不穏な予感
「はぁ。……注文だ、叶湖」
溜息をついて気分を変えた岡部が、席について叶湖を見上げた。
「今日はなんだ?」
「オムライスです」
「……また、手がかかるもんを……。まぁ、食うんだが」
「調理は黒依なので、私は全く手がかかりませんけどね」
岡部に笑い返した叶湖が黒依に視線を送ると、黒依は1つ頷いて厨房へと消えていった。
調理の音が聞こえる厨房を背にして、珈琲を淹れた叶湖が岡部のテーブルに戻ってくる。
岡部はそんな叶湖の腕をとって引き寄せると、小さく耳元で囁いた。
「そこの湾に怪しい人間が潜ってるぞ」
「……えぇ、私の網にもひっかかってます」
岡部の言葉に、笑顔は保ったままであるが、いくらか真剣な眼差しになって叶湖が頷く。
「私でも知らないような話、あります?」
「直近で今日の午前3時ごろ、念の為に警邏していた警官が切りつけられた」
「さすが、身内の情報はガードが固い。初耳です。……死ななかったんですか?」
叶湖は意外だとばかりに尋ねる。
「咄嗟に身を捩って逃げようとしたところで、運良く首飾りのチェーンに刃が当たったらしい。傷が動脈に届かなかった」
「それは運がいい」
そもそも最初の一撃を咄嗟に逃げる余裕があったのもびっくりだ。逃げ切れずに傷を負ってはいるが、仕留めそこなった相手が追撃してこなかったことを思えば、幸運と言っていいほどの事実である。
「1カ月経っても死体が浮かばず、焦ってるんだろ」
「まぁ、錘もなにもない死体ですからね。どこかに絡まっていたとしても、骨の1本も浮かばない方が不自然ですか」
「プロだぞ、気をつけろよ」
怪しい人間の正体は、十中八九、黒依が逃げてきた組織の連中だろう。
最初は黒依を仕留めたものだと思っていたが、一向にその死体が上がらないので、生存を疑いだしたのか。
「そうしたいところです」
「……手ぇ出すつもりか」
岡部に睨むような視線を向けられ、苦笑を浮かべるほかない。無茶なことは十分分かっている。それでも、何もしないとは言えなかった。
だから嫌だったんだ。好かれると守りたくなってしまう。
「例の銃の鉄、追加しようか?」
「いえ、そんな時間はかけたくありません。……恋と悠木さんに頼みましょう。さすがに1人では荷が重い」
叶湖の人選は的確である。叶湖がやりたいことも、しっかりと認識した空也が、しかし鼻をならす。人選は的確であるが、1人で荷が重い、というからには当然、自分も噛むつもりなのだろう
「そんなに大事? ……お前も危ないんだぞ」
つい、嫉妬じみた言葉が口をつく。空也と叶湖は、商人と客という関係である。それ以上でも以下でもない。しかし、アカズノ間の客の中でも、或いは、叶湖の知り合い全てを合わせても、最も叶湖と近い位置にいるのが自分だという自負があった。
「ペットに名前をつけると情が移るというでしょう?」
「ポチ?」
「えぇ、ポチです」
空也の内心を分かっていながら、何の気負いもなく答えた叶湖に、空也は溜息混じりの乾いた笑いを浮かべた。それでも叶湖から離れられないのは、空也も叶湖に惑わされた1人だということだった。
叶湖と岡部が密談を交わした2日後、わずか1日の間に必要な人間と連絡をとり、内諾を取り付けた叶湖は、拳銃を懐に入れて部屋を出た。
短くてすみません。
ただ、ここで切らずにどこで切る、、という状況だったので。。




