Baia Submarine Race
「この空き家なら誰も来ない。好きに使っていいぞ」
南にある草原から北東に進むと、古民家がポツポツと現れた。杉で造られた簡素な家だ。玄関に扉は無く、中では老人が茣蓙を敷いて眠っている。
その中に、一層朽ちた廃屋があった。リリーはここを寝床にしろと言う。
「気を悪くしたらごめんね。ここの人達は旅人を嫌ったりしてる?」
「逆だ。アグリ族は虐げられてきたのさ。もとはピータータウンやリコールシャインズに住んでたけどな。民族主義が発展した結果がこの有様さ。なぁに、何世代か経てば世界的な独裁者が現れて同じ過ちを繰り返すだろ」
この少年。明らかに歳と不相応な知識量だ。どこか人を見下したような、達観したような表情。
イヴは彼に怪訝な顔を向けた。
「それにしても、本当に丁度良い時に来た。明後日あたりにはもう島は消えてるだろうさ。それまでに列車に乗るんだな」
「わかった。ありがとね」
リリー・ローズは振り向かず、村落の方へ歩いていった。足音が消えた後、イヴが「可哀想」と呟いた。
「文献で読んだことがあるわ。隔離された民族...」
背の低い出窓に腰を下ろしたアリスが、思い詰めた顔でそう言った。窓からは遠くに海を確認することができる。
こんな孤島で暮らしている民族がいるのだ。
彼らは顔の形、産まれた場所だけで民族は差別され得る。
或いは、信仰によって...。
「お店はないかな。私、見に行ってくるよ。皆は休んでて」
「私も行きます。何かあったら一人だと危ないので」
クレアとハルは村落に入って商店を探した。食料は硬いパンとスパムしかない。そろそろ野菜が食べたいものだ。
...
......
.........
空には薄紫のカーテンがかかり、どことなく陰気な空気が漂う。村の端にある切妻屋根の家。リリーが帰ると彼と同じ白銀の髪を揺らす母が「おかえり」と微笑みかけた。
食卓には野菜のスープとパン。背後で髪を括った父親が彼の前に立つ。
彫りが深く、生気のない顔。見慣れているはずのリリーでさえも思わず身動ぎしてしまった。
「あの者達には長居をさせるな。選民ではないだろ。殉死する必要もあるまい」
「...俺も出て行く。俺にはまだやりたいことがッ!!」
全て言う前に父親の右手が頬に飛んだ。リリーの髪が揺れて顔を隠す。
しかし奥の瞳には怒りが宿っていた。悔しさを押し殺し、唇を噛む。
「うつけがっ!!カエルアレム神の御告げに叛くつもりか。我々アグリ族は選民として光栄ある死を選ぶ。それこそが我々にとっての美なのだ」
「...っ」
「これ以上愚行を重ねるな。早く飯を食え」
「...はい」
子は親を選べない。子は種族を選べない。少し考えればわかるはずだ。これが間違ったことなのか。正しいことなのか。
差別を受けたアグリ族はこの地に逃れ。青の教徒となった。いつしか青を奪ったと言われるカエルアレム神が天へ誘ってくれると。その教えは子供の頃から受け継がれる。しかし、リリー・ローズという彼だけは未だ自由を求めていた。
リリーは味の薄いスープを飲み干すと、自分の部屋に入っていった。血の味が唾液と混じって気持ち悪い。
扉を開けると、ある違和感に気付いた。
「...?」
いつもと違う甘ったるいお菓子の匂いが鼻をつく。ベッドの上に見慣れない少女。まるで色が流れ落ちてしまったかのような灰色の髪に透き通った肌。
少女は真っ直ぐな瞳でリリーを見つめ、「あはっ」と笑った。
「誰だ...。...お前...」
リリー・ローズは不安を含んだ目で少女を睨み、拳に力が入る。
少女は真っ赤な舌をペロンと出してこう言った。
「あはっ。カエルアレムだよっ」
彼女の言葉が放たれた瞬間、嵐のような突風がリリーを襲った。
「なっ...!?」
家具が揺らぎ、足元がふらつく。
思わず手で目を覆った。
「どうしたのリリー!?」
母親が血相を変えて部屋に入ってきた時には、もうカエルアレムの姿はなかった。
衝撃。
それはリリーの身体を駆け巡り、全身を震わせた。
「リリー!?ねぇ大丈夫?」
倒れ込んだリリーを抱えた母親は、もうそれがリリーではないことに気づく。
「ふ...ふふふ。アハっ」




