0日目②
「うっ、ふぇえ……」
自室へ辿りついた瞬間、がちゃん、どさり、と乱暴にドアを閉めて、乱暴に男の入った寝袋から手を離す。
寝袋が音を立てて床に落ちたが、精々、叶湖の腕の位置からの落下であり、寝袋の素材と合わさって、中の物体には大したことはないだろう。そもそも、今までも休憩の度に何度も地面へ落とされていたのであるし。
「うぅぅぅ、あぁぁああ……」
叶湖が言葉にならない嗚咽を漏らしながら靴を脱ぐと、部屋の中へ這っていき、リビングダイニングを突っ切った端、奥まった場所に置かれた戸棚から、液体の入った瓶を取り出した。たぷん、と中で液体が揺れる。
叶湖はぼろぼろと頬をつたう涙を手で雑に拭いながら、瓶の中身を呷った。
ごくり、と喉がなり、その液体が喉を伝って腹の中に落ちて行った感覚を味わうと、へたり、と床に力なく座り込む。
「うぅ……」
拭っても拭ってもこぼれおちる涙に濡れた目で自分の手を見ると、指の第二関節のあたり、その内側が真っ赤になり、僅かの擦過傷も見て取れた。
気だるげに部屋の時計を見上げると、朝の10時過ぎ。部屋を出たのが8時ごろだったため、1時間近く、あの物体を引きずっていたことになるのか、と溜息をつく。
よくもまぁ、朝の忙しい時間帯に自分が見つけるまで、あの転がったままの男が姿を見られなかったものだと感心する。
だが、その男のことなど二の次で、とりあえず、濡れた布巾で患部を冷やしながら、リビングの3人掛けソファまで辿りついた叶湖は、訪れたゆるやかな睡魔に飲みこまれていった。
叶湖が次に目を開けると、時計は昼の2時ごろを指していた。
指の痛みはひいている。まだ数時間しか経っておらず、未だ赤々と腫れている指は、しかし、痛みを訴えてこない。それを確認した叶湖は身体を起こし、部屋の奥の戸棚から、白い錠剤が詰まった瓶を取り出した。
叶湖が眠る前に飲んだ液体が入った瓶も納められていたその戸棚には、同じように液体が入った瓶や、色とりどりの錠剤が詰まった瓶がところ狭しと並んでいる。
2錠ほどの錠剤を瓶から摘み、キッチンの蛇口から汲んだ水で飲みこむと、続いて、別の戸棚から取り出した軟膏や湿布薬で、赤くなった指に簡単な処置をほどこす。
それから、僅かに溜息をついて、玄関へと向かった。
そこには叶湖が放り投げたままの格好で横たわる、寝袋に入ったままの男がいた。
その体を僅かに揺らして、男が動かないのを確認した叶湖は、運んだ時と同じように、顔を出す部分に指をひっかけて、ずるずると部屋の中まで運び込む。
入れた時とは反対の要領で、寝袋から男を取り出した叶湖は、傷口にあてていたタオルの状態から男の流血が再び止まっていることを確認する。
ぱらぱらと、固まった血が床に落ちるが、血だまりが作られることもない。
叶湖はそれを確認すると、再び部屋の奥の戸棚へと向かった。
先ほど取り出した錠剤の詰まった瓶を戸棚へ戻すと、同じ場所から液体の入った薬を2本と、その下の引き出しから注射器2本を取り出す。
また、その戸棚の隣、引き出し式のサイドラックを開けて、鈍く光る手錠を取り出した。
ちなみに、そのサイドラックの中には、荒縄やボールギャグ、鞭など、どこぞのSMクラブかと思うような道具や性具が詰め込まれている。
叶湖はそのまま男の側へと戻り、2本の薬瓶から液体を吸い出した注射器を、次々に男の腕へと刺し込んでその中身を投与し、それが済むと、ソファの足の部分を通るようにした手錠で、男の両手首を拘束した。
寝袋と男を拾いに行った時に肩に下げていたカバン、それから男の足から脱がせた靴を集めてゴミ袋へと突っ込んでいく。ちなみに、靴からはサイズだけは読みとった。
乾いた血が張り付いた手をキッチンの流し台で洗うと、そのついでに取り出していた薬瓶を全て、元あった戸棚へと戻していく。
眠る前に飲み干してしまった瓶だけは、拾い上げて寝袋などが入ったごみ袋へと放りこむ。
それからシャワーを浴びて汗を流し、衣類を新しいものに着替えると、私室へ戻ってショルダーバッグだけを取り出し、もう1度玄関へ向かった。
出かけていた叶湖が戻ると、その腕には衣類の量販店のロゴが入った大きな紙袋が抱えられていた。
リビングに入り、男の様子が出て行った時と変わっていないのを確認する。その姿を横目に、薬棚から瓶を1つ、リビングの戸棚から鋏とメスのような鋭いナイフ、ピンセット、細い糸状のものと針を取り出して男の側に戻る。
鋏で今しがた買ってきた服や靴のタグを切り取ると、次いでとばかりに、男が身にまとっている服やズボンも切り裂いていく。その拍子に、ごとり、と男のジャケットの懐から転がり出たものを見つめると、叶湖はそれを取り上げて口の端だけで笑った。
そうして、手錠をかけたまま、生まれたままの姿になった男から展開図のように広がった服を引きぬくと、それもゴミ袋へと放りこむ。
そのまま、濡らしたタオルで男の身体や僅かに固まった血等でべたつきを感じる床も拭き、それもゴミ袋へ放りこむと、男の下半身だけに服を着せる。
上半身は裸のままの男の側にぐっと近寄ると、わき腹にのこる銃創の上から、持ってきていた瓶の液体をぶちまけた。そしてその付近をぐ、とメスで切り裂き、ピンセットで弾を抜き取り、糸をとおした針で縫い合わせる、という医療行為をやってみせる。
再び血のにじんだ箇所をタオルでしばらく圧迫し、流血が無くなったのを確認すると、患部に透明なフィルムのようなもの当てた上から、テーピングをし、タオルと空瓶をゴミ袋に放り捨てると、最後にゴミ袋の口を閉じてふぅ、と溜息をついた。
先に使っていた注射器と合わせて、鋏やナイフといった器具を洗い、煮沸消毒しながら冷蔵庫を漁る。医療現場真っ青な衛生管理であるが、それを見咎めるものはそこにはいない。
冷蔵庫のあり合わせをレンジにかけて、簡単な、そして今日初めての食事を取ると、まだ日が暮れて間もない時間であるにもかかわらず、叶湖の姿は私室へと消えて行った。その手には、男の服から転がり出たオモチャと、男の身体から抜き取った銃弾が握られている。
そして、リビングには、お情け程度にタオルケットを掛けられた男が残された。
まだ目覚めません。