Baia Submarine Remains
除煙板に覆われた苔。車輪に絡まった海藻類。それらを物ともせずに煙突からは潮が吹き出し、鈍い音をたてて汽車は前進した。
「海の中を走るってなんだか変な気分だね」
「うん。これが青だったらって考えると...」
そう。幾千年も昔、海は青に溢れていた。空を映し出したかのような鮮やかな碧から深海を覗く鉄紺色。
想像するだけで心が不均衡に遊ばれる気分である。
クレアはそんな有るはずのない未来を想い恍惚に浸っていた。
「クーレーアー。文字教えてよ〜」
駄々をこねるイヴに苦笑しつつも、真ん中にある小さなテーブルの上にペンと紙を置く。
「どんな言葉が知りたい?」
「愛!欲望!嫉妬!狡猾!女狐!」
「Blue eyes.これがイヴの眼のこと。Blond.これがイヴの髪のことだよ」
どこでそんな言葉を覚えたのか。小姑にでも教わったのだろうか。クレアは必死に違う言葉を書いて誤魔化した。
「これで離れ離れになってもお手紙出せるね!!」
「まだ2つしか教えてないよ。お手紙は何百個も単語を書かないといけないからイヴはまだ離れちゃダメ」
「そんなに書かないといけないなら普通に喋ったほうがいいかな」
そんなことはない。クレアは反論しようとしたが相手はまだ少女。彼女の持論を押し付けるにはあまりにも幼かった。
口語とは即ち海の表面のようなものである。1つの言葉を口に出したとしても、それを思いつくまでのプロセスは深海のように深い。
そして複雑だ。
好きが嫌いであったり、嫌いが好きだったりする。
彼女は、口から放ったたった一言の言葉を便箋5枚ほど文語で表せる自信があった。
それほど人間は普段心を露わにしていないのである。
(なんて言ってもキョトンとするだけだろうなぁ。神話の時みたいに...試しに聞いてみようか)
「イヴ。結構前に神話のこと話したの覚えてる?」
「カエラレルラレム神のこと?神様のお陰で街は栄えたんだよね。でも青が消えちゃった」
「記憶力いいねイヴ。間違ってるけど。...じゃあご褒美にパンあげる」
「わーい!」
クレアがバッグから取り出した硬そうなパンを、イヴは小さな口で必死に噛みちぎった。
「ブライアン。私達も食べよう。もう腹ペコよ」
反対側のボックス席に座るアリスが正面のブライアンに言った。彼女の隣に座るハルもコクリと頷く。
「ふっ。我に食物を強請るか!!いいだろう!!我と勝負せよ!!」
「いいから!!もうそれいいから!!」
「コレとずっと旅してるんですか...。大変ですね」
ハルは心底クレア達に同情した。
「そう言えば、アリスさんはどんなお姉さんだったんですか」
「え...えと。そうね。私はできたお姉さんでハルはいつもお姉ちゃんお姉ちゃんって私の後ろを付いてきてたわ」
絶対嘘だとそばで聞いていたクレアは思った。アリスは口の端を吊り上げ、鼻息を粗くして満足気な顔をした。
「お姉...ちゃん?」
「...うっ...」
彼女の頬がみるみるうちに赤く染まり、照れを隠すため窓の外を眺める。
ハルはニヤリと意地の悪い笑顔をした。
それから数十分後、汽車は汽笛をあげて車輪を止めた。ゴボゴボという泡の沸き上がる音が外から聞こえる。
「着いたかな...?」
暫くして外から大きな機械音が鳴ったかと思うと、扉が開いた。
一行は外に出て周囲を見渡す。空気で作られた膜が道になっており、コンクリート製の古い階段が地上まで続いている。
潮の香りとジメジメした感触が肌に纏わりついた。
「なんか怖い」
イヴはクレアの手をぎゅっと握る。
灯りも無く、海面から射し込む太陽の光だけが頼りであった。
地上に出ると、久しく見なかった草原の緑が目に入る。
「わぁっ、綺麗」
そして圧巻の巨大樹。
グリーンスモークで見たような巨大な桜だ。不思議なことに花は薄ピンクではなく黄色に咲いていて、独特の世界観を放っていた。
「...島...?」
背後を振り向くと沿岸部になっており、透き通った綺麗な海が広がっていた。
(さっきまで赤い海だったのに...水質が違うのかな)
巨大樹を中心とした円形の島国。
「む。お前らアグリ族じゃないだろ。何でここに来た」
上ばかり見ていて気づかなかったが、イヴと同じくらい小さな子供が傍で怪訝な顔をしていた。
長い白銀の髪に大きな瞳。両耳にイヤリング。華奢な身体。一見性別の判断に迷ってしまう。
「あ、すまない。旅をしているのだけれど、この島のことを教えてくれる?」
クレアは屈んで子供と目線を合わせて言った。
(女の子...?男の子...?)
「島に名前なんかない。ただ、人はこの島をこう呼ぶ」
The Depth Of Lanthanum
「旅行なら長居はしないほうがいい。いずれ沈む島だからな」
「沈む...?」
「あぁ。海面が日々上昇している。もうじきここも沈むだろな」
「そんな...」
「あの巨大樹。虹桜は島に寄生すると土壌を緩くしていく。さっき海面が上昇してるって言ったけど、本当は島の底面が溶けていると言ったほうが正しい。巨大樹は全ての養分を吸い取ると虹色に咲き、その葉を世界に散らす。そうして増えていくんだ」
クレアは子供の目に只ならぬ覚悟を感じた。それと同時に抵抗のような怒りも。
「ここから出ないの」
「...俺は出るさ。他は知らないが。ところで、俺はリリー・ローズ」
「あ、私はクレア。この子はイヴ。ツインテールがアリスでボブカットがハル。そのデカいのがブライアン」
「む。宿を探してくる」
(俺って言ってたから男の子かな?でも名前女の子だし。声も女の子だし...)
リリーについていく途中、アリスはイヴに「女の子?男の子?」と耳打ちした。
「え。どう見ても男の子」
「やっぱ子供にはわかるのね」
「あ!子供って言った!罰ゲーム!肩車!」
イヴはそう言うとアリスの身体をよじ登り肩に脚をかけた。
「ちょ、何よその罰ゲーム...」
沈みゆく運命にある島国。
リリーはこの土地で何を思うのだろうか。




