Escape From The Past
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小ブリテン王国の都市部に、アリスとハルというドログ人の姉妹が住んでいた。母はこの時代珍しい音楽教師。父は経営者だった。
姉妹は家で留守番をすることが多かったが、よく家を抜け出して外を歩き回っていた。
「お母さんは...?」
「音楽家の人の社交会に誘われたんだって...今日もきっとお酒臭くなって帰ってくるわよ」
「ん。お姉ちゃん。私絵画を見てみたい」
特別興味を示さないハル。夫婦仲はあってないようなものだった。ハルはアリスの服の袖を引っ張って強請った。アリスは鼻をふふんと鳴らし、頭を撫でる。
「王立美術館があるから行ってみよっか」
「うんっ!!」
今はポンコツな雰囲気を出しているアリスも、幼い頃は面倒見がいいお姉さんだった。身長も今の半分くらいで、舌足らずで愛嬌がある。
「お姉ちゃんまた告白されたんだって?」
「振ったよ?盛大にね」
「えーなんでー?」
「恋人より大切なものなんてこの世に溢れ返ってるんだよ。私はそれをよく知ってる」
どこかで覚えたキザなセリフを吐き、アリスはハルの頭をくしゃくしゃにして頬を撫でる。
「ワンワン!!」
「あっまたこの犬付いてきてた。相変わらず雑巾みたいで汚いな」
アリスはそう言ってノミだらけの犬の頭を撫でる。この近辺をうろついている野良犬だ。
「今日はダメだぞ。王立美術館なんかに犬を連れていったらお尻に焼きを入れられちゃう」
「クゥーん」
寂しそうな顔をした犬だったが、行儀よくその場でお座りする。
少し後ろ目たかった。
長めのスカートを履いた2人は美術館へと足を運び、世界各国から集う巨匠の絵画を目に焼き付けた。
その中でもクレアを惹きつけたのが【アドルフ=ルイ】のフォーラムだ。ユーラシア地方の貴族出身だったが工房に篭って創作活動に耽っていた男。
現在は弟子がその工房を継いでいるらしいが。
彼は指輪などの貴金属から西洋絵画まで、なんでも創った。
アドルフ=ルイは親しい人間によく作品をあげていたらしく、彼の仕事、作品は多く美術館に寄付された。
アリスはある一つの作品の前で立ち止まり、目を見開いた。
それは縦300mm、横500mmの超大作。見る者を圧巻した。
二匹の雄鹿と牝鹿が森の入り口で餌を探っている。背景には海と空が見られるが、そこのモザイク画は黒く塗り潰されていた。
そして白い絵の具で乱暴に書かれた
『Look 4 it !』
彼のよく使う手法だ。本来ここには青が入るべきで、彼は青の存在をずっと待っていた。
他の色で代替えするなど、ありえないのだ。
アリスは10分強、その場で絵を見つめていた。まるで何かに取り憑かれたように。絵の隅から隅まで見渡す。
その光景に飽きてきたのか、ハルは
「私あっちに行ってるね」
と言った。
「うん。少しここにいるわ。戻ってきてね」
「はーい」
彼女はちらほらいる紳士淑女の間を、糸を縫うように進んで行った。
...彼女は戻ってこなかった。
両親は捜索願を出したが、翌日からいつもと変わらず仕事に耽った。両親にとって2人はただの他人だったのだ。
「どうしよ...雑巾くん」
玄関前の階段に座って頬杖をつくアリス。捜索は既に打ち切られていた。
「ワンワン!」
「探す...?私が...?」
きっと、すぐに私を驚かせるためひょこっと出てくる。そう思ってアリスは探し続けた。彼女の姿を。
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__全部。全部無くなっちゃった。
海の中を走る汽車の座席で1人、三角座りをしながらアリスが呟いた。
「私の全部。全部無くなっちゃった。全部」
目は虚ろに、身体を前後させて見てられなかった。クレアは少し離れたところから彼女の様子を見ていた。
イヴはブライアンに抱きついて離れない。
(...人が死んだ。これは父の死とは...違う死だ...。どうすれば助けられた?いや、あんなの誰が死んでもおかしくなかった。イヴが、私が潰されても...)
彼女は冷たい水に沈んでいくとき、どう思ったのだろう。暗闇に沈んでいくとき、何を思ったのだろう。
あまりに残酷な死を目の当たりにして、クレアでさえも同様を隠しきれなかった。
それ以上に、アリスに対する慰めさえも思いつかなかった。
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スカンディナヴィア半島中南部
石油大国「ダルヴァザ」
巨大な石油タンカーが幾つも港にとまっている。爆発的な技術革新によって、ここダルヴァザは今や「世界の1/3の産業はダルヴァザのもの」と言われていた。
貧しい国へ武器を輸出し、他民族を蹂躙させ綿やタバコ、錫やゴムの工業を各地に建立。その勢いはまさしく世界一の工業大国であった。
小ブリテン王国とも友好関係にあり、衣服と石油の輸出入を行っている。
貿易港では、人々が忙しなく貨物船に商品を運んでいた。その中に、黒コートを羽織った男が独特の雰囲気を放っていた。ブロンドの髪は清潔感のある長さで、ポマードを使って横に流している。
「皮肉なもんだな。芸術だと謳って青を血眼で探していた奴らが、技術革新に伴って今度は石油か」
男は憂いを帯びた目で海に浮かぶ鉄の塊を眺め、ハットを深くかぶり直した。
「ファン様。ヘイと名乗る男がファン様に会いたいと...」
「あぁ友人だ。コンテナの裏ででも話そうか。お前らは外してくれ」
「はい」
ベージュのトレンチコートを着たヘイは前よりいくらかやつれているように見えた。
「芸術をわかった気でいるパトロンってのは、利用しがいがあるが腹立たしいもんだな」
ファンがコンテナに背中を預けて言うと、ヘイが口を開く。
「世界は進んだんだ。芸術じゃない、現実が金になるってな」
「実質。色攫いは終わったようなもんか」
「...。例の件だが、青瞳の少女は確認できなかった」
「ふーん」
嫌な沈黙。
次の瞬間、銀色に光ったナイフがヘイの腹部を貫いた。
「...ッ!?」
内臓に異物が入る感触で吐きそうになる。
「知ってるぜヘイ。お前が金髪女と暮らしていたこと。そいつと似た人物がクレアと同伴していたこと。今日ここに金髪がいねぇってことは何かしらあったんだろ?な?情報ってのは金より重いぞ?」
ヘイは唸りながら蹲ってファンを睨んだ。
「大切なのはなぁヘイ。青じゃなくてあのガキの瞳なんだ。あれを神に引き渡すんだよ」
「神...だと...?マリファナの吸いすぎだ...げふっ」
「ばーか。まだわからねぇか。本当なんだよ。事実なんだよ。カエルアレムの神話は。なにも金目当てであの種族を狩っていた訳じゃない。俺らがあのガキを狙う理由...」
あの娘が最後の青だからだ




