白き変態
翌朝、まだ誰の息も混じってない清澄
な空気を吸って、宿を後にする。
「あの受付の人、絶対私をお子様扱いしてるよ」
ぶつぶつと不満を漏らすイヴ。チェックアウト時に「またおいで。お嬢ちゃん」と言われたのが原因だ。
クレアが邸から持ってきたグミを渡して宥める。イヴは不貞腐れながらも口を動かしてそれを咀嚼した。
「あれ?」
道路の脇に側面が黒光りしている馬車が停まっている。
「おかしい。昨日降りたのに何でまだいるんだろう」
怪しむクレアを置いて、寝惚け眼のままイヴは馬車の方へ歩いて行った。
「ちょっと。イヴ!!」
彼女を制すと、白いハットと白いコートを身につけた御者が突然喋りだした。
「何故昨日降りた筈の馬車が今朝になってもいるのか。これには深い訳があります。一先ず中へ」
サングラス越しに大きな目がこちらを睨んでいる。
(この男は何故ここに...。馬車に乗ったら何処かへ連れていかれるのではないか?まさか色攫いの回し者では)
クレアの中で危険信号が鳴り、それと共鳴して心臓の鼓動が早く音を立てた。
しかし他に足がある訳もなく、2人は不安を抱えたまま馬車に乗った。
それに、彼が色攫いならば昨日の内に行動に移していた筈だ。
「私の名はブライアン。人は私をホワイトドラゴンと呼ぶ。ぜひ、君たちもそう呼んでほしい」
「ブライアン。ところで何があったっていうんだ」
突然の変態に戸惑いつつ、クレアは質問を投げかける。
「ふむ。先日、私は君らを降ろした後、あることに気づいた。そう、お代を貰っていなかったのだ」
「あ」
クレアが発した一文字により、一瞬空気が凍った。だとしたら、一晩中極寒の中、ここで待機していたことになる。クレアの良心が痛んだが、何分相手が変態なだけに、彼も満更でもないのでは?とも思った。
「私は急いで宿に入り、こう言った。私に報酬を!!それはこの私、ホワイトドラゴンの生の礎となり血となり肉となる!!と」
彼は臨場感を出すためにわざと大袈裟な芝居を見せる。耳がきんきん鳴る。
「追い出されたのか...」
「ふむ。よくわかったな」
驚いたことに、この奇人を前にイヴは気持ち良さそうに惰眠を貪っているのだ。
「申し訳ない。謝礼も加えて代金を支払うので、他の馬車をあたります」
こんな変態と同じ空間にいると脳が腐ると考えたクレアが財布からお金を取り出そうとすると、ブライアンがそれを制した。
「お代はいらぬ。ただ、私をその青を探す旅に連れていくのだ」
しまった。クレアは思わず口を押さえた。どうやら昨日の会話は筒抜けだったらしい。
この男が色攫いと何らかの癒着があるとしたら非常にまずい。
「ど、どうして」
「ふむふむ。私はしがない御者。君等を素通りするのもまた人生である。だが、そうした場合、私は晩年に思うことだろう。あの時出会った少女等は青という色を見つけたのだろうかと...」
一区切り話し終えるとブライアンは馬に鞭を加えて馬車を走らせた。
「どちらを選ぶかは明白。私は君等の足となろう!!」
(しまった...降りる選択肢が無くなった。この男を信じてもいいのだろうか...ここは刺激しないよう同行を許可したほうが良いな)
クレアは安全策を選び、ブライアンに、このことを口外しないという条件で旅の同行を認めた。
(そういえばウォルターズ家の次期当主も相当な変わり者と聞いたが、こんな人なのだろうか...彼らは金融業界を牛耳ってるし...この国の未来が心配だな)
薄い靄がかかっている道路を走ること2時間、郊外に出ると所々緑が見え始めた。
「お、イヴ。湖があるよ」
「ふ...ん?」
虚ろな目を擦りながら辺りを見渡す。一瞬の間の後、彼女は興奮した声をあげた。
「うわぁ!!!真っ赤だ!!」
湖は太陽の光を浴びて、朱色の空を反射していた。ずっと見ていると目を悪くするほどに、それは鮮やかな赤だった。
「この辺でランチにしようか。バケットはまだあるし、宿で買ったスパムもある」
「うむ」
ブライアンは馬車を停め、馬を近くの木に繋いだ。
クレアは、丘のように少し盛り上がった所にランチを食べる場所を作ろうとした。
イヴが雀躍しながら「こういうの何ていうんだっけ?」と聞いた。
「えーっと。ポパイ?」
正解はピクニックだが、彼は少し冗談を交えた。冗談というよりは嘘に近いが。
「そう!ポパイ!!憧れだったんだ〜ポパイ!!」
草叢の上に敷くレジャーシートをバサバサしながら、クレアはイヴの記憶力が心配になった。
「ごめん。ポパイじゃなくてピクニックね。そんな水兵が出てくる漫画みたいじゃないよ」
イヴは顔に紅葉を散らして怒った。
「嘘つき!また嘘ついた!」
くりくりとした大きな瞳をしながら、クレアを指さし糾弾する。
「ごめんごめん」
謝りながらも、彼女はこんな微笑ましい日がおくれることに感謝していた。
邸に篭りっきりだとこんなこともできなかっただろうと思っていた。
赤い湖を見ながらピクニックをするという異様な光景だが、3人はそれを楽しんだ。
「聞いてホワイトドラゴン!!」
(あ、そっちの名前で呼ぶんだ)
一応奇人の自己紹介の時は起きていたようだ。イヴはブライアンの白いコートを掴んで、苛められた子供のようにしていた。
「どうしたのかね麗しき姫よ」
彼が持っている人参は馬の餌なのだろうが、あろうことか喰いさしのそれを自らが頬張っていた。生で。これにはイヴも引いているようだ。
「あ、えと。クレアは嘘つき!ピクニックのことを、えっと...」
「ピクニック...??あぁ、ポパイのことか」
「いや違うから」
イヴが真面目な顔をして、ブライアンのノリを蹴散らした。気のせいか彼女の瞳が黒ずんでいるようにも見える。
「もう!ホワイトドラゴンまで私をからかって!私は子供じゃないんだぞっ!!」
(ふーん。イヴって子供扱いされるの嫌いなんだな。子供だけど)
クレアは宿に来る前、イヴの服を買いに行ったことを思い出した。彼女は無理に子供っぽさを隠そうとして豹柄のマフラーやポーチ、紫のベストなんかを買っていた。
それが逆に、背伸びをする子供に見えて彼女は癒されていた。
へんてこなやり取りを終えようとクレアは無理矢理話題を変える。
「パンにスパム挟んだ。早く食わないと私が食べちゃうよ」
イヴは慌ててクレアのもとに走り、パンを口に詰め込んだ。
「我の食料もいるか?」
「うっ、生の人参ほっぺに押し付けないでよ」
目を細くしてイヴが言う。
3人それぞれがいつもと違う食事を楽しんだ。湖が反射する赤い光は、彼女らを哀愁と共に優しく撫でているようにも見えた。
見飽きた世界も、隣にいる人によっては違う世界になる。
一方、クレア邸の周辺には警察と野次馬が集まっていた。
「これは一体...」
ブロンドの髪の若い男が呟いた。
「警部、これも奴らの仕業でしょうか...?」
邸の広間には、夥しい量の血が付着しており、殺人事件の捜査に手慣れた者でさえ吐き気を催すものだった。
「身体中をナイフで切り刻んで、挙句の果てには目ん玉もくり抜いてやがる...党争にしちゃあおかしな話だ」
一瞬の沈黙の後、若い警察が口を開いた。
「色攫い...でしょうか」
「まだクレア本人が見つかってねぇから何とも言えないが、その可能性が高い」
「おかしな話ですよね...国益のために蛮人を野放しにするなんて...」
警部はその場に座り込み、若い女性の遺体を眺めた。
まだ若々しく、活気のある時期だったのだろうと、警部は小さく黙祷を行った。