと、アナタに渡した袋の中身。それから、私がこれらの情報規制をアナタに対して依頼したこと。範囲はアカズノ間を除くすべて、で」
「……いくらで?」
空也が叶湖の瞳を覗きこむ。
「1000。値上げ幅は商品代金含めて2000までです。交渉します?」
叶湖がそんな空也に笑み返す。
「相変わらず、ガード固いな。……その前に。叶湖、手見せて」
空也が言うか早いか、叶湖の、薬を持っていない方の手を取った。
「こんなに赤くして。注文がきた、ということは使ったんだと思ったよ」
「……それで?」
「こんなになるまで手を放さなかったほど、いい男だった? 泣いたんだろ?」
言いながら、叶湖の赤くなった指に空也の舌が這う。口では茶化しているが、その顔は、どこか苦々しい。
「……その情報、いくらで買います?」
「今回の儲けをチャラにしたら教えてくれるわけ?」
未だ叶湖の指に口を当てたまま空也が笑う。
「足りませんね」
す、と引かれ、空也の手を逃れた叶湖の指を追っていた空也の視線が持ち上げられて、叶湖を見つめた。その手が叶湖の頬を滑る。
「……どうするつもり?」
「飼いますよ。ペットにするつもりなんです」
「それだけ?」
「何がいいたいんで?」
「いや……そいつは、お前のために狂えるのかな、なんて、な」
「空也」
「ごめん。そんな顔するな。悪かったから」
それはそれはキレイな笑顔を浮かべた叶湖に、叶湖の頬から手を離した空也が溜息混じりに謝罪する。
空也の手はもう一度、叶湖の手へ戻って、それを柔らかく握り締める。
「そうなればいいのにと、そうならなければいいのにと、どっちも思ってる」
「えぇ、分かっています。……ありがとうございます、空也」
「ん。……じゃぁ、値上げ交渉はナシで。お前のいうとおりに」
「はい、分かりました」
いつもどおりの様子に戻った空也に、叶湖は笑顔を向ける。
「うふふ。ふふふ」
叶湖が笑い声をあげて、薬の入ったケースを揺らすと、中からカチャリ、と小瓶のぶつかる音がする。
「楽しみですねぇ。私、ずっとマンション暮らしでしたから、ペットって初めてなんです。もっとも、言葉の通じない生き物を飼う心境は、全く理解できませんけれど」
「……じゃ、俺、行くわ。……そのペットによろしくな」
「ありがとうございます」
叶湖は面白いことでも言われたように笑顔を深めて、その場から立ち去った。
まだつづきます。