それが歪な愛の形でも
矢のような黒雲がギラギラと空を飛んでいく。だがそれは誰の目にも留まらない。青のように、瞳には映らない。
夜の微睡みに溶け込んだ遊園地の片隅に、茫然自失のアリス・ウォーカー。観覧車の搭乗口で三角座りをしながら頭を伏せていた。
一行は一先ずヘイ・ロウの案内によりメリーゴーランドの隠し床扉から地下へ潜り込んだ。しかし、いくら呼んでも声の届かないアリスを心配して、クレアが彼女の様子を見ることにしたのだ。
「...アリス」
「...。」
少し離れた場所からしおらしい眼差しを彼女に向けるクレア。その背後からヘイ・ロウがのっそりと現れた。
「...触れたら崩れてしまいそうだ」
「何か知ってるの?他にも囚人はいたのに私達だけに爆薬を渡した。...私達に何か用があったんじゃないか」
「あぁ。ひとつ。確認事項があった...が、先ほどふたつに増えた」
「...増えた?」
首を傾げるクレア。だが大凡見当はついていた。恐らくアリスの妹、ハルのことであろう。ヘイは何かを知っている。
だがそれを今伝えると、彼女の心が劣化した岩のように崩れてしまうかもしれない。
タイミングを見計らってここに来たらしい。
「...全部話して」
アリスは涙で腫れた下瞼を見せながら言った。心無しか目尻がいつもよりも切れ長になっている気がする。
ギラッと光る眼光に暗闇の中佇むクレアもたじろいだ。
「あぁ。先ず、あいつはお前の妹で間違いない。...お前が理解できないのは、何故あいつにお前の記憶がないということだろう?」
「...そうよ」
「数年前。小ブリテン王国から少女を誘拐する任務があった。依頼主はピータータウンの成金。...標的は、ハル」
アリスやハルは小ブリテン王国でも珍しいドログ人だ。
ドログ人はブロンドの髪と白く透き通った肌。ツンと先が上にあがった可愛らしい鼻が特徴で、世界で最も美しい人種のひとつでもある。
それ故、貧困層のドログ人はしばしば誘拐や人身売買の被害者となっていた。
「...成金は記憶障害を引き起こす薬でハルの記憶を消してから引き渡すよう依頼してきた。...つまり、そういうことだ」
「...貴様...!!!」
肝が冷えるほどの、獣が呻るような低い声。アリスの身体はヘイのすぐ目の前で止まった。
「...ッッ!!」
滴る鮮血。
その色は暗闇で見えない。
果物ナイフを構えてヘイに突進したアリス。その刃がヘイの腹部を突き破るその瞬間、クレアが素手で刃を握り制した。
「...クレア...ッ!!?」
ヘイは何かを思い詰めたような顔をして眼前の光景をただ眺める。
「...君は人を殺して良いような人間じゃないだろッ...!!」
いつになくクレアの声に力が入っている。彼女を殺人者にしたくない。そう言っているようだった。
「...私...」
冷静になったアリスは右手に握られた焦げ茶色のナイフを見て、腰を抜かした。尻餅をついて手を震わせる。
アリスがナイフを離した後も、刃はクレアの手の肉にへばりついて離れなかった。
「...くっ...ッ!!」
もう片方の手でナイフの柄を握り、思いっきり引き剥がすと、ナイフは金属音を立てて地面に転がる。
「使え」
こんな修羅場を目の前にしても、ヘイは至って冷静だった。紫色のタオルを取り出し、彼女の見るも酷い手に巻かせた。
「ご、ごめんなさいクレア...」
「...」
クレアは痛みに耐え兼ねたのかメリーゴーランドのある方へとぼとぼと歩いて行った。
「...本当なら、成金の元で性奴隷として扱われる筈だった。が、ピータータウンである革命が起きた」
「もう聞きたくない」
「お前も見た筈だ。機械と人間の立ち位置が逆転していることを」
そう。革命だ。
かつてIT業界を武器に世界と渡り合っていたピータータウンは、AIの開発により更に発展を続けた。
しかし、ある時。ある瞬間。
機械が人間を超えたのだ。
機械は利用される立場から人を利用する立場へと変わり、街を支配した。
「成金もその革命に巻き込まれて死んだ。貴族階級は全員死んだ。奴らは機械にとって必要のない存在だったからな」
土砂降りのように身体を打ち続ける情報の雨。アリスは正気を保つので精一杯だった。
「ふざけるな!!じゃあ妹は無駄に記憶を消されたのかッッ?!」
「...そういうことになる」
(本当はお前が標的だったとは...言わないほうが良いだろう)
__しばらく、アリスは同じ場所で気を休めた。偶に吹く冷たい風と音。
今の彼女にとって、それは癒しであった。
(いつまでもウジウジしてられないわね...クレアの手...大丈夫かな)
君は人を殺して良いような人間じゃない。
その想いは、クレアがアリスに対してのものだけではない。
もう1人。ヘイもまた、ハルにそう願っている。
「そろそろ戻ろう...」
暗闇の中、メリーゴーランドまで歩くと、白馬の上に1人の女性が跨っていた。
緋色の髪を靡かせながら、こちらに気づくとニコリとはにかむ。
左手には包帯と血の滲んだ痕。
(イヴやブライアンもきっとドン引きだろうなぁ。私...仲間から外されちゃうかも...)
もう泣ききった筈なのに。これ以上は涙腺がふやけてしまいそうだ。目の端に涙を溜めながらアリスはそう思った。
「クレア...私...私...」
「私が偉そうに言えることじゃないけど。きっと、アリスはハルと昔みたいなれるよ」
クレアはそう言うと、ひょいと馬から飛び降り、アリスの前に立った。
「でも記憶が無いのに...」
「お話できる時間が増えたんだよ。言葉遣いや態度が違っても彼女は君の妹だ。きっと上手くやれる。なぜなら...」
__骨になった彼をいつまでも愛している人を私は知っているから。
「...うん。頑張る。その...手。ごめんなさい。私、取り返しのつかないことを...」
「あぁこれ?役に立てて良かったよ。治るまでアリスは私の手伝いだね」
てっきり追放されると思い込んでいたアリスは一瞬目を丸くした後、喜びで身体を震わせ、クレアに抱きついた。
彼女が素直になれた初めての瞬間だったのかもしれない。
泣いた。声をあげて泣いた。
子供のように、彼女の胸にすがって...。




