Escape From Here
リリーは細い身体とは不釣合いな怪力で母親を押し退け、ベッドの上で跳ねた。
「ふふふっ、あはは!!私今嬉しいの。だって【あの子】は最後の青だもの。私が取り零した最後の青...ふふ」
母親はリリーの言うことがわからないが、彼の豹変っぷりに腰を抜かし、口に手を当てて驚愕した。
流石に異変を感じ取ったのか、父親も乱暴に部屋の扉を開ける。
「あぁ。仔羊達。私決めたわ。今日よ。今日貴方達を天に導くわ。アハっ」
「...カエルアレム神様...!」
熱狂的な信者である父はその場に平伏し、頭を垂れる。
母親も急いでその場で両手を合わせ、祈りを捧げた。
「...北西に向かって祈を続けなさい。島が沈むまで決して目を開いてはだめよ」
「承知致しました」
一方的に要件を話すと、カエルアレムはリリーの身体を抜け出し、霧と共にどこかへ消えてしまった。
「リリー!!リリー大丈夫?」
「放っておけ。村の皆に伝えなければならん」
「...」
彼の身体を抱擁する母親は、父親のあまりに酷な言い草に彼を睨んだ。
あの男は我が子よりも神を信じ、我が子よりも族を重んじるのだろうと。
リリー、大丈夫?
母親はそれでも、彼に言い聞かせた。
カエルアレムの御告げは村中に広まり、15人ほどのアグリ族は各々の家の前に集まり、祈りを捧げた。
丁度その頃、クレア達がローズ家の前を通りかかる。
「お前達。すまないがこの島は今日沈む。早く列車に乗るんだ。ホールに水が入ると列車は出発してしまうぞ」
背の高いリリーの父親が言う。
「本当ですかっ!?あなた達は...?」
「アグリ族は神に選ばれし民族だ。死をもって天界へと導かれる。これがアグリ族の美徳だ」
この村に死を恐れているものなどいない。たった一人の少年を除いて。
「わかりました。それでは...」
クレアは意外にもあっさり了承し、元来た道を歩いていった。
「いいんですかクレアさん。リリー・ローズとかいう子供はどうするんです?彼、逃げたいと言ってるようでしたが」
「民族によってモノの価値観は違うよ。私はそれを尊重したい。仕方ないこともあるさ。それより...イヴ達を連れて早く戻らないと」
「まぁ...そうですね」
心のつっかえが取れないようなもどかしい気持ち。ハルとクレアは足早に廃屋へと向かった。
「クレアー!!」
イヴだ。何やら酷く興奮した様子で手を振っている。彼女の後ろにはブライアンとアリスもいた。
「海がすぐそこまで来てる!!早く列車に乗らないと!!」
どうやら、例の出窓から何気なく海を見つめていたアリスがその変化に気づいたらしい。
先程まで透き通って海底が見えるほどだった海は、鮮血のように赤く染まっていた。
まるで地獄だ。
「いきなり赤くなったと思ったら、どんどん海面が迫ってきたの!!」
遠くから珍しくアリスが声を荒げる。
あれに飲み込まれるなんて想像もしたくない。
「ハル。先に行ってて」
「...無理しないでね」
その一言で、ハルはクレアが何をしようとしているのか察した。まだ付き合って数日も経たないが、クレアがどんな人間なのかハルは既に把握している。
それはヘイと一緒に行動し、相手の動作や感情を読み取るスキルを磨いていたハルだからこそである。
(...信仰ならば良しとしよう。でもこれは強制だ)
クレアもできることならば民族事情に余計なお節介はかけたくない。しかし今回ばかりはいても立ってもいれなくなったのだ。
イヴ達と合流したハルは、すぐに戻るから早く列車に乗るようクレアからことづかったと言った。
「クレア...大丈夫なの?」
イヴが眉をハの字にして不安そうな顔をするが、ハルが頭を撫でて
「戻ってこないと思う?」
と聞いた。
「思わない!」
「じゃあ行こう」
4人は草原の真ん中にあるブルーホールへの入り口へ向かった。
海はもう50mほど先に見えている。あれが入り口に入り込んだらクレアはもう島と運命を共にするしかないだろう。
クレアを信じているイヴも、心配で走りながら振り返る。
真っ赤な桜。
こんな状況でなければ、綺麗と呟いていたかもしれない。
まるで血が血管を巡っているかのような鮮やかな赤。
木も生きているということを改めて実感する。
だが、今はもうイヴの目には島を沈める悪魔にしか映らなかった。
...
......
.........
厳かな雰囲気の中、村人全員が空に向かって祈りを捧げている。
まるで世界が滅ぶ1分前のように。
クレアは息を整えて忍び足で村に入り、リリーの姿を探す。靴は地面の土と擦れて音が出てしまうため、靴を脱いで靴下で歩いた。
目を瞑る村人の前を、息が詰まる思いで通り過ぎ、リリーの家に到着。
玄関先で母親、その横にリリー、少し離れたところに父親が胡座をかいて祈祷していた。
(リリーの家族かな...父親は大丈夫として、母親が近過ぎる...)
クレアは生唾を飲んで、ゆっくりとリリーに近づいた。
耳が冴えて羽織っていたコートの擦れる音も気になる。
緊張の汗をかいた手で、リリーの肩をつんつんと叩くと、彼はカエルアレムの御告げを無視して目を半開きにした。
(こいつ...何でここに)
ここで逃げるか。それとも従うか。
この決断で運命が決まる。
リリーは母親を一見すると、ゆっくり立ち上がり、クレアの方に踏み出した。
その瞬間、彼の細い足を母親の手が掴む。
「...っ!?」
(やばっ!)
しかし、母親の放った言葉は二人の予想を反していた。
「しっかりおやり」
母の愛は身近にあり過ぎてなかなか気づけないものである。
それを知った時、感謝したい時、母親はいない。
リリーは感極まって母に抱きついた。静かに涙を流して今迄の感謝を表す。
「ありがとうございます」
小さな声で呟いた。
リリー。あなたは小さな頃から外の世界に興味があったよね。青を見てみたいって。いつもその話をしてはお父さんに怒られて。それでもずっと夢を見てた。
正直、お母さんも外に行きたいです。あなたと一緒に外で暮らしたい。でも、私は我儘が叶うほどもう若くありません。
生きなさいリリー・ローズ。
外の世界はきっと楽しいです。それでも、お母さんのこと忘れないでください。あなたの瞳から、青の世界をお母さんに見せてね。




