Escape From Tragedy
怪しい風が草を撫で、クレアの赤髪を揺らす。彼女はリリーを連れて、再び元来た道を辿った。
『見守る優しさ』
それはあまりにも視野の外にあり過ぎて、当人は気づかない。それでも、ふとした瞬間、ふとした仕草にその愛を知ることができるのだろう。
リリーは目元を擦って、クレアのあとを追った。
破滅の時は近づいている。
島はもうじき真っ赤な海に飲み込まれ、虹桜が種を飛ばすだろう。生温い風に吹かれながら、永遠とも感じられる時間、草原をかけた。
「なんで俺を...?」
走りながらリリーが聞く。クレアは振り返らずに
「気まぐれ。同情」
と答えた。なるほど。無駄に着飾った理由付けよりよほど気持ち良い。
むしろ、子供の命云々、宗教云々という理由はリリーが好まないだろう。
...
......
.........
「大丈夫ですかね...。クレアさんたち」
一足先にイヴを連れて列車に乗り込んだハルがぼやく。
「大丈夫よハル」
普段、表情をコロコロと変えるアリスの、真剣な横顔を見ていると、妙な既視感が頭をよぎる。
座席の肘掛に座り、扉の前に立つアリスを見つめる。
___あぁ。頭が痛い。
何か思い出せそうなのに。それが断片的過ぎて全体が見えない。
強くて。頼もしくて。そんな彼女の顔が頭に蘇る。いつだか、不良に絡まれた時も、気丈に振舞ってくれたっけ?よく憶えてないけど。
(頼もしいお姉ちゃんか...。良い人生とは掛け離れていたけれど、お姉ちゃんといた記憶を思い出せば、それも変わるのかな...?)
ふと、ハルはそう思うのであった。
草原の中に突然現れる混凝土製の階段、海面はもう目と鼻の先まで来ていた。
段差を踏みつける足が絡まりそうなほど急いで駆け下り、階段の中腹まできた時、嫌な音がした。
水だ。
水が迫り来る音。
背筋に悪寒が走り、焦燥にかられる。
「おい!!きたぞ!!」
例え小川に流れる量でも、足を掬われ身動きが取れなくなる。2人は必死に走るが、濁流が押し寄せ華奢な身体を飲み込んだ。
「わっ!!」
まるでウォータースライダー。2人はそのまま赤水に流されながら、駅のホームに滑り込んだ。
「あっ!!絵がッ!!」
水に身体を揉みくちゃにされたクレアのバッグから父の遺品であるモザイク画が飛び出した。
それを咄嗟にリリーが掴み取り、ウインクする。
更に流され、「クレア早く!!」と叫ぶアリスのもとに飛び込んだ。
2人が車内に飛び込むと同時に扉が閉まり、汽車が発進する。濁流に汽車が打ち付けられてイヴの身体が宙に舞う。しかしブライアンが咄嗟に受け止めた。
「ありがとう!!ホワイトドラゴン!!」
「うむ。掴まっていろ。この先少々揺れが激しくなるようだ」
イヴは急いで彼の髪の毛を引っ掴みながら肩に登る。ブライアンのサングラスが間抜けに歪んだがいつものことだ。クレアもリリーを支えて汽車の肘掛を持つ。
「ハル。捕まって...!!」
少し距離が縮まった気がした。
「うん。お姉ちゃん!!」
立てないほどの衝撃が波のように押し寄せ、このまま汽車が潰れてしまうかと思われた。
窓の外を見ると島が沈んでいるのがよく見える。底部の岩が剥がれ落ち、人なのか、岩なのかわからないものが沈んでいった。
「見て...!!桜が!!」
イヴが声をあげる。
それまで赤かった海の色はみるみるうちに透明に変化し、200海里を見渡せそうなほど透き通った。
島に寄生していた【虹桜】
それは海底に沈むと同時に、虹色に輝く。当然だがそこに青の原色はない。
だが、その場にいる者を魅了するだけの神秘がそこにあった。
汽車の揺れもおさまり、一見落着したかのように思われた。
「これ...はい」
「ありがとうリリー。これ、父の遺品なんだ。この欠けた部分にラピスラズリが入るらしい」
「ラピスラズリって...青い鉱石?俺、御伽噺かなんかだと思ってた」
リリーがきょとんとした顔で言った。相変わらず抱き締めたくなるような愛嬌のある顔をしている。
「あるよ。きっとある。1マイル歩くごとに、青に1mm近づいてる気がするの。これは直感だけど」
距離ではない。情報や言い伝えを辿っていくにつれ、青の存在が明確になってきたのだ。そのことをクレアは気づいていた。
イヴの瞳の色が青なのか。それとも、他の色なのか。だとしたら青とはどんな色なのか。謎は深まるばかりだが、着実に解決へと近づいている。
「そっか」
素っ気ない返事だったが、その言葉の裏に幾つもの思惑があることは、容易に予想できた。
「痛たたた。頭うった」
「大丈夫お姉ちゃん...?ドジだね」
「なっ!!わざとよわざと!!」
(わざと...?)
アリスとハルは既に元の姉妹に戻ったかのような仲になっていた。
一度切り離した姉妹をもう一度回り合わせると、何かしらのシンパシーを感じるのだろう。それは外見でもなんでもない。
形のないものである。
ががん。
揺れた。嫌な揺れというやつだ。不安を煽る振動。
それは大きかった。
岩のようなものがハルの脹脛にめり込んでいる。足はおかしな方向にひしゃげ、紫に腫れていた。
「え...。痛い。」
アリスの顔が真っ青になる。
同時に、その岩が飛んできたであろう方向の窓が割れ、水が大量に押し寄せた。
「ブライアン!!!」
いつも平常心を装うクレアが声を荒げた。リリーもその声に緊張し、息を飲む。
事態は急変したのだ。
虹桜の種子。それは赤い花に隠れて見えないが大きめのバランスボールほどある。それが四方八方に爆散するのだ。そうしてこの種は生き延びてきた。
その一つが。
汽車の窓を突き破りハルの足を砕いたのだ。彼女の足にのしかかった種はブライアンの力でもビクともしない。
「ハル!!今助けるから!!ハル!!」
水は既に彼女の首元まできていた。
クレアは急いでリリーとイヴを抱え前の車両に移る。
そして再び戻ってきて種を押した。
「出られないのっ!?」
「痛い。痛い。痛いよ...。ねぇ、ダメだ。早く行って」
「馬鹿!!あんたは妹でしょ!!妹なんだから私が助けるから!!」
言葉が変になりながらもアリスは必死に種を持ち上げようとした。ブライアンも青筋を浮かしながら加勢する。
__あぁ。この顔だ。
泣いて。喚いて。私を守ってくれてた。不良がビビるくらい泣いてたっけな...。
やめてよ。
「大丈夫だからね!!お姉ちゃんがいるから!!」
アリスはハルの手を握って一生懸命励ました。声は震え、涙を流しても笑顔を作ろうとしている。
「お姉ちゃん。好き」
ハルはクレアを一見する。
それは「そういうこと」だった。
水は彼女の口と鼻を塞ぎ、呼吸を奪った。アリスは急いで顔を水の中につけて彼女に口づけする。
何度も空気を吸っては彼女に口づけした。
「...ア、アリス!!行こう。車両が切り離される!!皆死んじゃうよ!!」
ブライアンは暴れるアリスの身体を抑えて無理矢理前の車両に引っ張った。
「話して!!たった1人の妹なの!!まだ!!まだ何も話していないのに!!」
水面に揺れる彼女の顔。表情はもうわからない。その姿は、徐々に小さくなっていった。
____そんな顔しないでよ。
こんなに愛されてるなんて知らなかったんだもん。
良い人生だったって思えちゃうじゃない...
はぁ。お姉ちゃんの旅の話。聞きたかったな。お互い違う世界を生きた話。
やっぱり私、裏の世界には入れないや。
だってこんなにも死が恐ろしいもの。
彼女の乗る車両は切り離され、仄暗い海の底へゆっくりと沈んでいった。




